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第20回 東京ダイアリー(12)パイナップルの夜

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

喧騒の中、国立劇場に辿り着いた、子供達の引く山車

後ろに立つのはパパ、ではなく、
フーテンのトラさん。
寅さんシリーズの映画の舞台として
名を馳せる、下町人情の町、
柴又にて。

発煙事故が起きた。口をあんぐりさせる。呆然と突っ立ったまま、その掲示を凝視する。ハツエンジコ? クリスマス・イブの喧騒に包まれる有楽町にはそぐわない言葉を、頭の中で反芻しながら。

トナカイや雪の結晶。ふかふかの帽子をかぶる小熊。そして、小さな小さなツリー。季節にふさわしい薄化粧を施した東京の我が家が、今夜こそはと手ぐすねを引いて待っている。いや、待っているかのように見える。「早くご飯を食べて!」「漢字ドリルの宿題は終わったの?」「まだ連絡帳を見せてないよ。」「明日は給食当番の白衣を返す日でしょ?」「ドラえもんばっかり読んでないで、バイオリンの練習しなさいよ!」 (ここで泣き声が入る。)「そんなに練習が嫌だったら、やめちゃいなさい。」「いい加減にお風呂に入って寝なさいよ!」 職場を出て息子と娘をそれぞれ別の場所へ迎えに行き、地下鉄で帰宅してから就寝までの時間は、疾風のごとく過ぎ去る。それでも、日本で初めて迎えるクリスマス・イブには、少しだけ特別な想い出を作りたい。そんな願いを込めて、シーズンに入るやいなや部屋を小物で飾りつけ、「クリスマス・ケーキのご注文はお早目に」というチラシを吟味したり、普段は素通りするだけの丸の内の高級食料品店を昼休みに覗いてみたりした。そう、アメリカとは異なり、12月25日が祝日にあたらない日本では、25日よりも24日の夜の方が深い意味を持つ。「今日は、早目に迎えに来るからね。3人でパーティをしようね。」「早くって、いつ? 3時?」「うーん、3時はちょっと早過ぎるかな。多分、6時までにはね。」娘と指切りをして、保育園を後にした。

夕闇が丸の内の高層ビルに華を添える時間、身を縮めるようにエレベーターに乗る。たかだか5時過ぎに退散するのは気がひけてならない。夜中の2時、3時、いや朝方まで残業をする同僚も珍しくない職場だ。それでも、華やぎに溢れる丸の内の地下街に出た途端、流れるクリスマス・ソングに浮き足立つ。いつも通り、メトロ有楽町駅へと続く国際フォーラム脇の道を真っ直ぐに歩く。ところが、駅の改札口が近づいた途端、視線に飛び込んだのが「発煙事故」の掲示。少し前の辰巳駅で事故が起き電車が不通になっているという。「誠に恐れ入ります。」立ちすくむ人の群れを前に頭を垂れる駅員の声が空しく響く。「いつまで不通状態が続くのか、現時点では申し上げようがありません。」とりあえず、ブラックベリーをバッグから取り出し保育園にメールを打つ。「電車不通により、遅くなります。申し訳ありません。」 地上に出て、首を長くしタクシーを待つ。ようやく停まった車に乗り込み安堵の息をつくのも束の間、気が遠くなりそうな渋滞に泣き出したくなる。ああ、こんな時、夫に電話を入れて助けを求められたら、どんなに心強いだろう。だが、彼はシアトルにいる。「困ったことがあったら、遠慮なく連絡してね。」 親切に申し出てくれる母親仲間なら幾人もいる。だが、イブの夕食時、いきなり主婦にベビーシッターを依頼する訳にはいかない。この大都会の裾野で、私はいわばシングルマザーだ。子連れ単身赴任が一筋縄ではいかないことを覚悟の上で来日した筈なのに、つい弱気になる。途切れない車の波を窓越しに見つめるうち、丸の内の化粧室で鏡に張り付くように口紅の発色を吟味していたOLの後姿を思い返す。今頃、彼女は豪勢なイルミネーションが真夏の太陽のように華々しく光を降り注ぐ表参道あたりを、恋人に肩を抱かれて闊歩しているのだろうか。いや、そんなことはどうでもいい。一瞬の羨望を追い払うように母親の顔へと戻り、首を長くしているであろう子供達を想う。飾りつけられた部屋は、いつまでたっても始まりそうにないパーティに痺れを切らしている頃だろうか。

「あなたがシングルマザー? とんでもない。」 正真正銘のシングルマザーにしてみれば、そうも言いたくなるだろう。夫を海の彼方に残してきたとはいえ、結局は期間限定の単身赴任であり、実は夫も3回、来日している。おまけに、テクノロジーの発展とはありがたいもので、スカイプを使用し一日2回、朝夕と顔を合わせ家族で話している。「みんな、今日はどうだった? 学校は楽しかった? もうじき学芸会だって?」そんな風に話しかける夫をよそに、夕食のおでんをふうふう言いながら食べる私達母子は、箸を動かすのに忙しく生返事を返す。国際電話をしているという意識さえないから、つゆが沁みた大根やら厚揚げやらを堪能することばかりに気をとられる。(夫には申し訳ない話だ。時差の関係で午前3時といった不便極まりない時間に起き出しては丹念に連絡をしてくれる彼にとっては、はなはだ迷惑だろう。)角のセブンイレブンに牛乳を買いに走る間、夫にスカイプで子供達の様子を見てもらったこともある。(小学生に留守番をさせて外出するなど、アメリカではケシカランということで警察に通報がいく。ところが、日本では問題になるどころか、日常茶飯事である。「下の子? 風邪だから一人で寝かせて出てきたのよ。」少年野球の練習で出くわした母親があっけらかんと言ってのけた時、アメリカから到着してまもない私は、度肝を抜かれたものだ。)こうして、なんだかんだと言いながら、結局は夫の支援を受けている。この状況下では、確かにシングルマザーを名乗るのは、おこがましい。

その一方で、やはり独りであることに変わりはない。東京に実家がある訳ではない。手を差しのべてくれる知人、友人がいるには違いないが、配偶者や肉親のように甘える訳にはいかない。仕事をしつつ単独で子育てと格闘する日常において、「もし子供が病気でもしたら」という危惧が常にまとわりつく。ビデオ電話常用のお陰で、夫がすぐ傍らにいるような錯覚に陥ることもあるが、まさか
PC のスクリーンを潜り抜けた彼が、「いいよ、いいよ。僕が子供の面倒をみるから。君は仕事に行っておいで」などと手を貸してくれる訳でもなかろう。「気分が悪い。」「お腹が痛い。」 息子と娘がそう訴えるたびに青くなり、「もし、明日、出勤できなくなったらどうしよう。早いうちに結論を出さなくちゃ」とばかりに、夜であってもタクシーを飛ばし医者に診てもらうようにしていた。専業主婦であれば、「今夜はとりあえず様子を見て、明日にでもお医者さんへ行きましょう」という選択ができたし、実際にそうした方が賢明と思われたこともあった。我が子の健康を気遣うよりは自らの仕事を優先させるなど、母親として失格の烙印を押されそうだ。我ながら情けなくもなる。だが、哀しいかな、これがワーキングマザーの現実なのだ。

病気は別にしても、日常のちょっとしたシーンで、男親がいない不便さを痛感させられた。友達の家族に連れられて栃木までイチゴ狩りに出かけた娘が、手作りのジャムをお土産に持ち帰った。自慢の力作である。「明日の朝、パンにつけて食べようね。」親子揃って心待ちにしていた。ところが、朝になってみれば、いくら開けようと力んでみても、ピシャリと閉ざされたジャムの瓶の蓋はびくともしない。「ねえ、この瓶、開けられないから、助けてよ。」「この荷物、ちょっと重いから、持ってくれる?」そんな風に依存していた夫はいない。男女の雇用平等だの何だのと立派なテーマで記事を書きながら、夫なしでは朝食も食べれないとは。苦笑がもれる。パジャマを着たままの息子が瓶を抱えてエレベーターに乗り、フロントデスクの警備員に開けて貰ったお陰で、美味しいジャムつきのパンを食べることができた。この程度なら笑い話で済む。

だが、怖い思いをした夜もあった。息子の友達、そしてお母さんと一緒に、総勢5人で、回転寿司の店へと繰り出した。お腹も一杯になり、話も弾み、「楽しかったね」と帰路につこうとした時、変質者まがいとも思える男性から、ひょんなことで追いかけられる羽目になったのだ。日本より治安が悪いとされるアメリカでさえ、私達はそのような出来事に遭遇したことがない。結論から言えば、その男性から無事に逃れ電車に乗り込むことができた。だが、子供達、特に6歳の娘は、よほど怖かったに違いない。「あのおじさんが、まだ近くをウロウロしてたら?ドアをこわして、おうちに入ってきたら?」真顔で幾度も繰り返す。今夜はなかなか寝つけそうにもない。いや、実を明かせば、母親の私とて気持ちが悪いのだ。こんな時、夫がいてくれたら、どんなに心強いだろう。「大丈夫だよ、パパが守ってやるから。」 そう笑って娘を抱き締めてくれるだろう。そこで、再度フロントデスクの警備員さんの登場である。「大丈夫だよ。おじさんはお巡りさんみたいなものだからね。怪しい人がいないか、建物の周りを見てきてあげるよ。」そう力強く宣言してくれた陰で、ようやく娘も落ち着いた。幸い、私達が居を構えた地は、警備員や警察官が24時間警備にあたり、治安上の心配はあり得ない。ここに住むことを決めたのも、「女子供」だけで都心に住むことへの不安が大きく、治安の良さを最優先しようと考えた末の選択である。「食費だのレジャー費だのは切り詰めても、子供達の安全第一として住居費だけは奮発しよう」と思ったのだ。こんな風に単独で子育てをする体験を通して、シングルマザーへの理解を以前よりは深めることができたのではないだろうか。今後シングルマザーと友達になる機会があれば、もっと優しく接することができるような気もする。

では、発煙事故の夜に話を戻そう。「ママのうそつき!A ちゃんはさ、おかあさんが4時頃に迎えに来てるよ。どうして、ママはいつもいつも遅いの?」 ああ、またそんな言葉を投げつけられるかな。涙に潤んだ瞳に、ワーキングマザーの罪悪感も募るのかな。そんな危惧を抱きつつ、タクシーから飛び降りるようにして保育園に駆け込めば、なんのことはない。当の本人は、朝の約束などとうに記憶からすり抜けたらしく、平静とした表情で出てきた。肩すかしをくわされたようなものだ。息子にしても、しかり。

3人で帰宅後、いそいそとホームパーティの準備にとりかかる。この夜のメインディッシュは、ローストチキンなどではない。丸の内のグルメ食料品店で厳選されたお惣菜でもない。パイナップルが散らばる「トロピカルピザ」だ。来日以来、瞬く間に和食党となり、お寿司やお蕎麦を好んで食べていた子供達が、「そういえば、ずっとピザを食べてないよね」「うん、懐かしいなあ」と懇願した結果である。娘がお気に入りの愛らしいイラスト入りのピンクのビニールシートを室内に敷き、インドア・ピクニックとしゃれ込んだ。そこに切り分けたピザとサラダ、そして「たまには丸ごと食べてみたいね」と注文したクリスマス・ケーキ。雪を見立てた純白のクリームに覆われたスポンジケーキの頂上にサンタさんが立つ、あの日本独特のケーキである。ささやかなパーティーがようやく幕を切った。

あの夜から幾つかの季節を経た今、秋風に吹かれながら、母子のイブを彩ったパイナップルの鮮やかな黄色を背景に、季節はずれの情景を心に映し出す。凍りつくような空の下、ケーキの箱を後生大事に抱えて保育園に駆け込み、スキップをする子と手を繋ぎながら駅までの夜道を歩くシングルマザーがいるかもしれない。コタツの上で揺れるキャンドルライトを挟んで幼子を見つめ、「きよしこの夜」をささやくように歌うシングルマザーもいるかもしれない。父親のいない、小さなファミリー。けれど、子に注ぐ母の眼差しの柔らかさに変わりはない。クリスマス・ソングが街に流れるにはまだ遠い初秋の光の中、パイナップルの夜を懐かしく想いながら、
"彼女達" に心の中で声援を送る。

注)当コラムはタイトルにあるとおり女性の視点から書かれているため、ここではあえて「シングルペアレント」ではなく、「シングルマザー」という言葉を使用し、母親に焦点をおいて執筆しました。しかし、単独で子育てに携わる苦労に、性別による大きな差異はないことを列記しておきます。

掲載:2010年9月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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