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最終回 「おめでとう」、そして「よろしく」

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もくじ

コリアンタウンへ

やった、やった、やった。

渋谷駅の人波をくぐり抜けて歩きながら、叫びたい衝動を抑えている。東京メトロ半蔵門線の車内で凝視したメッセージを脳裏に浮かべながら。移動中に、アメリカから朗報が届いたのだ。

「中目黒、やめた!」大学生の娘にメッセージを送る。「新大久保に行こう!」渋谷ハチ公前での待ち合わせ後、中目黒で夕食をとる約束をしていた。急遽、予定を変更。新大久保のコリアンタウンへ繰り出すことに決めた。そう、韓国料理に舌鼓を打つ理由が見つかったのだ。若者のエネルギーが渦巻く大都会・渋谷の雑踏に溶け込みつつ、ほくそ笑む。

負けてたまるか

裁判を傍聴した。最高裁判所や国会議事堂を見学した。中学校で模擬裁判の指導をした。大学教員として、学生を引率し挑んできた数々の学外フィールドワーク。ところが学外はおろか、教室での通常授業さえもできなくなった。遠隔授業なる選択肢を余儀なくされたのだ。猛威を振るう新型コロナウイルスによって混迷した社会がそこにあった。

コロナ禍には、負けない。負けてたまるか。私はそう自分自身を奮い立たせてきた。コロナ禍を逆手に取ってやろう。新しい世界を拓いてやろう。そんな意気込みに背を押され、国内外のゲストを招待してのオンライン授業を始めた。法学に加えコミュニケーション関連の授業を担当する背景もある。コロナ禍以前にも、音楽家から新聞記者まで多くの人を教室に招いてきたが、インターネットなら国境を超えた世界との繋がりも容易になる。「よし、試してみよう。」決意を固めた。

以来、国内外から多彩なゲスト講師を招待しての授業が回を重ねた。韓国文化ジャーナリストもいれば、モンゴル人やスペイン人の学生もいる。口笛の世界大会チャンピオンもいれば、10代から80代の生徒が学ぶ夜間中学校の校長先生もいる。マサチューセッツ工科大学(MIT)、ミシガン大学、そして東京大学。各大学から多数の学生が参加してしてくれ合同授業が実現したのは、教員冥利に尽きる。

点が線へ

「ようこそ、私たちのデジタル教室へ!」早春の声を聞く季節の黄昏時、私は自宅のパソコンを前に興奮気味に呼びかけた。ロンドンから「入室」したゲストが笑いかける。時差を超え、スターバックス英国本社に勤務する友人が画面の向こうから手を振る。私と20数人の学生は、それぞれの居場所でパソコンやスマホから拍手の渦で彼を歓迎した。画面の向こうに咲く笑顔の花、花、花。

エスプレッソの香りが漂うエメラルドシティで築いた人脈。仕事の一環としてスタバ本社を訪問し、彼とのミーティングを行った。そこで終わったかもしれない縁が、歳月を流れた今も続き、転勤先のロンドンから彼が授業に登場してくれたのだ。シアトルを起点に、日本とイギリスを結ぶ授業を実施することになろうとは。思いがけず点が線になったようで、とても嬉しい。

シアトルの光

第二の故郷・シアトルを起点とした、もうひとつの線。日本語情報サイト・ジャングルシティの運営者・大野拓未さんも、数回にわたりゲスト参加をしてくれた。起業家や母親、在米日本人など、多彩な視点からのお話を聞くことができた。

初回授業の背景が、鮮明に記憶に蘇る。やはり時差の関係上、現地の夜に参加をお願いするしかなかったが、大野さんは戸外からアクセスしてくれた。小学生の息子さんの少年野球チームが試合を繰り広げるカークランドのイサクアのグラウンド。夜とはいえ、清々しい光が溢れる野外の風景、そして背後に垣間見える豊かな自然。シアトルの夏の光と風が射し込むようにさえ感じた。「遅い時間でも、あんなに明るいんですね!」授業後、学生たちが感嘆していた。

日本にいながらにしてシアトルの初夏を体感しつつ、アメリカ文化の側面を学べたのも、オンライン授業の醍醐味だろう。今年2月の集中講義に再度の参加をしてくれた大野さんとは、「Z世代とソーシャルメディア」について意見共有をする機会に恵まれた。

リョウ君への恋文

路上生活と芸術。接点など皆無に見える二つの世界を結んできた人々。ホームレスや低所得層の人たちを対象に活動する欧米のオーケストラや歌劇団のメンバーも授業に招待することができた。彼らとの出会いから得たものも大きい。弁護士として、法学教員として、私が最も真摯に取り組んできたテーマのひとつが、経済格差・教育格差だからだ。

そんな中、リョウ君との出会いがあった。ここしばらく私はリョウ君のことばかり考えている。ほうじ茶ラテの温もりを感じつつカフェの窓際でパソコンに向かう昼下がりも、イヤホン越しに大音量で流すラップに体を揺する夕暮れ時も、想いを馳せる相手はリョウだ。

この21歳の青年は、渋谷の輸入レコード専門店で働いている。英語が抜群にうまい。ジョン・レノンについて延々と語るリバプールからの客の相手なども、そつなくこなす。なんてカッコいいんだろう。勤務後は、ネオンに照らし出される雑踏を縫うように歩き、インターネットカフェへと帰路につく。陽の当たらない世界で、したたかに生きのびる青年。

リョウは、彼は私が完成させた模擬裁判シナリオの土台となる英文小説『Bohemians』の主人公である。彼は渋谷スクランブル交差点から裏通りのインターネットカフェへと「帰宅」する「ネット難民」だ。彼の父親は男として担わされる社会的責任から、ギタリストを辞めて非正規労働者となり、家族を棄てる。母親はひとり親家庭を仕切る抑圧感に押し潰され、愛人のもとへ走る。兄は、学校で疎外感を味わった挙句、自殺を図る。

所詮フィクションだろうと言われれば、頷くしかない。しかし、下調べに膨大な時間を費やした挙句、非正規雇用、生活保護、ひとり親家庭、虐待、育児放棄、いじめ、自殺など、現代社会の縮図を描き出す意欲で創り上げた。小説に登場するパチンコ屋、風俗店、児童養護施設、ネットカフェ。全て自分とは無縁の不思議な世界なのに、手を伸ばせば届くような現実味を帯びて私の目前に拡がる。

いっぱしの作家気取り、いや単に自己陶酔だと笑われるかもしれない。それを覚悟の上で認めよう。自分が創作した人物でありながら、いつしかリョウは実在の若者と化して、私に語りかけるようになった。

ネオンに照らし出される夜空の下、広さ僅か2畳ほどの個室から、彼は静かに、でも確かに、声を投げかけ続ける。その声を受けとめ、この題材を土台として国内外の学生とオンライン授業で意見共有をしたい。そう意気込むからこそ、原稿を英語で書き上げた。

祝宴

『Bohemians』を土台として、K-POPバンド・BTSのラップから引用した歌詞と概念を軸に憲法を分析した研究論文。それがアメリカの法曹界で発表されることになった。そのオファーが、エッセイの冒頭に書いた「朗報」である。これまで書いてきた論文の中で一番カッコいい。(自画自賛であることは、百も承知だ。)

たまには、自分で自分の肩を叩いてやろう。(誰も褒めてくれないけどさ。)胸の奥の悲しい呟き。そう、あまり褒められることのない人生を送ってきた私。(なんか、寂しいよね。)そんな泣き言を心の隅に追いやり、若者で賑わう新大久保を闊歩する。母親の朗報に表情ひとつ変えない19歳の娘を引き連れて。夕食を満喫中、韓国料理店内の大きなスクリーンでBTSが踊り出した。「『おめでとう』ってさ。祝ってくれてるんだ!」大真面目に宣言する。チヂミを頬張りつつ、微かに体を揺する。ささやかな祝宴。自画自賛、大いに結構じゃないか。これからの人生、それでいくよ! 私から、私へと呟く。「おめでとう。」そして、「これからも、よろしく。」

読者の皆様へ

長年のお付き合いを、ありがとうございました。連載開始時は幼児だった息子と娘も、シアトルと東京の双方で教育を受けた後、大学生として、それぞれの世界へと旅立ちました。それは私自身の旅の始まりでもあります。

今回のエッセイでは敢えて子育てについては語らず、自分の生き方に焦点を当てました。その反面、掲載写真を選ぶ上でパソコンに眠る思い出の画像に目を通す中、感傷に浸り手を止める自分に気づきました。

エッセイに書いた論文が掲載の運びとなりました。こちらのリンクから、ご覧ください

ベインブリッジ島にて

数年振りに足を踏み入れたエメラルドシティ。ついに今年、蝉しぐれが響く晩夏の東京を発ち、初秋の香り溢れるシアトルへと、家族で帰ることができました。パイク・プレース・マーケットの魚屋で文字通り空中に放たれる魚に歓声をあげたり、スターバックス第1号店で世界中の観光客に混じって買い物をしたり。そして、マリーナや公園で贅沢な時間を満喫したベインブリッジ島へのフェリーの旅は忘れられません。東京のビルの狭間に舞い戻った今も、シアトルでの日々が心に映し出され、泣き出したい衝動にかられます。そして、気がつきました。私が恋しいのは、アメリカではなく、シアトルなのだと。

皆様とは、ソーシャルメディアを通して、今後もお付き合いを続けることができれば幸いです。(小説『Bohemians』からの抜粋紹介も兼ねて、初心者ながらインスタグラムを始めました。 )

当コラムについてのコメントの他、日米の教育、バイリンガル子育てなど、幅広いトピックでコメントやご質問を喜んでお受けします。それもまた大好きなシアトル、そしてジャングルシティが繋いでくれた大切なご縁と考え、心待ちにしています。

神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

お断り:筆者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

このコラムの内容は執筆者の個人的な意見・見解に基づいたものであり、junglecity.com の公式見解を表明しているものではありません。

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