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第52回 子育てとスーツケース

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

冬休みに訪れた広島・平和記念公園の銅像。

冬休みに訪れた広島・平和記念公園の銅像。

人、人、人の渦が巻く。泣きじゃくる幼子が、居心地悪いのか乳母車から身を乗り出し、苛立ちの表情をあらわにする。菓子折りが入った紙袋をいくつも提げた人たちが、エスカレーターへと歩を早める。「雪のため、のぞみX号は遅れて到着します。」頭上でアナウンスが響く。ゴロ、ゴロ、ゴロ。夕暮れ時の新大阪駅。新幹線乗り場一体に溢れるキャスター付きスーツケースの車輪音。

ここには、もう何度来たことがあるかわからない。それだけ頻繁に新大阪~東京間の往復を繰り返してきた私だが、この喧騒にはさすがに驚愕した。お正月休みも終局を迎え、それぞれの思い出を抱えた帰省客が帰途につこうとしている。私自身もスーツケースを引きずり歩く。ゴロ、ゴロ、ゴロ。車輪音の洪水の中、胸の奥で呟く。「子育て、とかけて、スーツケース、ととく。」その心は・・・

X 月 X 日

どっちつかず。ま、それも悪くはないよね。一枚のカードを取り出しながら思う。掌にあるのは、グリーンカード。日本にいると、自分が他の人たちの間で、どこか「浮いている」と感じる瞬間がある。どんな風に?自分でも上手く説明できない。反面、アメリカにいればいたで、異なった違和感におそわれる。もう、日本人ではない。だが、アメリカ人になりきったわけでも、むろんない。どこにも属しない根無し草。グリーンカードは、そんな不安定な存在を持つ自分の姿を映し出すような気がしてならない。一体、私って何者?この質問にとっさに答えられない。母親の私がそうなのだから、息子と娘にいたってはなおさらだ。片手に John Grisham の法廷小説のペーパーバック、もう片方の手に剣道の竹刀を持ち、詰襟の学生服で登校する息子。アメリカの小学校で教わったパワーポイントの技術を駆使し、凝ったビジュアル効果のプレゼン資料をいとも簡単に作成する傍ら、漢字ドリルの宿題に四苦八苦する娘。”Hey, knock it off!” 英語で兄妹喧嘩が勃発したと思いきや、次の瞬間には、「やめてよ!」「あっち行って!」、日本語での対戦が展開する。だが、こんな声も自分の中にある。「どっちつかずの根無し草? それも悪くないよ」。それも愉快な生き方だ、と思えるのだ。シアトルで、こんな風にさらりと言ってのけた友人がいた。「どっちつかずって、得な立場なのよね。『いいとこどり』 できるんだから。」そうそう、そうなのだ。アメリカ人、日本人、ハーフ。そのような枠にきちんと収まる必要などないし、収まり切らない方がいい。枠組みを超えて自由に遊泳を楽しめる方がいい。「どっちつかず」であることは、「どっちにもつける」ことを暗示する。そんな可能性を持つ息子と娘は幸せだと、我が子ながら羨望さえ感じる。

日本での子育てに試行錯誤はついて回り、親も肩で息をした日があった。それでも、こちらでの生活が3年目に入る今、思う。やがて成人した息子と娘が東京の空の下で過ごした日々を振り返る時、そこに何かのきらめきを見出してくれるだろう。二つの世界で刻んだ思い出をそれぞれに愛しく感じるだろう。それは願望というよりも、確信に近い。そんな思いにとらわれながら、師走の千代田の空を仰ぎ見る。旅に発つ日も近い。日本で迎える年末年始は、これが最後になるかもしれない。ずっとずっと思い出に残る旅にしよう。遠い歳月の彼方から振り向いた時、心がほっこりと温まるような、そんな旅に。

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