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第3回「シアトルでも着物を楽しむことに終わりなし!」 バーナム真里子さん

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シアトルでも着物を普段着に

「もう一つ、私がとても嬉しかった思い出は、アメリカで生まれ育った娘が成人になった記念の日に日本で着物を着ることができたこと」

バーナム真里子さん
岐阜県出身。レイク・ワシントン学区職員。短大卒業後、地方公務員を経て、ケンブリッジにある語学学校へ。日本の子供英語学校で教鞭をとり、結婚を機にアリゾナ州へ移住した後、育児に専念。夫の転勤でシアトルに引っ越し、モンテッソーリ幼稚園での12年に渡る勤務を経てレイク・ワシントン学区に転職し、現在に至る。

着物。着物らしい着物を初めて着たのは七五三の時で、その写真は実家にあるアルバムに大切に保管されている。

その後は叔父や叔母の結婚式で、その後は成人式で。結婚が遅かったおかげで成人式で母にこしらえてもらった振袖は友人の結婚式で何度も着ることができた。その頃習っていた茶道のお茶会では訪問着などを着たり、思い出すと何度も結婚前に着ていたけれど、結婚してからはすぐ子供ができたので着物を着る機会はまったくなかったし、着たいという願望も子育ての忙しさの中、失っていた。

元をたどれば、私の着物との縁は、産まれた時からあったのではないかと思う。母の実家は絹織物の会社を経営していたので、大きな工場があり、その工場の機織りの音を聞いて育ったといっても過言ではない。

母の実家と私の実家(母が今住んでいる家)は自転車で15分ほど離れているだけなので、小学生くらいの時から妹と二人だけでよく遊びに行っていたが、工場にいた叔父叔母を呼ぶには声を張り上げなければいけなかったのを覚えている。

祖父はいつも小さな仕事部屋で出来上がった絹の真っ白な反物の端にちょっとだけほつれて出てきていた糸を小さな糸切りバサミで切っていた。反物をくるくると両手で回しながら、ハサミで切る祖父の様子は、今でも頭の中に鮮明に残っている。そういった地道な作業一つ一つでできあがる着物を小さいころから見ていた。

でも、そういったことに感謝することもなく、結婚するまでは、定番のお祝い事などの決まった機会に着るものという単純な発想で着物を着ていたように思う。

アメリカに嫁いでから両親がこちらに遊びに来てくれた時に、独身時代にこしらえてくれた着物と帯を持ってきてくれた。それを着る機会に恵まれたのが、職場の上司の結婚式だった。お友達に着せていただいて着てみたら、なんかいつもと違う、しゃんと背筋が伸びて笑顔の自分を発見し、日本人であること、日本人の伝統衣装を着ていることを誇れる人間であることを急に意識できたことがとても嬉しかった。

シアトルでも着物を普段着に

その後、茶道教室に通わせていただくご縁ができ、お稽古に伺う時、私の所属する茶道裏千家淡交会シアトル協会の初釜などのイベントで着物を着る機会があり、そのたびに自分らしさを感じる。

着物は着れば着るほどうまく着れるようになるし、作法や所作が身についてくる。着物には TPO があり、お友達とのお食事会などはカジュアルな着物、結婚式などにはフォーマルな着物などなど、奥が深い。つまりは着物を楽しむことに終わりがない!また、着物と帯のコーディネート、帯のさまざまな結びかた、そういう自分なりの工夫やクリエイティブな面を楽しむこともできる。

以前ある友人にお誘いいただいてオペラ 『蝶々夫人』 を観に行くことができた。その時、多くの観客の皆さんに、「着物を着て来てくれてありがとう」と言っていただけた。自分たちの伝統をこの土地の人たちとシェアすることができたこと、そして、伝統を継承しているという姿勢を見せることができ、これまたとても嬉しかった。

もう一つ、私がとても嬉しかった思い出は、アメリカで生まれ育った娘が成人の記念の日に日本で着物を着ることができたこと。母が25年以上もの間大切に保管しておいてくれた、妹が成人式に着た振袖と妹と私が付けた帯、かんざしなどを身にまとった娘の着物姿は、感慨深いものがあった。

シアトルは幸いなことに夏も過ごしやすく、一年中着物を着ることができる。着物を保管するのも、湿気が少ないので日本に比べるとまったく難しくない。ありがたいことだ。

着物に興味のある人なら、人種を問わず着て楽しんだらいい。そしてみんなで集まって着物談義などしながら、楽しい時を過ごせたら最高だと思う。無限の可能性がある着物を一緒に楽しんでみませんか?

掲載:2018年2月 文・写真:バーナム真里子



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