村上春樹の小説の英訳で世界的に有名な日本文学教授ジェイ・ルービン氏が、第2次世界大戦と米国政府による日系人強制収容に翻弄される家族を描いた小説『The Sun Gods』を出版したのは、完成から30年を経た今年5月。そして今年7月に柴田元幸氏と平塚隼介氏による日本語の翻訳版『日々の光』 が出版されたことで、日本でも多数の講演を行うようになり、じわじわと注目を集めている。ルービン氏にこの作品にこめた思いについて伺った。
【ジェイ・ルービン(Jay Rubin)】 1941年、ワシントン DC 生まれ。ハーバード大学名誉教授。シカゴ大学で日本文学博士号を取得後、ワシントン大学で18年、ハーバード大学で13年にわたり、日本文学教授として教鞭を執った。芥川龍之介や夏目漱石など日本を代表する作家の作品の英訳を多数行っているが、特に村上春樹作品の翻訳家として世界的に有名。2003年、村上の長編小説『ねじまき鳥クロニクル』の翻訳により、第14回野間文芸翻訳賞を受賞。
「伝えなくてはならない」という思い
日系人強制収容所があったという事実を初めて知ったのは、シカゴ大学の大学院生だった1965年頃、23-24歳の頃のことです。教授と話していた際、「日系人強制収容所のことは知っているか」とふと聞かれました。そのことについて何も知らないアメリカ人が多かった時代でしたが、私もまったく知らなかった。
私はユダヤ系アメリカ人ですから、強制収容のことは頭にありますが、まさか自分の国もそんなひどいことをしていたなんてと、にわかには信じられず、大変なショックを受けました。自分の国に対しても、そのことについて知らなかった自分に対しても、腹が立ったと言っても大げさではありません。
それから日系人強制収容に関する文献を見つけて読み始めましたが、1975年にワシントン大学で日本文学を教えることになりシアトルに引っ越してきた頃から、子供たちのピアノの先生をはじめ、この地域ではよく知られているアイダホ州のミニドカ強制収容所の体験者などから話を聞くようになりました。1世や2世の収容所経験者の多くはその経験を恥ずかしく思っていたり、ひどい思いをしたことから、「話したくない」という人も多かった。でも、3世の中には「なぜ自分の親がアイダホ州で生まれたのか」と疑問を持ち始める人も増えてきたので、話さないとだめだという雰囲気になっていったのです。
日系人の強制収容に関しては、歴史書は以前からありますし、今は映画も小説もあります。でも、その頃も、そして今でも、強制収容所がアメリカにあったという事実を知らない人や、「そういううわさは聞いたことがある」というような知識しかない人に、この西海岸でも出会うことがあります。1978年にはワシントン州で日系人強制収容を追悼する "Day of Remembrance" が始まりましたが、それでもこの事実が十分に知られていないと感じることが多かったですね。それが、歴史本としてではなく、もっと身近に感じられる「小説を書く」というアイデアにつながっていきました。
終戦70周年に出版が実現
妻と話し合いを始めたのが1985年ごろでしたが、構想や登場人物について夫婦で話をしなければ小説にはなりませんでした。書いたのは私ですが、どちらかというと、妻のほうが小説家ですね。ドラマチックすぎる展開ではありませんでしたか?私は学者なので、そういうところは妻のアイデアですね(笑)。しかし、話を作り出すということがとても面白く、2年がかりで1987年に完成しました。
それからいろいろなエージェントや出版社に連絡しましたが、無視されました。小説を見てくれたところは1~2ヶ所あったように記憶していますが、まったく興味を持ってもらえず、がっかりしました。翌年の1988年にレーガン大統領が日系人に正式に謝罪し、賠償金を支払うという大きな展開もありましたが、それでも日系人強制収容については一般にはあまり広く知られなかったようです。
その後、1989年頃から村上春樹作品の翻訳の仕事が始まり、私はそちらに夢中になってしまいました。いつも村上春樹のことばかり考え、読んだり、翻訳したり、教えたり。僕は何でものめりこむ性質なのです(笑)。自分の書いた小説などほとんど忘れてしまいました。
終戦50周年、55周年、60周年といった節目になると思い出しましたが、あまりにも村上作品の仕事やその他のことで頭がいっぱいで、いつも少し遅すぎました。ところが、戦後70周年を翌年に控えた2014年は、なぜか早くに思い出すことができたのです。そして、シアトルの出版社 チン・ミュージック・プレス( Chin Music Press)に連絡したところ、「ぜひ出版したい」との返事をいただくことができ、今年5月に出版が実現しました。
伝えたかったのは事実、そして人間同士の愛
『The Sun Gods』 は、シアトルに住むアメリカ人青年ビルが、幼い頃の数年間に母として自分を愛し育ててくれた日本人女性・光子を見つけ出そうとすることを発端に、1930年代から1960年代のアメリカと日本を舞台に、日本と米国が経験した戦争に翻弄される人々が描かれる。悲しみにあふれながらも希望のある物語を通して、戦争の悲惨さ、憎しみあうことの無益さを伝える。
この小説の目的のひとつは、アメリカ政府がしたことを広く知らせることです。また、米国民が政府に対して抱いていた理想に反する行為をしたアメリカ政府、キリスト教の理想に反する行為を行ったキリスト教社会の偽善も描きたかった。でも、一番伝えたかったことは、きれいごとばかりでなく、生きている人間を、お互いを大切にしようという気持ち、希望、人間同士の愛です。
この小説に出てくる中心の登場人物はフィクションですが、ミニドカ強制収容所の看護師や医師、収容所の責任者、収容された日系人を支援する牧師などは実在の人がモデルです。また、描かれている出来事は、ワシントン大学の図書館に保管されているいろいろな文献や一般の新聞記事、ミニドカ強制収容所で発行された新聞 『Minidoka Irrigator』 などを使ったリサーチで知った事実に基づいています。強制収容所に送られる場面など大きく報じられたものは一般の新聞記事、収容所内での悲惨な出来事は『Minidoka Irrigator』を参考にしています。
主人公の光子は、最初は日本での不幸な結婚で傷ついてシアトルに来ていた弱々しい日本人女性ですが、話が進むにつれ、どんどん強くなっていきます。登場人物が一人歩きするということは本当なのですね。光子が被爆したかもしれない場所を広島ではなく長崎にしたのは、アメリカでは長崎への原爆投下が広島ほど知られていないことが理由のひとつです。一つ目の広島だけでどんなにひどいことになったか、どんな破壊力があったか、アメリカはある程度はわかっていたでしょう。それでもまた長崎に落とした。それはなおのこといけない。
日本は今、戦争のことを真剣に話し合っていますね。しかし、今まで何百年も前から戦争反対の文学や芝居や映画もたくさん出ているのに、何の効果もないような気がしないでもありません。例えば、『Saving Private Ryan』はとてもリアルでした。アメリカ政府がイラクに爆弾を落とし始めた時、「ブッシュ大統領はあの映画を見ていないのか」と思ったものです。あの映画を見ていたら、戦争を始めようとする心があるものか、と。
日本ではアメリカの日系人強制収容についてはあまり知られていませんので、日本語訳が出版されたことはとても意味があります。ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思います。
日系アメリカ人の経験についてさらに知りたい場合は、シアトルの非営利団体『Densho』 のウェブサイトがあります。かつて私が図書館でリサーチして見つけた資料が、そのウェブサイトなら何でも手に入ります。また、この小説にも登場する実在の牧師エメリー・アンドリュースのドキュメンタリー 『Act of Faith: The Reverend Emery Andrews Story』が今年公開されました。彼は日系人の強制収容の最中にもまったくぶれることなく日系人を支援し続けた人物として知られています。
『The Sun Gods』 出版者コメント
『The Sun Gods』 を出版したシアトルの Chin Music Press 社のブルース・ラトリッジ氏にコメントをいただいた。
日系人がミニドカ強制収容所でどのような日々を送っていたのか、そして戦争がいかに多くの人々の人生をめちゃくちゃにしたか、その描かれた方に心を動かされ、出版を決めました。ルービン氏がこの小説を書き上げた当時より、今のほうが、この事実について語り合おうとする雰囲気があると思います。これまでにも日系人強制収容をテーマにした小説が出版され、さらに幅広いアメリカ人の読者にこの事実が伝わっていると思います。この 『The Sun Gods』 にも、日系コミュニティは良い反応をしてくれました。もちろん、強制収容は日系コミュニティにとってなんら新しいことではありませんが、この小説をとても支持してくれています。また、ルービン氏が史実を正確に織り込んでいること、戦時中に行われた不法行為の情熱的な描写を広い読者層が高く評価しています。強制収容体験者の体験を伝え続け、風化させないようにすることで、同じことが二度と起きないようにすることが大切だと考えています。
掲載:2015年10月 写真提供:ジェイ・ルービン氏