2月25日にシアトルのチャイナタウン/インターナショナル・ディストリクトで、高校で日本語を教えている日本人の那須紀子さんが見知らぬ男に殴られ負傷した事件は、多くの人にショックを与えました。
アメリカでは特に昨年から「Asian American(アメリカ国籍のアジア系アメリカ人)が被害者となる事件が増加している」と報じられていますが、実際はアメリカ国籍に限られたことではないこと、日本人・日系人を含むアジア人が多く住むシアトル地域も例外ではないこと、また、誰でもいきなり差別や暴力の被害者になり得ることをまざまざと見せつけられたと言えます。
この件について、どのように考えたらよいのか。那須さんをはじめ、いろいろな方にお話を伺いながら、考えてみました。
那須紀子さん「ヘイトクライムに関する法令を変える必要がある」
シアトルの北東にあるケンモア市のイングルモア高校で日本語を教えている那須紀子さんは、2月25日午後9時30分頃にシアトルのインターナショナル・ディストリクトに車を駐車し、交際相手で看護師のマイケル・ポッフェンバーガーさんと 7th Avenue と King Street 付近で道路を渡っていた途中、見知らぬ男にいきなり硬い物で殴られました。
監視カメラにとらえられた映像には、那須さんがいきなり殴られた後、道路に転倒するショッキングな様子が映っています。意識を失った那須さんは鼻を骨折し、歯が数本欠け、また、マイケルさんも殴られて頭を8針縫う怪我を負いました。
被害者となってしまった日本語教師の那須紀子さんに今の様子について直接伺ったところ、3月15日の週に仕事に復帰したものの、自宅の住所が思い出せなかったり、仕事の合間に寝る必要があったりと、体調が万全ではない状態が続いているとのことでした。
事件当時の状況について「最初に向こうから何か言ってきたわけではなかったので、あんなことになるとはまったく思っていませんでした。いきなりの攻撃では、護身用に持っていたペッパースプレーを出すこともできませんでしたし、自衛していても効果はなかったと思います」とのこと。「容疑者は私が車を停めるのをずっと見ていて、駐車した後も車の後ろでうろうろしていましたから、今になって見れば別の場所に駐車したらよかったと思います。でも、シアトルに2004年から住んでいて、差別的なことを言われたことは一度もないので、まさかと思いました」。
その後、監視カメラの映像を見て、容疑者が那須さんの所持品を奪おうともせず、隣にいた白人のマイケルさんを避け、那須さんの顔を狙って攻撃した様子が見て取れることから、アジア人か女性に対するヘイトクライムではと考えているとのことです。
現場から逃走し、後に逮捕されたのは、2014年までニューヨーク消防署で救急救命士をしていたショーン・ジェレミー・ホルディップ容疑者(41)。KOMO によると、ホルディップ容疑者は今回の事件で第2級暴行罪で起訴されましたが、3月22日に行われた罪状認否で無罪を主張し、キング郡刑務所に拘留されています。
那須さんは自宅で療養していた間、チャイナタウン/インターナショナル・ディストリクトでパトロールなどを行っているボランティア団体 Chinatown-International District Community Watch に連絡して注意を呼びかけました。そして、事件から約1か月後の3月20日にチャイナタウン/インターナショナル・ディストリクトで行われた反アジア人差別の集会に参加し、自身の体験を語っています。事件後、いろいろな人が自分や家族が受けたヘイトクライムの体験を話してくれるようになったことから、「どうしてこういう話が表に出ていないんだろう」と考えるようになったためです。
「私の場合は、テレビ局が私の名前や顔写真や勤務先などを無断で出したため知られるようになりました。でも、教師という立場上、いろいろな人を知っていること、監視カメラのショッキングな映像もあって注目されていることをいかして、これまでそういう体験を話せなかった人たちのために、私の体験を話そうと思いました」
しかし、キング郡検察の広報担当者は、「容疑者は事件の前後に人種差別用語や反アジア的な感情を発したりしておらず、人種が動機による犯行であることを証明するのは難しい」「ヘイトクライムでは動機を証明する必要があるが、暴行罪では動機を証明する必要がない」と述べています。KOMO によると、有罪判決を受けた場合、ホルディップ容疑者は12-14カ月の懲役刑が科される可能性があり、加重要件により最大10年まで延長することができます。
「”ヘイトクライムより第2級暴行罪の方が刑が重い” と言われましたが、そういう問題ではなく、ヘイトクライムがあるということを真摯に受け止めてもらいたいのです」と那須さん。
「実際にヘイトクライムの数が発表されていますが、私の事件は容疑者が差別用語を発しなかったためにヘイトクライムと考えられないのであれば、ヘイトクライムは実際どれだけあるのでしょう。事件が起きてからでは遅いので、みんなでこういうことがあるという認識を高めて、お互いを守っていかなくてはならないと思います」。
その一歩として、那須さんは現在のヘイトクライムに関する法令が人種差別用語(racial slur)に重きが置かれ、加害者が無言だった場合にヘイトクライムと証明できないのであれば、人を守るために法律を変えることができないか政策アドボケイトと相談し、議員に効果的にメッセージを伝えるためのテンプレートを作成したいと考えています。また、アジア系に対する差別や暴力を知ってもらうよう、自分の住む地域から選出されている議員にメールをすることも、効果がある可能性があるとのこと(居住地域から選出されている議員の検索)。
「これはアジア人だけの問題ではありません。事件からしばらくして行った病院で診察してくれたのはイスラム教徒の方で、”9/11の後にいろいろ言われた” と話してくれました。そこで、ヘイトクライムは誰でも被害者になり得るので、連帯して声をあげていかないといけないと改めて思いました」
コミュニティのあたたかいサポート
事件の発生直後から、那須さんは周囲の人々の親切にとても助けられているそうです。
「事件について知った生徒や保護者の方々はすごく驚いて、怒っている方も多く、励ましのメールやカードやお花をいただいて、サポート環境の大きさに驚きました。当初は、夜にそんなところ歩いてるからいけないんだなどと言われるかもと思いましたが、そんなことは全然なく、我が事のように心配してくれ、同僚が数日おきに食事を持って来てくれたりして、スムーズに回復できました」
那須さんをサポートしている人の中には、GoFundMe で寄付を募る活動を始めたクリスティーナ・デレオさんもいます。寄付キャンペーンを開始した動機についてクリスティーナさんは、「大変な経験をしてしまったけれども、彼女に地域の人たちの温かさを感じてもらいたかった」と話してくれました。
「多くの方々から寄付が集まり、私自身もアジア系アメリカ人として、人々の真の善良さに対する信頼を確認することができ、より良い明日への希望を新たにしました。また、さまざまな立場の人たちから寄せられた支援の声やメッセージを見て、この状況を打開するには、みんなで協力するしかないという信念に火がつきました」
ヘイトクライムを減らすために何ができると思うか聞いてみると、クリスティーナさんは、アメリカ人のユダヤ系作家エリ・ヴィーゼル氏がノーベル平和賞受賞スピーチで述べた言葉を引用しました。
“We must take sides. Neutrality helps the oppressor, never the victim. Silence encourages the tormentor, never the tormented.”
(私達は常にどちらかの味方をする必要がある。どちらにも与せずにいることは抑圧する側に加担するものであって、被害者を助けることは決してない。沈黙は迫害する者を助長し、迫害されている者を励まさない)
「私はこれまで、沈黙を守り、偏見や人種差別に関する自分の経験を共有してこなかったと思うことが多々あります。でも、今、憎しみや不正義に抗議するために、私たちは積極的に声を上げなければならないと思います。私たちは自分たちのストーリーを共有し、もう “サイレント・マイノリティ” とは見なされないようにしなければなりません。そうすれば、多くの人が集まることで強さが生まれ、思いやりのある団結を通して、前進する勢いがつくでしょう」
GoFundMe の寄付キャンペーンは開始後2週間で1000人を超える人が目標の3万5000ドルを上回る4万3000ドル以上を寄付しています。クリスティーナさんは3月23日にキャンペーンのページにこのように投稿しました。
「募金活動を開始してから今日で2週間が経ちましたが、皆さんのおかげで世界が変わりました。ソーシャルメディアや報道機関を通じて、国内で発生しているアジア人への暴行事件について認識を高めるための継続的な支援と努力が行われていることから、複数の方々からキャンペーン期間をもう少し延長してほしいとのご要望をいただきました。この GoFundMe は、今月末までの1週間、継続します」
アメリカにおけるアジア人に対するヘイトクライムとは
米国国勢調査によると、アメリカの総人口約3億2800万人に占めるアジア人の割合は約6.7%で、2017年時点で約2220万人。また、ピュー研究所の調査で、2000年から2015年の間に72%増加した、国内で最も急速に成長している人種グループであること、出身国は20カ国以上、世帯収入、学歴、英語力などにおいて幅広く多様なグループであることがわかっています。
また、アジア系アメリカ人は、アメリカの主要な人種・民族グループの中で、有権者数が最も急速に増加しているグループでもあります。2020年のアジア系アメリカ人の有権者は1,100万人以上で、有権者(今回の分析では18歳以上の米国市民)の約5%を占めています。ピュー研究所が国勢調査局のデータをもとに分析したところによると、米国生まれではなく米国に帰化した人が有権者の過半数を占める唯一の主要人種・民族グループでもあります。
では、なぜアジア人が被害を受けるヘイトクライムが増えているのでしょうか。アジア人は歴史的に見てもヘイトクライムや差別の対象になってきましたが、昨年から新たな波が来ている理由の一つとして、国営放送 Voice of America や公共放送 NPR は、新型コロナウイルスが中国で最初に報告されたという事実から、トランプ大統領や保守派の政治家・コメンテーターが中国を非難し続けたこと、そして、パンデミックによる経済や社会への影響を大きく受けている人が不満や怒りの矛先をアジア人をスケープゴートにしたことに起因するといった指摘をしています。
ヘイトクライムの定義
司法省によると、ヘイトクライムの「ヘイト」は、法律で定義された特定の特徴を持つ人やグループに対する偏見を意味しています。連邦レベルでは、ヘイトクライム法には、人種、肌の色、宗教、国籍、性的指向、性別、ジェンダーアイデンティティ、障害に基づいて行われた犯罪が含まれます。ほとんどの州のヘイトクライム法は、人種、肌の色、宗教に基づいて行われる犯罪が含まれ、多くは性的指向、性別、ジェンダーアイデンティティ、障害に基づいて行われる犯罪も含みます。
また、ヘイトクライムと認められるには、次の二つの要件が必要になります。
- 身体的暴行や脅迫などの犯罪がある
- その犯罪は被害者に対する加害者の意図(偏見から来る動機)があったことが確認・立証されなければならない
全米でのヘイトクライムの傾向
FBI の統計によると、2019年のヘイトクライムの発生件数は7314件で、犯罪件数は8559件。2018年はそれぞれ7120件、2017年は7,175件だったことから、増加が続いていることがわかります。
全米でのアジア人に対するヘイトクライムの傾向
アジア人に対するヘイトが原因の事件を追跡する 『Stop AAPI Hate』 に2020年3月19日から今年2月28日にかけて寄せられた報告は3,795件(AAPI:アジア系アメリカ人と太平洋諸島出身者 Asian American Pacific Islanders)。州別に見ると、カリフォルニア州(56.4%)、ニューヨーク州(7.9%)、ワシントン州(7.9%)、ネバダ州(5.6%)と、アジア人の人口比率の高い州が多くなっています。被害の大半を占めているのは、言葉によるハラスメント(68.1%)、無視・あからさまに避けること(20.5%)ですが、身体的な攻撃も11.1%近く報告されました。被害者の性別では女性が男性の2.3倍、年齢では子ども(0~17歳)が12.6%、シニア(60歳以上)が6.2%も占め、人種では中国系が42.2%と最も多く、日本人も6番目に多い6.9%を占めています。
カリフォルニア州立大学の Center for the Study of Hate and Extremism によると、アメリカの人口の多い順で上位16都市で発生したアジア人に対するヘイトクライムは、2020年には2019年の49件から149%増の122件で、比較的治安がいいと言われるワシントン州シアトルも例外ではなく、9件から12件と33%増となっています。
シアトル、キング郡でのヘイトクライムの傾向
2020年にシアトル警察に寄せられたアジア人に対するヘイトクライムの報告は14件。2019年の9件、2018年の6件から増加傾向にあります。また、今年に入ってキング郡検察が起訴したヘイトクライムはすでに7件で、そのうち2件の被害者はアジア系・太平洋諸島出身者であることが公表されています。シアトルのテレビ局 KING5は、シアトルのあるキング郡全体でキング郡検察が2020年に起訴を行ったヘイトクライムは59件で、2019年の39件、2018年の30件から増加していると報じました。
しかし、アジア人が被害者となる事件が大きく取り上げられるようになったのは、今年に入ってからと言えます。サンフランシスコやオークランド、ニューヨークなどでアジア人が暴行を受けて死亡したり怪我を負ったりした事件をアメリカの主要メディアが当初は報じなかったことから、ノーベル平和賞候補にもなったベトナム系アメリカ人の公民権活動家アマンダ・ウィンさんが事件について知らせる動画をインスタグラムに投稿。「アメリカの主要メディアではアジア人が被害者の事件が取り上げられていない」と訴えたことで一気に注目が集まり、主要メディアも事件を取り上げるようになりました
連邦・地方政府やアメリカ社会の反応と対応
連邦政府
バイデン大統領は、就任2日目の1月26日、パンデミック中に増加したアジア系アメリカ人および太平洋諸島出身者(AAPI)コミュニティに対する人種差別と外国人排斥を非難し、対策を講じるための覚書に署名しました。これには、司法省にアジア系アメリカ人と太平洋諸島出身者のコミュニティとの連携を強化して憎悪犯罪を防止すること、保健福祉省に COVIDへの全国的な対応において、外国人排斥恐怖症と闘うための最善の措置をとることなどの要請が含まれています。その後、NPR によると、ホワイトハウスでは3月18日に下院司法委員会で10数人がアジア人に対する差別や暴力について証言を行う聴聞会が初めて行われました。
また、3月11日に就任後初めて行われたプライムタイムの演説でバイデン大統領は、「攻撃され、嫌がらせを受け、非難され、スケープゴートにされたアジア系アメリカ人に対する悪質なヘイトクライム」を非難しました。さらに、アジア系女性6人を含む8人が銃で撃たれて死亡する事件が起きたジョージア州アトランタで事件から3日目にカマラ・ハリス副大統領と現地のアジア系アメリカ人コミュニティの代表者と会談し、死者を追悼し、銃規制の強化を求める演説を行っています。
バイデン政権は「アジア系アメリカ人や太平洋諸島出身者が閣僚レベルに就いていない」とイリノイ州選出のタミー・ダックワース上院議員とハワイ州選出のメイジー・ヒロノ民主党上院議員による抗議を受け、アジア系アメリカ人・太平洋諸島出身者のシニアレベルの渉外担当者を任命することを決定(NBC)。公平な対応を行うことで、多様な政権作りを掲げる姿勢を改めて示しました。
米国議会レベルでは、ナンシー・ペロシ下院議長、アジア系アメリカ人議員、その他の民主党の下院議員らが、全米でのアジア系を標的とした事件が増加していることを非難し、議会とバイデン政権の両方でより強力な対策を講じるよう求めました(NBC News)。また、ニューヨーク州選出のグレース・メン民主党下院議員とヒロノ民主党上院議員が、アジア系アメリカ人を標的とした暴力についても議会での対応を求め、パンデミックに関連するヘイトクライムの迅速な捜査に司法省の職員を任命する法案 COVID-19 Hate Crimes Act を再提出しています。
地方政府・一般社会
ジョージア州アトランタの事件の影響は特に大きく、地方政府、著名人、スポーツチーム、インフルエンサー、一般市民が、アジア人・太平洋諸島出身者に対するヘイトに抗議の声をあげることが増えています。国内各地で抗議活動が行われ、ソーシャルメディアでは、#StopAsianHate や #StopAAPIHate などのハッシュタグを使ってヘイトクライムに抗議する投稿が多く見られるようになりました。
ワシントン州も例外ではなく、インスリー州知事、キング郡のコンスタンティン行政長官、シアトルのダーカン市長やシアトル警察が、アジア人差別を非難し、アジア人コミュニティと連帯するといった声明を出しています。
また、インスリー知事は、3月22日にレントン市庁舎で、キング郡行政長官、シアトル市長、サントス州下院議員らが出席する記者会見を企画。「憎悪と恐怖のウイルスが存在し、しばしば “一部の政治家が煽っている” と述べ、それを打破しなければならない」と語り、議員や政府関係者に、アジア人コミュニティと連帯し、暴力を阻止するために行動を起こし、声を上げるよう呼びかけました。この記者会見で、ワシントン州最大の人口(約226万人以上)を抱えるキング郡のコンスタンティン行政長官は、先ごろ可決された大型経済対策案でキング郡に提供される4億3700万ドルの一部を使ってヘイトや偏見と闘う8団体を含む地域組織に500万ドルを提供することから始めると発表しました。キング郡にはシアトルとベルビュー、レドモンドなど、特に多様な人種・民族が住む都市があり、外国生まれの住民の割合が約23.5%(2018年)に増え、中でもアジア人が56.4%を占めていることから、こうした対策は必須と考えられます。
シアトルでは、ランドマークのスペースニードルが3日間にわたり米国旗を半旗にしたり、シアトル・シンフォニー、シアトル・マリナーズ、シアトル美術館、ワシントン大学、シアトル大学、公共交通機関、非営利団体などが、アジア人に対する差別や偏見、暴力を非難し、アジア人コミュニティとの連帯を表明するメッセージを出しました。チャイナタウン/インターナショナル・ディストリクトで3月13日に行われた『We Are Not Silent』をはじめとする抗議集会も各地で開催されています。
アメリカの公共放送 PBS は、昨年放送したアジア系アメリカ人の歴史ドキュメンタリー5部作『Asian Americans』をウェブサイトで無料で再公開しています。(公開終了日は発表されていません)
PBS: Asian Americans
www.pbs.org/show/asian-americans/
戦争中にシアトル地域の日本人・日系人が強制収容されたことも含めて、アメリカのアジア人の約150年の歴史は、努力、差別、抗議、抵抗の歴史でもあることがよくわかります。
森山陽子さん 「すべては一人一人の行動から始まる」
シアトルでリーダーシップ・トレーニングやダイバーシティ・トレーニングを提供している森山陽子さんは、「カリフォルニア州でアジア人が被害にあう事件が報じられてはいたものの、日系アメリカ人・日本人の人口比率が高く、日本人にとって住みやすいというイメージのあるシアトル地域で日本人が被害者となる事件が起きたことで、改めてアメリカ社会における人種問題を知っておく必要がある」と考え、アメリカ在住の日本人を支援する非営利団体 JIA Foundation のニュースレターに、ヘイトクライムについて紹介する記事を執筆しました。
– シアトルで日本人の方が被害者となった事件を通して、改めてアジア人が受ける可能性のある差別や暴力について考えさせられている人も多いと思います。
そうですね。アメリカで英語を使って仕事やボランティアをしたりして現地社会に入り込んでいる人の場合、自分はアメリカに住むアジア人なのだと意識する、もしくは意識させられることがあるでしょう。でも、そうでない場合はなかなか自分も “アジア人” だと感じていないかもしれません。アジア人と言われても、言語も宗教も文化も歴史もとても多様ですから、ひとくくりにはできません。でも、「自分は日本から来た日本人で、他のアジア人とは違うし、アジア系アメリカ人でもない」「身ぎれいな恰好をしていれば、日本人は襲われない」などという発言を耳にしたことがありますが、日本人もアジア人です。ですから、他人事ではなく、自分事としてアジア人へのヘイトクライムについて受け止める必要があると思います。
– ヘイトクライムにはどのように対応するのが良いと思いますか。
自分が当事者ではなく、そこに危険がないのであれば、積極的に関わっていくことはとても意味があります。警察に連絡したり写真や動画を取って記録をするといったことも、ヘイトクライムを立証する上でとても役に立つはずです。前述のヘイトクライムと認められるための二つの要件のうちどちらか、またはどちらも確認・立証されない場合は単なる暴行事件として処理されてしまったり、被害者が英語を十分に話せない場合は警察に報告されなかったりすることから、実際の数字は公に報告されている物よりもずっと多いだろうと言われています。
JIA Foundation のニュースレターにヘイトクライムについて書こうとしていた時に、Center for Anti-Violence Education が日本語を含む6つのアジア言語で作成して無料配布している小冊子『Stay Safe from Hate』のことを知りました。この冊子には攻撃に対する平和的な対応方法がまとめられています。相手のことを尊重しながら自分の気持ちや意見を伝える assertive communication というスキルや、暴力的でなく、共感と思いやりをベースとした対人スキルをもとにした内容で、どちらもDV防止やリーダーシップ・トレーニングなどでも使われ、実証済みで効果的な方法です。
でも、護身術ができない人が身を守ろうとしてもそれらしいことをやっても効果がない可能性が高いのと同じで、こうしたコミュニケーションスキルもきちんと習得しないで下手に介入すると事態を悪化させてしまうかもしれません。ただ、知らないよりはいいので、知っておいた方がいいと思います。急に攻撃されては避けようがありませんが、基本はやはり、危険があったら逃げて、自分の安全を確保すること。それから、通報するのが一番いいと思います。落ち着いたら、アジア人に対するヘイトが原因の事件を追跡する 『Stop AAPI Hate』 に報告すると、ヘイトクライムに関する教育用の資料や、ヘイトクライムの収束を働きかける政策に役立てられます。
また、ヘイトクライムの被害者は自分の存在を否定されるわけですから、その心理的苦痛は相当のものと言われます。ですから、被害者の方には「あなたは何も悪くない。私はあなたの味方だ」と伝えることも大切です。
– ヘイトクライムを防ぐには。
やはりトレーニングが大事だと思います。TED Talk などでもダイバーシティに関するトレーニングを紹介している動画があるので参考になると思いますが、「私を見てください。私を見て何を思いますか」というところから始めます。自分が誰かを外見だけでどう判断するか、どういうステレオタイプを抱いているか、どういう情報を得ているか、それを自分の中で組み立て、「こうに違いない」と勝手に結論を出した時に偏見となります。それを逆算して考えると、勝手な結論を出すのではなく、自分の持っているバイアスに気づき、そういう自分を知り、相手を知ることが大事だとわかると思います。これは自分一人でもできることですね。
社会や国のあり方を変えたいと思ったら、何をしたらいいのか。すべては一人一人の行動から始まります。一人一人がヘイトクライムに関する知識を身につけ、それを他の誰かとシェアすること。人を個人として知ることで、自分の知識を増やし、世界を広げること。そして自分のことを知ってもらい、アジア人にもいろいろな人がいて、同じ人間であることを知ってもらうこと。そういう行動が連帯につながって、コミュニティが生まれます。それを広げて、よりよい社会を作ることにつながっていくと思います。
私たちにできること
シアトルのNBC系のテレビ局 KING5で17年にわたりニュースアンカーを務めた日系アメリカ人のローリー・マツカワさんは、NPR 系の公共ラジオ KUOW のポッドキャスト『Seattle Now』 で3月25日に公開されたエピソードで、一人一人ができることとして、次のような行動を呼びかけました。
- 歴史・差別構造・民族・先住民や有色人種に対する差別について学ぶ
- バイスタンダー・ワークショップに参加し、ヘイトクライムや差別などの現場に居合わせた場合の対応を学ぶ
- 自分のプラットフォームがある人は、ヘイトクライムや差別などに対する反対意見を主張すること
マツカワさんの呼びかけにあるようなバイスタンダー・インテンショナル・トレーニングは、オンラインでも提供されています。ハラスメントをなくすための活動をしているHollaback! と Asian Americans Advancing Justice(AAJC)が提供しているワークショップは誰でも無料で参加できます。
ヘイトクライムを目撃したり、被害にあったりした場合には、Stop AAPI Hate が日本語でも提供している「ヘイトの経験や目撃をした方への安全上のアドバイス」も参考になります。
シアトル警察は、偏見に基づく事件や犯罪を専門とする 『Bias Crime Unit』 の担当者を暴力犯罪課に配置し、フルタイムのバイアス犯罪コーディネーターである担当刑事が、連邦捜査局、連邦検事局、キング郡検事局、シアトル市検事局、近隣の法執行機関、シアトル公民権局などの政府機関と協力し、事件の犯罪捜査を行うと説明しています。
人間はもともと差別感情を持って生まれてくるわけではありません。そもそも、肌の色や人種の違いにしても、それは単なる違いであり、それ以上の意味はないものです。しかし、成長するにつれ、まわりから受け取る情報によって歪んだ価値観が作られ、偏った教育や体験によって強化されたりもします。
アメリカ国籍でなかったとしても、また、アメリカで自分自身が差別や偏見や暴力を体験したことがなかったとしても、それは差別や偏見や暴力が存在しないことを意味しません。また、黙っていては、被害があることも知ってもらえず、対策を講じることもできません。アメリカで暮らす自分たち、そしてこれからの世代のためにも、一人一人が学ぶこと、伝えること、主張することをそれぞれの形で実行し、差別や偏見、暴力を容認しないよう、協力しあっていけたらと思います。
更新:2021年3月31日 意図がより明確に伝わるよう、森山陽子さんと相談の上、発言の一部に修正を加えました。