「小畑先生を、ぜひ “ぶらぼおな人” に!」 という熱いメッセージに応えてのインタビューです。
※この記事は1999年11月に掲載されたものです。
小畑幸輝(こばた こうき)
1968年 東京生まれ
1983年 玉川学園高等部入学
1984年 強度の片頭痛に悩まされていた時、カイロプラクティックの治療受診
1991年 玉川大学卒業
1987年 大学卒業後、コロラド州デンバー市の大学留学、基礎科学を修得
1989年 テキサス州ダラス市の PARKER COLLEGE OF CHIROPRACTIC でカイロプラクティックを勉強
1997年 米国国家試験合格
1998年 シアトルへ
同年、ワシントン州の免許取得、現在のクリニックに就職
落ち着きのなかった少年時代
小畑先生は、少年時代はどんな男の子だったのでしょうか?
少年時代は、とにかくうるさく落ち着きがない小僧で、絵を描くことや運動が好きでしたが、その頃の夢は芸術家になることでした。幼稚園のときには、セロハンテープを丸めて彫刻のように形作るオブジェクトをよく作っていましたね。今思えば立派な芸術ですよ(笑)。また、その頃に、熱が出ていたにも関わらず、親の目を盗んで近くのプールに行き、初めて25メートルを泳ぎきったこともありました。その時の感動は、今でも覚えています。しかし、その後に熱が出て、それをこじらせて肺炎になり、ついには最悪の喘息なってしまいました。つらかったですねぇ。
それからおとなしくなりましたか?(笑)
いえいえ。小学校のころは、いつも先生の教壇の横に机があり、みんなと向かい合って授業を受けさせられるほど、わんぱく小僧でした。父兄参観の時だけですね、みんなと一緒に座ることができたのは。ただ、ある時期、IQ だけは非常に高かったので、親が「この子は天才だ」と思いこみ、特に勉強させなかったところ、だんだん成績が悪化。「おかしい」と思って調べたら、ただ単に手先が器用なために高い IQ が出ていた、という笑い話があります(笑)。
カイロプラクティックとの出会い
小畑先生とカイロプラクティックとの出会いは、いつ、どこで起こったのでしょう?
あれは高校生の時。玉川学園という、とても自由な学校でバレーボール部に所属し、元気だけが取柄の日々を過ごしていたんです(笑)。ところがある日突然、片頭痛に襲われ、1ヶ月間寝たきりの状態になってしまいました。大学病院での精密検査でも何も異常はないと言われ、また、CT ス キャンや、MRI などでも異常は全く見つからなかず、 「とりあえずこれを」と、頭痛薬をいっぱいもらっただけで終わってしまいました。しかし、薬はもういやと言うほど飲んでいて、まったく効果がなかったのです。途方に暮れていたある日、母が「名医がいる」という噂を聞き、半信半疑で診察を受けに行ってみたところ、その先生が、アメリカでライセンスを取得された、日本人のカイロプラクターだったのです。
その先生の治療で、偏頭痛が治りましたか?
ええ、一度の治療で、スッと治ってしまいました。あんなに痛かった頭痛が、しかも1ヶ月間も学校に行けず、毎日ベットで痛みと闘っていたのが、薬も使わずにです。本当に信じられませんでした。それから「どうせ何かやるなら、自分と同じように薬漬けになっている人の力になりたい」、そう思いました。 そして大学卒業前、その先生に「カイロプラクテイックをやるなら絶対アメリカ」 と言われ、アメリカに来る決心をしたというわけです。
アメリカでカイロプラクティックを学ぶ
アメリカに来られてからは、どのようにカイロプラクターになる勉強をされたのですか?
日本の大学では経済学部を卒業したので、カイロプラクティックというまったく違う分野を大学で勉強するには、基礎科学の履修が必要になります。従って、卒業には最低5年から7年かかることになりました。最初はコロラド州デンバー市で基礎科学を取得、それからテキサス州ダラス市にある PARKER COLLEGE OF CHIROPRACTIC を卒業し、国家試験に合格。それからミシガン州に仕事が決まったのです。しかし、いざダラスを出発しようという1時間前に、以前に受験したワシントン州の試験の合格通知が。しかし、もう仕事が決まっていたこともあり、そのままミシガン州に向けて出発しました。
ではシアトルに来られる前に、ミシガンで勤務されていたのですね。
いやぁ、それからややこしい話になるんです。とにかくミシガンに向かってダラスを出発しましたが、運転しながらワシントン州の試験に受かったことを頭の中で考えていました。そしてミズーリ州のセント・ルイス市に着くころから「こっちではないんじゃないか。本当は僕はシアトルに行くべきなのでは」と考え始めました。そこで「あせってはいけない、ゆっくり考えよう」と、セント・ルイス市に1泊。でも、そうこうするうちに、シアトルの方が断然いい匂いがし始めたんです(笑)。
シアトルへ来ることを決心
まさか、それから方向転換されたわけでは・・・
そうなんです。やっぱりシアトルに行こう、と、180度方向転換。引越用に U ホールのトラックを借りて車で牽引していたのですが、これではロッキー山脈を越えられない。そこで、ダラスに行く前に留学していたコロラド州デンバー市の友達に荷物をあげて、身軽になってシアトルに来ました。でも住むところも何もない。困ったな、というところに、ちょうどダラスからシアトルへ戻ってきていたアメリカ人のクラスメートが自宅に居候させてくれました。さらにラッキーなことに、それから2週間後には今の上司のセイン先生に出会い、免許を取得し、トントン拍子で仕事が始まったというわけです。
そうでしたか。なんだか運命的な流れでシアトルに来られたわけですね。
そうですね。今はとても楽しいので、あの時の選択は正しかったと思っています。考えてみると、僕の場合、いつも2番目の選択が転機になっているんですね。例えば、最初の留学では、骨折して出国が遅れた為に、第1希望の大学から第2希望の大学になりました。さらに、カイロプラクティックを学ぶ為に行ったダラスの大学も、たまたま気に入ってしまったために、入学手続きもすべて終了していたアイオワの大学をやめて選んだ、第2の選択でした。また、今のクリニックも2番目に決まった就職先。そしてもう1つ、僕は日本人としてワシントン州で2人目のカイロプラクターなのです。今のところは、この2番目の選択でうまく物事がまわっていると言えるかもしれませんが・・・不思議ですね(笑)。
日本人とカイロプラクティック
シアトルに来られてから、今ではどれぐらいの日本人の方がこのクリニックに来られているのですか?
そうですね。月に450人ぐらいの患者さんが来られるでしょうか。南はオリンピアから、北はショアラインぐらいまで。このうちの半分は、スポーツをやっておられる方です。
日本人の方々に共通する問題点、というのはありますか?
そうですね・・・やはり骨というものは、がんばっているとずれてくるものなのです。異国にいるということで、ストレスもたまっているのかもしれません。また、食生活でバランスが崩れることも問題の一つですね。ついつい肉や揚げ物が多くなってしまう。これは特に、こちらに来てまだ日の浅い方や自炊をあまりされない方に多く見られます。年上の方や働いておられる方、また、こちらに来られて長い方は生活の基盤ができてくるため、食生活も元に戻ってくるようです。また、私生活のバランスの崩れも問題になってくるかもしれません。とにかく誰にも干渉されずに生活することが可能ですから、好きなことをして好きなものを食べる。ある面ではいい事なのですが、別の面から見ると、どうしても体のバランスが難しくなりますね。しかし、これからもとにかくいろいろな患者さんにあたり、勉強していかなければならないことがたくさんあります。日々修業の毎日ですよ。
今はどのような勉強をされているのですか?
毎月カイロプラクティックのセミナーに参加して、最新の情報を得るようにしています。また、カイロプラクティックの哲学のセミナーにも参加しますね。これは初心を忘れないように、つまり、カイロプラクティックの原点を忘れないようにするために、とても大切なセミナーです。カイロプラクティックは神経学が基盤になっています。一般的に、治療は骨の矯正のイメージが強いと思いますが、実際はいかに神経を刺激し、脳の機能を活発化させるか、そしてそのようにして脳に刺激を与えることにより、いかに神経の伝達をスムーズにして、良い情報を体全体に送るかなのです。現在のカイロプラクティックは、日々速いスピードで進歩しています。そのために神経学の勉強は欠かせません。
カイロプラクティックとは
カイロプラクティックの原理とは、ずばり何でしょう?
そうですね。カイロプラクティックの根底にある、その素晴らしさは、意外と知られていないかもしれません。傍目には骨をボキボキやっているだけに見えたりしますし(笑)、それだけと思っている方もたくさんおられるかもしれません。しかし、テクニックは氷山の一角です。カイロプラクティックは、骨のバランスというよりも、自然のバランスをとるための1つの治療法なのです。もちろん、骨を外からいじるわけですが、それがすべてであってはならないでしょう。そして、カイロプラクターとして、そこで「自分が治してやっているんだ」と勘違いしてはいけません。カイロプラクターは、あくまでも自然と体のコネクターであり、全体の、つまり、「トータルのバランスをとるようにサポートする、トータル・コーディネーター」というぐらいに考えるべきだ、と僕は思います。
ですから、僕だけががんばるのではなく、患者さんも一緒になって、少しずつ生活のバランスを作って行くことが大事なのです。いろいろな物をバランス良く食べて、いろいろな人に出会って、いろいろな経験をして行く。そういったことで、長い期間をかけて、少しずつ生活を整えるのです。つまり、お医者さんと患者さんは1つのチームなのです。
一歩一歩、確実に目標に近づいて行くわけですね。
そうです。昔、「ゼロに何をかけてもゼロ。俺は、ゼロにどんどん足していくように生きて行くんだ」 と、兄がよく言っていました。気持ちはウサギでも、無理をせずに、一歩一歩進んで行くのが大事ですね。
掲載:1999年11月