著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。
8月 X 日
「この一年、君のお供で、あちこちへとよく出かけたものだよね。」
「ニューヨークにサンディエゴ、プリンストンにシンシナティ。ガタンゴトンと汽車に揺られてシリコンバレーを走り抜けた時も一緒だったじゃないか。あれっ、シアトルを忘れちゃいけないね。」
「アメリカはそりゃ悪くないさ。なんたって、故郷みたいなものだろう。でも、日本にだって、いいところはたくさんあることに気づいたじゃないか。芋ソフトクリームを舐めながら、そぞろ歩きを楽しんだ川越の菓子屋横丁も、鳴門で船から見た渦潮も。」
「もっとも、関西に何度か行けたのが、いや、 “帰れた” のが、一番嬉しかったんじゃないのか、君。神戸駅に降り立った時の君の表情は忘れられないよ。よほど青春時代の思い出が胸を締めつけてるんだろうなあって思ったよ。」
「お供」と架空の会話を創り出す。「まっ、今日から再びよろしくね。」そんな風に心で呟きながら、ポンと威勢よく彼(いや、彼女か?)に手をかける。彼(もしくは彼女)と、今朝も旅に出る。今回は珍しく、成田ではなく羽田から夜の便でアメリカへと発つ予定だ。
私は、常に旅をしている。前回のコラムで、アメリカ出張について書いたが、それを書き終えて数週間後には再びアメリカの地を踏むこととなった。東京都心の狭いマンションのリビングには、いつになれば片付けられるのか皆目見当がつかない使い古されたスーツケースが、ゴロンと寝そべったままである。トロトロと要領が悪く荷造りも下手な私でさえ、幾度も訓練を積むうちに少しは手際も良くなった。その私のお供をしてくれるのが、この黒いスーツケースである。今度の旅の始まりも、前回と同様にサンフランシスコだ。訪れるのは4度目だろうか。「兄妹喧嘩はしないでね。」「ちゃんと、毎日、宿題のワークブックをやってね。」「そうそう、読書感想文もまだだったでしょ?ボヤボヤしてると、夏休みはあっという間に終わっちゃうよ。」別れの時を目前に控えながらも、母親として、ありきたりの小言ばかりが口をつくのが、我ながら悲しい。空港のセキュリティ前で懸命に手を振ってくれる息子と娘、そして夫の姿が視界をすり抜けた瞬間、淋しさが胸を衝いた。
「それにしても、君のダンナさんは、よくできた人だよね。こうやって君が飛び回っている間に、自分も仕事でヒイヒイ言う傍ら、ちゃんと子供の面倒も見ているじゃないか。しかも、彼はろくすっぽ日本語が話せないのに。そりゃ、洗濯物はカゴにつっこんだままだけどさ。晩御飯を作る代わりに、できあいのコロッケやギョーザをスーパーで買うけどさ。君、それだけ外に出てて、文句は言えないよね。もっと、感謝の言葉を口にすればいいのにさ。」
「お供」が説教を垂れる。そう、そう、そうなのだ。それはわかっている。それなのに、今日も「ありがとう」が口の奥に引っ込んだまま、「じゃ、行って来るね」とだけ言い残し、飛び立とうとしている。
8月 X 日
西海岸の風の温もりが、心に染み入る。ピア39。サンフランシスコ市内の訪問企業先を後にし、ウォーターフロントの通りを真っ直ぐに歩き続けると、ここに辿り着く。メリーゴーランドにお土産屋。ツアーグループらしい一行。マリーナで静かに出番を待ち構えるクルーザーたち。喧騒の中、シアトルで見馴れた風景が目の当たりに拡がる。それを背景に、かつて息子が投げかけた疑問が胸をよぎる。「ママ、どうしてウチの家って変わってるの?」ある夜、彼がさりげなく尋ねた。「N 君に言われたよ。お母さんがそうやって仕事であちこち飛び回ってるのって、変だってさ。N 君の家じゃ、お母さんは家にいるし、お父さんも出張が1年に1度あるくらいだそうだよ。」私は、咄嗟に言い返した。「あのね、そんなの、家によっていろいろに決まってるじゃない。出張が多いか少ないかも、仕事の内容に大きく左右されるしさ。」そう言い聞かせる一方で、「ま、確かにフツウじゃないのかもね。日本語が苦手な夫と子供を日本に残したままで、妻が外国に出るなんてさ。」そんな気がしないでもない。実際、私が最も気にかけるのがその点でもある。ろくすっぽ日本語が話せない夫が、これまた日本の学校に通いながらも日本語が流暢とは言い難い二人の子供を抱え、ちゃんと生活できているのかということだ。子供が怪我や病気をしたら? 大震災が起きたら?(地震大国・日本に居を構えて1年余り、それは切実な問題として、常に私の頭を悩ませている。)そんな私の心配をよそに、夫は、娘を学童クラブへ迎えに行ったり、時には(日本語を解さないという決定的なネックが立ちはだかるにも関わらず)保護者会に参加したりと、異国の「シングルファーザー」として彼なりに奮闘を続けてきた。彼は、出張こそ頻繁に入らないとはいえ、仕事の量では私以上にフーフーと肩で息をしている。だからこそ、彼に向かって、「あのさあ、せっかく洗ったコットンのシャツを、こんな風にクシャクシャのままでカゴに突っ込まないでくれる?」「お惣菜売り場で買ったコロッケをおかずにするなんて、やめてよお」などと口を尖らせる気など、サラサラない。オーガニック野菜で栄養のバランスがきちんと取れた食事なんぞをテーブルに並べることができたら、どんなにいいかと心から思う。実際、ことさら肩に力を入れるでもなく、そのようなことを実践するワーキングマザーもいるのは承知の上だ。キャリアウーマンでございとばかり、何かにつけて仕事を言い訳にするのも、みっともない。その反面、「ま、理想には程遠いけど、これでも仕方ないのよね」と割り切れる部分を残しておかないと、私のような不器用な人間はやっていけない。だから、夫に頼れる部分は大いに利用させてもらっている。100点を目指すな。80点でいけ。そう唱える人もいるが、私はもっと下を行く劣等生だ。68点でも、いや、いっそのこと、48点でもいいじゃないか。それだって、四捨五入すりゃ、50点。上げ底で行けば、とりあえず半分は点が取れたことになる。こうなれば、もう開き直りしかない。罪悪感を抱く傍ら、「ま、あんたなら、そんなものじゃないの」と、自らの肩を叩いているような部分がある。
もっとも、母不在の家庭で、父子3人はそれなりに嬉々と生活している様子だ。揃って自転車を漕ぎ赤坂見附まで食事に出かけたり、お祭りの金魚すくいで獲得した小さなペットたちを放つ水槽を買いに出かけたり。「ひとりじゃあ、さみしくて、ねむれないの。ままのすーつけーすにはいって、しゅっちょうについていきたい。だめ?」そんな風に懇願していた真摯な瞳はどこへやら。今や、成田空港へ向かう私に向かって、「バイバイ」とあっさり手を振るまでに「出張馴れ」した娘には苦笑が漏れる。「あのさあ、お祭りでもらった金魚さんたち、まだ生きてるんだよぉ。」 スマートフォン越しに響く朗らかな声。清潔で静かだけれど、その無機質さが空しくも感じられるホテルの部屋でベッドに身を投げ出し、彼女のお喋りに辛抱強く相槌を打つ。ベランダから堪能できるのは、ゴールデンゲートブリッジを闇の中でくっきりと浮き立たせる光のショー。非日常の空間を独りで堪能する傍ら、夕餉の匂いやら、兄妹喧嘩やら、日常のさりげないシーンがどこか愛しく思い出されてならない。
9月 X 日
ボストン市内のホテルの一室で、拍手の渦に包まれた。ここ数日、プリンストンのホテルに閉じこもり遂行と練習を重ねてきた1時間のスピーチが、ようやく幕を閉じた。大役を果たし、心地良い汗でも流したかのような爽快感に満たされる。「お疲れ様!」 会議終了後、ロビーに参加者数十名が集合してバスに乗り込み、ディナークルーズという華やかな宴が待ち受ける船へと足を運ぶ。陽が落ち、ひとつ、またひとつと灯に照らし出されたボストンの街並み。サンフランシスコのピア39と並び、東海岸のこの街にさえ、シアトルの夜景が映し出されるような錯覚を覚える。そういえば、大好きなベインブリッジ島での昼下がりを満喫した後、シアトル市内へと舞い戻るフェリーの船上から凝視したウォーターフロントの風景とも、どこか共通したものが感じられる。昨日、ボストンに到着後、ホテルにチェックインするやいなや地下鉄に飛び乗り、郊外・ケンブリッジに君臨する名門校、MITそしてハーバードのキャンパスへと繰り出した。「お願いだから、大学のお土産を買って来て。」息子と娘が懇願したからだ。Tシャツに、マグカップ。キーホルダーに、マウスパッド。限られた時間に背を押されるように、とりあえず子供が喜びそうな物を矢継ぎ早にバスケットへと放り込む。挙句、大きな買い物袋を二つ手に抱え、ほくほく顔でホテルへと戻る。会議終了後も、アメリカに残って片付けねばならない仕事が山積みだ。帰国を遅らせはできないものかと案じもしたが、その思いを振り切るかのごとく翌朝、飛行機に飛び乗りシカゴ経由で成田へと発つ。娘の運動会が待っている。さあ、お弁当のおかずはどうしよう。清々しい初秋の薫り漂うボストンに別れを告げ、降り立った東京は、9月末とは名ばかり、もったりと重い夏の空気が全身に絡みつくかのようだ。運動会、晴れますように。ソーラン節を踊るとかで、炎天下の校庭での練習を繰り返してきた4年生。ヨレヨレになった原稿を握り締め、うんざりするまでスピーチの練習を繰り返してきた自分の姿とも重なるようで、「同士たち」の肩をポンと叩いてやりたいような気がする。
9月 X 日
10月も間近だというのに汗ばむ土曜の昼下がり、都心のビルの谷間にある小学校で運動会が開かれた。「お弁当、作る!」昨夜、そう宣言して、腕まくりよろしく台所に立ったのは、私ではなく娘の方だった。いや、何も私が怠慢だった訳ではない。それどころか、「ここぞ」とばかり、久々に腕を振るおうと意気込み、あれもこれもと大欲張りで食材を買出しに出かけたのだ。ところが、その食材を前に、お弁当作りに挑んだのは娘の方だった。彼女はお料理が大好きなのである。かつては、母のために、愛妻弁当ならぬ愛娘弁当をせっせとこしらえてくれたものだ。学校では料理クラブを選び、「次に作るのは、白玉パフェ」と指折り数えて心待ちにしている。幼い頃、私の脇でピーチパイの生地をのしたり、クッキーの型抜きをしたりといった体験を積んだからだろうか。その彼女が作った運動会のお弁当には、焼きおにぎりあり、卵焼きあり、梅干あり。もっとも、焼きおにぎりは冷凍の物を温めたに過ぎないが。それでも、フルーツサラダは、小さな手で器用に刻んだ葡萄や梨が溢れているし、野菜サラダは、丹念にちぎられたレタスの山の上に、みずみずしいプチトマトやコーンが花のごとく散らばり、見た目も鮮やかで食欲を誘う。「運動会のお弁当を、ぜーんぶ自分で作っちゃうとはね。お母さんの出番も減る一方ってことか。」我が子の成長振りを垣間見るのは、嬉しく切ないものだ。
「どっこしょ、どっこいしょ。ソーラン、ソーラン。」昼食後、水色の法被を羽織り踊る子供達の姿をビデオに収めながら、思い出す。先日の出張から帰った直後、驚く程に娘は私にまとわりついた。買い物に行く道すがら、私と腕を組んで歩きたがる。とっくに「出張馴れ」した筈の彼女なのに。(何か、あったのかな。よっぽど淋しかったのかな。)不思議でならなかった。彼女の友達関係に何らかの変化があったのではないか。特に理由も無いのに、そんな危惧が胸に浮かんだ。常に一緒に行動してきたグループの輪から外れてしまったかのように思えてならない。その感覚は、母親の動物的勘とでも名づけるべきものかも知れない。勤務先から学校に電話を入れ、担任の先生と話す。「そうですね。実は、私も一週間程前から、その点は気づいていたんです。」先生の言葉に驚きはしたが、一方で納得もした。その年頃の女の子にはありがちなことかもしれない。記憶の底に沈めた筈なのに、何かの折に浮かび上がる光景がある。小春日和の薄日を浴び、泣き腫らした目で、人目を避けるように家路についた放課後。信じていた友に裏切られた。歳月を経て、その痛みが今も私の中で息づくような気がする。あの少女の丸まった背に、我が子の姿がだぶって映る。母の通った道に、彼女もまた差しかかろうとしているのか。(何もしてやれないけど、応援してるよ。心の中で、フレーフレーって。48点の母さんだけどさ。)初秋というよりは晩夏に近い艶やかな風が頬を撫でる午後、ポニーテールに束ねた髪を揺らせ舞い踊る娘の背に向かい、心で語りかける。(気持ちだけは100点満点、なーんてね。そんな優等生じゃないか。)「どっこいしょ、どっこいしょ。」澄んだ空の下、ここがビル街であることさえ忘れさせるぐらいに元気な掛け声が響き渡る。さあ、週明けには四国への出張が待ち受けている。「お互い、がんばろうね。」 校庭の片隅から、「同士」へのメッセージを贈った。
掲載:2013年10月
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