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聡子・バルデスさん (Deloitte & Touche, LLP Tax Manager)

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FORTUNE誌の 『100 Best Companies to Work For (米国の働きたいベスト100社)』 に6年連続でランクインしている会計事務所デロイト&トウシュ, LLPで、タックス・マネジャーとして勤務されている聡子・バルデスさんにお話を伺いました。
※この記事は2003年4月に掲載されたものです。

聡子・バルデス(さとこ ばるです)

長崎生まれ
1980年 渡米。アイオワ州へ

1986年 アイオワ大学ビジネス・スクール卒業。シアトルへ。

1988年 Westin Hotels & Resorts 入社

1996年 Deloitte & Touche, LLP 入社
現在に至る

渡米

アメリカに来ることを決意されたきっかけを教えてください。

小学校のころ、近所に住んでいたアメリカ人男性と日本人女性のカップルに英会話を習い始め、ずっとアメリカに留学したいなと思っていました。そして、その日本人女性がアイオワ大学に留学していたことから、私もアイオワ大学に行くことに決めたのです。そのころもアイオワを選ぶ人はあまりいませんでしたが、知っている人が留学していたところであることと、両親も治安の面からニューヨークなどの大都市よりも田舎のほうがいいということで、決定しました。

長崎県だから留学にオープンということはありましたか?

歴史的には海外との交流が盛んだった長崎ですが、今でもとても田舎なんですよ。ですから留学するということは当時は一般的ではありませんでした。私が高校を卒業する時には留学する人が偶然にも私以外に2人いましたが、留学生がたくさん来始めた1990年ごろに比べると、とても珍しかったんですよ。

渡米された後のことを教えてください。

最初にコミュニティ・カレッジでESLと教養課程を終えて、アイオワ大学にトランスファーしました。シアトルはインターナショナルな街で、アメリカ人でも外国人に理解のある人が多いですが、大陸の真ん中にあるアイオワはすごく田舎で、私以外の外国人と会ったことがない人がほとんど。コミュニティ・カレッジでは日本人は私1人でしたが、アメリカに慣れ、現地の友だちを作ることができてよかったです。最近の話によると、どこの大学でも日本人が多く、そのグループに入ってしまってアメリカに溶け込めないまま留学を終える人もいるそうですが、私の場合はそういった環境の中にいたのと、積極的だったので、友だち作りには苦労しませんでしたね。でも、引きこもってしまうタイプの人は難しいかもしれません。

アイオワ大学はどうでしたか?

アイオワ大学の生徒数は当時でも3万5千人ぐらいでしたから、1人1人に教授が声をかけるという環境ではありませんでした。自分の方から進んで求めればそういったサービスもあったかもしれませんが、向こうからわざわざ来てくれません。私は日本とつながりがある仕事に就きたいと思ってマーケティングを選びましたが、アイオワ大学のビジネス・スクールを卒業したのは日本人では私が初めてだと聞いています。教授たちは外国人や英語を母国語としない人に慣れておらず、大変でした。ですから、アメリカ人の中に入ってやらないと、日本人だからというのは理由にはなりません。試験さえ良い得点をとればやっていけるというクラスもありましたが、ほとんどの留学生はそういうわけにはいきませんし。同じアメリカ人でもシアトルには日本のことをよく知っているとか、日本人の友だちがいるなどというアメリカ人がたくさんいますが、アイオワでは当時は外国人に会ったことがない人は多かったものです。人によっては溶け込むのに苦労するでしょう。でも、自分が何を選ぶかです。アメリカ人の友だちを積極的に作ろうとするならアイオワもいいと思いますよ。

キャリア

卒業後にシアトルで就職されたのはどういった経過があったのですか?

アイオワ大学を卒業した後、同級生のアメリカ人と結婚。アイオワでは州外で仕事を探すのが一般的でしたので、コンピュータ関係の仕事を希望していた彼と2人でシアトルへ来ました。田舎者だった私たちには、大きなサンフランシスコよりも、当時のシアトルの方がちょうど良かったのです(笑)。もちろん、西海岸の方が日本に近く、私にもいいチャンスがあると考えていました。最初はキー・バンクなどの銀行に勤め、1988年になって青木建設がウェスティン・ホテルを買収し、通訳・翻訳をする人が必要だということで、エグゼクティブ・セクレタリーとして入社。3年ぐらいして、内部昇進で金融部門に異動し、1990年から1995年までキャッシュ・マネジメントを担当しました。でも、1995年になって青木建設がウェスティン・ホテルを売却したので、辞めなければならないと思っていたら、この会計士事務所で働いていた日本人女性が日本へ帰国することになったために話がまわってきて、面接を受けて入社しました。

今のお仕事について教えてください。

当会計事務所には監査などのさまざまな業務がありますが、シアトルだけで300人以上が働いています。私のいる税務部は全体では100人ぐらいですが、その中でさらに細かく部署が分かれており、私はアメリカに会社を開設した日本企業や、現地の米国企業の税務を担当する国際部門にいます。お客様はカナダ・イギリス・フランス・韓国・日本とインターナショナルですが、その90%が日本企業。そんなわけで、アメリカ人の上司が、日本人の顧客とコミュニケーションのできる人を必要としていて雇われたのです。税金は支払う期日が決まっており、個人の確定申告は4月15日です。その間は300件ほどの個人顧客の申告を行います。その他、企業の納税や給与支払いもあり、それを部門内で手分けして行います。入社当時は実際にフォームの作成をするアソシエートから始めましたが、4年前にマネジャーになってからはアソシエートが作成する書類を確認し、まとめて提出する、という監督の立場にあります。

仕事ではさまざまなチャレンジがありますが、「日本ではこうだから」と日本の会計での考え方ややり方をアメリカに持ち込まれる方に、それに対する理解を示しながら、アメリカではこうなのだということを説明するのが、1つの大きな仕事。特に渡米されたばかりではそれも当然のことですので、私のような日本人が日本語でアメリカのやり方や考え方をご説明し、理解していただきます。

アメリカの会社で働く時に何か困難なことはありますか?

私にとって、アメリカの会社はとてもやりやすいと思います。アメリカ人といってもいろいろな人種がいますし、シアトルは外国人が多い場所ですので、お互いのカルチャーが違っていて当たり前で、日本人だからといって差別されたり特別扱いされたりすることはありません。また、私の経験から言えば、アメリカ人のほうが日本人に比べて人間関係がさっぱりしています。会社にいる間に仕事をちゃんとしていれば、上司や社内の信用も得られますし、プライベートなことや社外のことについては細かく言われません。私のようなマネジャーを何人も抱えている上司は忙しいですから、後ろから細かいところまでいろいろ指図するのではないので、こちらとしてもやりやすいですね。期日までにちゃんとしたものができればいいという考え方なのです。

“Fortune”誌の”Best Companies to Work For”に6年連続で選ばれていますが、何がその理由だと思いますか?

弁護士事務所と同じように “Chargeable Hours”(顧客の案件にかける時間。効率化の方法)があり、その点は非常に厳しいですが、それ以外はちゃんと8時に来ないと問題になるというようなことはありません。また、女性がリーダーシップを取るという “Women’s Initiative” の面でも、当事務所は先端を行っていますし、子供を持つ社員が家庭と仕事を両立していけるような環境を作る会社としても知られています。また、勉強したいという人には、学費を支払ってくれるだけでなく、自分で勉強したければどんどんやりなさいといろいろなサポートをしてくれる、とてもいい会社だと思います。私の場合、税金関係をさらに勉強するために、会社のサポートを得て4年前から修士課程を履修しています。

こういった仕事に就きたいという方に何かアドバイスをお願いします。

当事務所も他のアメリカの会社と同じく、自分の仕事を自分の上司にアピールする必要があります。生存競争の激しいところですから、言われたことだけをやるのではなく、良識に従い、いいと思ったことはどんどんやっていくのが大切です。一般的に日本の会社では目立ってはいけないというのがあり、一生懸命やっていても自分で「これをやりました」「自分がやっています」と言わず、控えめにしていないといけませんが、アメリカではそれではいけません。「郷に入れば郷に従え」です。ちょっとずうずうしいと思ってもやっていくことが大切でしょう。私はアイオワでそのようにしなければならない状況で鍛えられましたから、そういったことにはあまり抵抗がないんですよ(笑)。また、サービス業ですので、自分の顔が売れているというか、どのぐらい社会の中で知られているかが重要で、「あの人に聞けばこれがわかる」というように持っていけるよう、自分で自分を宣伝する必要があります。そういう意味では結構厳しいですね。また、コミュニケーション能力も必要です。職種によって異なるかもしれませんが、社外でも社内でも前向きな性格な人が、ゆくゆくはパートナー(共同経営者)になっていきます。そういった性格であれば、努力さえすればアメリカ人と同じようにやっていけます。

今後の抱負を教えてください。

4年前に修士課程を始め、今年8月が卒業です。それがとても楽しみですね。また、今9歳の子供がいるのですが、卒業したら子供ともたくさん時間を過ごして、家庭と仕事を両立していけるようにしたいなと思っています。また、今は景気が悪く、日本のお客様も閉鎖されたところもたくさんあり、会計事務所も統廃合の時代です。これからはもっとセミナーなどのマーケティングを展開して、新しいアプローチでお客様にアピールしていきたいと考えています。これまでの経験も生かして、今後シアトルに進出して来られるお客様に役立つサービスをご提供できればと思っています。

【関連サイト】
Deloitte & Touche

掲載:2003年4月

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