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ショコラティエ・辻口博啓氏の新たな挑戦 「スイーツで日本の地方を元気にしたい」

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渡邉崇監督(左)・辻口博啓氏(右)
Photo by Ashlyn Gehrett

斬新な発想で新しいチョコレートの開発に挑戦する、世界的に有名なパティシエでショコラティエの辻口博啓(つじぐち・ひろのぶ)氏に密着したドキュメンタリー『Le Chocolat de H』 が、第45回シアトル国際映画祭で上映されています。

20代から数々の製菓コンクールで優勝し、30代で独立してから今までにそれぞれまったく異なる13のブランドを展開しながら新境地の開拓を自分に課してコンクールに参加し続ける辻口氏は、5年連続で最高評価を受賞したパリで開催される世界最大のチョコレートの祭典『サロン・デュ・ショコラ』の「C.C.C.:Club des Croqueurs de Chocolat」の品評会に向けて、これまでになかった発想でのチョコレートを制作すると覚悟を決めます。

辻口氏の生い立ちから、ケーキ作りに目覚めたきっかけ、故郷への思い、カカオの原産地エクアドルや日本での素材探し、そしてクライマックスの品評会まで、9ヶ月をかけて撮影し制作されたこの作品の上映にあわせてシアトルを訪問された辻口氏と渡邉崇監督に、30年以上にわたるキャリアを通じて新たな境地を開拓し続けることの原動力、これからさらに挑戦していきたいことについて、お話を伺いました。

【作品公式サイト】chocolat-movie.com

– シアトルでの上映で、渡邉監督がお感じになられた反響、いただいたコメントで印象に残ったものなど教えてください。

渡邉:今回上映してみて感じたのは、観客の上映中の反応が日本よりも良かったこと。特に笑い声がよく上がっていたのは意外でした。日本では「にやり」とするくらいのところで、声が出ているな、と。非常に温かい雰囲気で上映することができました。また、上映後も、英語を話せない私に向かって、観客のみなさんが肩を叩いてくれたり、"Excellent" "Beautiful movie!" と声をかけてくれて本当に感激しました。

そして、映画のことを話したら、「明日見に行くよ!」と言ってくれたウーバーのドライバーさん、レストランのウェイトレスさんなどが、本当に家族を連れて劇場に見に来てくれたのです。日本ではこんなことまずないので本当に得がたい悦びをたくさんもらった映画祭になりました。

– 辻口さんが常に挑戦し続ける、その原動力は。

辻口:もっと進化できる。もっとクリエイティブになれる。そう思ってやっています。それがあっているかあっていないかは、やってみないとわからないし、あっていなかったらまた元に戻せばいいだけの話です。そうやって試さずして理解しようとするより、試してみてだめならやめればいいだけの話で。そういう思いの中で、いろんな事業をやっています。

– 挑戦することは、勇気をともなうとも言います。例えば、シアトルに留学してきていても、新しいことに挑戦するのが怖いという人もいます。

辻口:留学してきているだけでもポジティブじゃないですか?僕も七尾(石川県)の実家があったら、そこに帰って、ちょっと保守的な思考になってしまったかもしれない。でも、いいか悪いかはわからないけど、親父が借金の保証人になってしまって、家も店も家族も崩壊してしまったのが僕が18歳の時でしたから、もう人生の底辺を見たというか・・・。お金もないし、母親は死ぬことを考えるほど追い込まれるという、本当にえらい状態でした。それ以上悪くなるということは考えられないような状況だったのです。だから、僕にとって手探りで進むしかなく、「とにかく何でもトライしていこう」と。当初はコンクールとかより、一輪車を引いてロールケーキを作って売ろうかなというぐらい、(パティシエの修行を始めた時の)初任給は4万5千円でしたから、少しでも起業して何とか自分の生きるスタイルというものを見つけなければと思っていました。今から30数年前のことです。

– その頃からどんなお気持ちで作品を創り続けていますか。

辻口:やはり「生きる」ということがテーマですね。どうやって生きようかなと。それが最終的に技術を極めるというか、それが自分自身を生かす最良の方法だということを感じました。賞をとるということは、ただ単にいいものを作るのではなくて。自分の中での美意識だとか、自分の中でどうそれに対して進化していく必要があるのかとか、想像的な破壊を繰り返さないと、「またこいつ出てきたよ」となってしまう。同じような作品で、名残があると、落とされてしまう。優勝できるのは一人だけ。ということは、圧倒的な差をつけて勝たないと、次の年はまた難しくなる。「あ、また彼だね」と思われてしまうと、やはり一次審査も通らない。あくまで自分でないような、昨年の自分を超えたもので勝負していかないと、面白いと思ってもらえない。

だから、創造的な破壊というか、昨年までの自分は良かったんだけど、今年は「じゃあ次、どういう自分で行こうか」と、新しい自分を生み出していかないと、次の賞は取れない。そうしてコンクールに向けた創造的な破壊を繰り返すのと同時に、事業も『モンサンクレール』で総合的なパティスリーをやったら、ロールケーキの専門店『自由が丘ロール屋』、そして和の素材を使ったラスクの専門店『和楽紅屋』だったりとか、その途中で『ル ショコラ ドゥ アッシュ』というチョコレートの専門店に変わっていくんですが、最初に出した総合的なパティスリーの『モンサンクレール』を見て、チョコレート専門店の『ル ショコラ ドゥ アッシュ』を見たら、同じ経営者が、同じオーナーシェフがやっているとは思わない。それほど、それぞれ違う。同じ店を切り取っていくのではなく、まったく違う自分になっていくというか。
そうしているうちにブランドが13にまで増えました。それはコンクールに向けて創造的な破壊を繰り返してきたことが、事業でもそういう形になったわけです。

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『Le Chocolat de H』

– 辻口さんにとって商品が最大の自己表現。2018年の『サロン・デュ・ショコラ』の「C.C.C.(Club des Croqueurs de Chocolat)」の品評会に出された新作『陰影礼讃(いんえいらいさん)』もそうですね。

辻口:コンクールに出すということ、特に世界大会というのは、世界中のいろいろな人たちの創造と発想が集まるところです。上位を取っている人たちのいろいろ発想を知ることになります、金賞を取っている人たちの作品を食べてみると、やっぱりそれぞれがすごい覚悟の上で新しいことにトライしているということに気づかされます。
「これでいいや」と、自分の世界だけに、殻にこもっていては、大海を知ることができない。世界がどういうふうにチョコレートというものをとらえて、想像し、表現をしているかを知ることが常に必要です。自分自身もそういう人たちをとらえて、そういう人たちがまた、僕がやろうとしていること、やったことに、驚きを見出す。お互いそういう刺激を与えながら、人生の中でキャッチボールをしているのだと思う。そういうことが僕の中では大事なんじゃないかなと思っています。
お店だけをやるのももちろんいいのですが、お店をやりながら、そういう世界のパティシエやショコラティエと自分の想像力を戦わせる、そういう中に身を置くことが、自分自身の創造性をさらに高めてくれるし、いろんな発見、気づきがあります。他の国の人たちが何か面白いものを見出してやることを見て、さらに勉強する自分がいたりします。

– 日本から世界へと常に考えているということでしたが、それが日本の発酵食品を使った新作のアイデアにつながったのでしょうか。

辻口:チョコレート自体がカカオを発酵させて作る発酵食品なので、日本のみりん、こうじ、酒といった発酵食品とかけあわせる、それが僕のチョコレートの世界だということです。フランス人にとっても新しいと思いますね。
同じ「日本酒」でも、味がそれぞれぜんぜん違う。蔵が持っている菌とかが違ったりするし、素材も違ってくる。菌が違い、微生物が違うことでもたらされた発酵によってそれぞれ変わってくるので、北から南まで、それぞれの土地で味噌やしょうゆやみりんなどの発酵食品の形が違う。それだったらこの素材があうんじゃないかと、自分の中でいろいろ仮説を立てながら、挑戦してチョコレートを作っていく。(今回の品評会では)そういう世界が認められたということですよね。

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『Le Chocolat de H』

– これからの新しい挑戦は。

辻口:日本は少子化がどんどん進み、地方そのものが冷え込んでいるので、もっともっと日本に活力を持たせるのが大事だと思っています。日本の地方にはそれぞれの文化があります。祭りだとか、その土地の食文化だとか、日本人も知らなかった日本、そういうものを再発見してもらって、その村や地方に人を流入させたいと思っています。その土地の野草、花、果実、スパイス、そういうものを使って地域の特産を使って地域そのものを元気にしていくという地方創生と言いますか、スイーツで町興し、村興しというものに、本気で取り組んでいきたいと思っています。

石川県では過疎化しているところに店を出して、たくさんのお客様に来ていただいています。こんなに田舎でも人が来てくれる。そこに人が来てくれるということは、雇用も促進される。雇用も促進されることで地方に税金が落ちる。そういう流れを今後も展開していきたい。

フランスは食に対する考え方が日本と似ていて、フランスに行くとしっくりきます。アメリカでも、トップを極めている人はよく知っていて、日本にもよく来ていますし、日本のものづくりや食に対する考え方を、むしろ日本人より知っています。トップのアメリカ人は、食に対する感度、健康に対する認識、本物を探求する力が強く、世界中のありとあらゆるものを理解している、そういう感じがします。食のインフラの整備はもっと必要だと思いますが、インターネットやSNSで異なる食文化がさらに浸透してきていますし、食に対する考え方はさらに変わり、これからアメリカも美食の国になっていくんだろうなと思っています。

– ありがとうございました。

辻口博啓(つじぐち・ひろのぶ)略歴
1967年、石川県生まれ。小学生の時にショートケーキの美味しさに感動し、パティシエを志す。高校卒業後、東京で修行を始め、20代からさまざまな製菓コンクールで優勝。フランスのコンクールにも活躍の場を広げ、30代で独立し、最初の店『モンサンクレール』を皮切りに、現在はそれぞれまったく異なる13のブランドを開発。常に新しい境地を開拓することを求め、コンクールへの出場を通して自身の技術や創造性を磨き続けている。公式サイトは www.h-tsujiguchi.jp

編集後記:「なぜ挑戦し続けるのですか」と伺うと、辻口さんは「変わらないでいるほうが難しくない?僕は飽きっぽいし、変わらないとやっていけない」と笑顔でおっしゃっていました。変化の速い社会で、自分をアップデートし続ける。その努力の中で辻口さんがブレないのは、この作品でも触れられていた「スイーツで人を幸せにしたい」という変わらない思いがあるからだと感じます。地方の特産物をいかしたスイーツで日本の地方を元気にするという次の挑戦が、すでに石川県で実を結んでいるとのこと。ファンがお客になり、お客がファンになる。多様な特産物のある日本全国を巻き込んでいく可能性を大いにありますね。また、インタビュー終了後、シアトルでの生活や多様なアメリカ人の食文化について、いろいろと質問されたことが印象に残りました。常にアンテナを張り、さまざまなことに興味を持っているのは、常に挑戦し続ける人の共通点。次回があるとすれば、シアトルのシェフやパティシエ、ショコラティエとのコラボができるチャンスがあれば嬉しく思います。

掲載:2019年5月 取材:編集部/オオノタクミ



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