MENU

徐みづきさん 「障害のある人が自分らしく働ける社会作りに貢献したい」

  • URLをコピーしました!
徐みづきさん

マイクロソフトにて。中央が徐みづきさん

第35期 ダスキン障害者リーダー育成海外研修派遣事業の個人研修生として、アメリカ・ニューヨークのシラキュース大学を拠点に、「障害者の能力を職場で最大限に発揮させるには」をテーマにした研究を行っている徐みづきさん。京都に生まれ、2歳4ヶ月の時に特発性脊髄障害による両下肢麻痺と診断され、小学校入学時から車椅子で生活。鹿児島で短大を卒業後、ウィスコンシン州立大学に編入して卒業。帰国後は東京で大手企業を含む3社に勤務しキャリアを積んできた。日本とアメリカの障害者の環境の違いなどから疑問に感じたことも多く、「もっとたくさんの障害者が自分のしたいこと・できることで仕事に就けたら」という思いを抱くようになり、一年にわたりこの研究を行っている。日本で身体障害者とされる人の数は約300万人。今回はみづきさんのこれまでの経験、そしてスターバックスやマイクロソフト、ワシントン大学などをはじめとする、シアトルを代表する企業や教育機関を訪問した体験を聞いた。

シラキュース大学 Burton Blatt Institute
徐みづきさんのブログ

将来が見えなかった幼少時代

まわりに働いている障害者がおらず、夢を持てない時期があった。

私の場合、障害のある人がまわりにおらず、障害のある人がどう暮らしているのか、子供の頃はまったくわかりませんでした。「将来何になりたいの」と大人が聞いてきたとき、幼い時は自分について深く考えることもなかったので、「お花屋さん」など普通の女の子が答える夢を言っていました。でも、車椅子でできること・できないことが次第にわかってきた段階で、車椅子で働いている人を日常生活で見かけることがなく、大人になって自分ができることはなんなんだろうと。

4歳の時から習っていたお琴の先生は足が悪くても働いていた唯一の大人でした。結婚をして子供も3人いらっしゃったので、私もお琴の先生にはなれるのではと思いました。しかし、保健の先生に「お琴の先生では自活できないのでは」と現実の厳しさを言われたんです。また、私の母は独身時代、公務員をしながら日本舞踊の先生もしていたので、芸の道の厳しさをよく知っている人間でした。そのため母もまた、私が甘い気持ちで琴の世界に進むことにあまりいい顔をしませんでした。今でも覚えている母の言葉があります。「みづきがお琴しかできないんだったら、その道に進むしかない。でも、あなたは他にもできる事がたくさんあるでしょう」その言葉を聞いてから、私にできる事は何だろうとしばらく悩む日々が続きました。

もし、日常生活で目にする場面で車椅子の大人が働いていれば、私も幼い時から自然に夢が見られたはずです。私が障害者雇用をもっと研究したいと思ったのは、いろんな業界・職種で活躍できる障害者が増えてほしいと思ったからです。そうすれば、自分の子供に障害があっても、途中で障害を負っても、大きくなったら何になりたいかと親子で夢を描けると思うから。今の障害者たちはもちろん、未来の障害者の仕事の可能性を広げることができる。そうすることで、障害者に対する社会のネガティブなイメージも少しずつ少なくできるのではないかと思っています。

日本での就職活動で感じた壁

「自分がやりたいこと」と「障害者枠」で決められたポジションとのギャップ

日本の法律では従業員を50人以上雇用している企業は、障害者を2%以上雇用しなくてはならないと決められていますが(※1)、その2%があるからこそ、企業が障害者を雇用しようと積極的になることもあれば、「うちはもう2%を満たしてるので」とそれ以上の障害者雇用を断るケースもあります。数値にすごく左右されていて、人として障害者をあまり見ていないところがまず気になりました。

※1障害者雇用促進法43条第1項

また、自分自身がやってみたい職種がある程度あり、その仕事に活かせる自分のスキル・能力・経験を伝えても、「障害者枠」で企業がすでに用意しているポジションは一般事務、部署で言えば人事や管理部で採用されているところが多いです。私は営業職がやりたかったのですが、「車椅子で、外に出てクライアントに会いに行く途中で何かあったら困るので、障害者の人は営業事務以外は難しい」と言われたこともあり、できて営業事務でした。

鹿児島の短大を卒業してからウィスコンシン州立大学に3年次編入したのですが、そこでは「車椅子だからこれはできない」と言われることのない環境を体験しました。「車椅子でもこんなに自由に生活できる」「車椅子でも平等な機会が与えらえる」という中で生活していたので、帰国後は、アメリカと日本のギャップがよけいに大きく感じました。アメリカの「本人がやる気さえあればできる」という環境と、日本の「障害者だから、これができる、これができない」とあらかじめ決められている環境の違いは、なぜなんだろうと強く思いました。

最初の就職活動では旅行業に一番興味があり、ウィスコンシン州立大学在学中に各社に依頼をして、卒業後、東京にある日系大手旅行代理店の説明会に行きました。会場に到着すると、杖をついた人や車椅子の人などが集まっていてビックリ。一般的な就職説明会ではなく、その会社が持っている特例子会社(※2)の説明会であることに気づきました。

※2 厚生労働省公式サイトより:障害者の雇用の促進及び安定を図るため、事業主が障害者の雇用に特別の配 慮をした子会社を設立し、一定の要件を満たす場合には、特例としてその子会社に雇 用されている労働者を親会社に雇用されているものとみなして、実雇用率を算定できることとしている。

そのまま特例子会社の仕事内容を最後まで聞きましたが、4年制大学を卒業している人にとっては物足りないレベルですごくショックを受けました。当時、車椅子利用者向けの海外旅行はいろいろなものがパッケージ化され高額になっていました。しかし、車椅子といっても状態は一人ひとり異なります。車イスのまま入れるタクシー、完全バリアフリーは客室など、人によっては必要ではない場合もあります。私は「車椅子の人たちが、それぞれの自分の好みに合わせてカスタマイズして費用を抑えた旅行を作りたい」と思っていました。それを特例子会社説明会の担当者に伝えると、「今はこの特例子会社で旅行の企画をしている人はいません。でも、ここの業務の一つであるお客様のパスポート番号をパソコンに入力することだって、旅行を作っている一環とみづきさんが考えられるかどうかだと思います」と。考えようによってはそうかもしれません。しかし、パスポートの番号入力という業務は、私の持っているスキルや経験、アメリカで勉強したことを十分に活かせるものではないと感じました。また何よりもその会社が、私を一人の人材としてではなく、障害者というラベルを貼られたグループの一人としか見ていないことに嫌悪感が残りました。

当時、アメリカ企業の日本支社でも、提示されたのは社員用リラクゼーション・ルームの受付というポジションで、求人票にははっきり「障害者採用」と書いてあったことがあります。「障害者だからこれ」ともう決められているんですね。アメリカ本社だったら、そんなことをしたら問題になるはずです。すごく失礼だと思い、さすがに、「今回、私はこのお話に対して何もすることはないですが、他の障害者の人にこういったことは絶対にしないでください」と伝えました。

仕事をしながらも感じ続けた、「何かおかしい」。

旅行会社、メーカー、アパレル。大手企業3社で働いた6年間。そのどれもで疑問を感じ続けた。

その後、イギリス系の小さな旅行会社に就職することができ、3年にわたり働きました。その会社にとって初めての障害者採用で、最初から希望の営業職ではありませんでしたが、他の方と同じように働き、ロンドン本社と毎日英語を使いながら、ヨーロッパのホテル手配、契約、料金交渉を担当していました。

でも2年目を過ぎた頃から「この仕事は英語は使えるけど、自分がやりたいことはできない。自分がしたいことができる会社へ行こう」と考え始め、大手メーカーの海外マーケティング部署に転職しました。やはりメーカーは40~50代の男性中心の業界で、全体的に女性も若手も少なく、目に見える障害のある人は見かけませんでした。面接時にはいろいろな業務をさてもらえると言われたにも関わらず、実際は庶務業務が主。基本的に十分な仕事がありませんでした。人って必要とされていないと感じると、その場所に行く意味がわからなくなりますよね。上司に相談しても「そのうち、そのうち」と言われ続け、次に進んでいる感じがしませんでした。その会社は売り上げの7割がアメリカやヨーロッパで、海外のほうが圧倒的にシェアが大きいグローバル企業と表からは見えますが、東京本社では郵便物を郵便室から持っていくのも、上司が買ってきたお菓子をくばるのも、なぜか女性。女性を軽視するような男性社員の発言も度々耳にして、こういう考えのところでは長く働けないと思い、約1年後に、日本と海外に約1,200店舗を展開している大手アパレル会社に転職しました。

その会社の面接では、「忙しい部署に入りたい」「私を必要としてくれるところに入りたい」と伝えたところ、面白い子だと見てくれ、経営戦略部に配属されました。担当したのは CSR (Corporate So-cial Responsibilty = 企業の社会的責任)という業務で、会社のリソースを使って環境・人・地域に貢献する活動を企画・運営するというもの。その業務の一環として同じグループ企業内にある特例子会社の環境改善も担当することになり、実際に4つの県にある特例子会社の事務センターと物流センターを訪問しました。

そこで学んだのは、特例子会社で働いている人はそれぞれ求めているものが違うということ。ある人は、毎日単調な業務の方がスムーズに仕事ができる。またある人は、頻繁に通院が必要だから業務量は少なめでも休みが取りやすい方がいい。私がそれまで想像もしなかった言葉が次々に出てきて、良い意味で期待を裏切られました。特例子会社全体が一概に悪いわけではないということを彼らから学んだのです。でも、中には「もうすこし複雑な仕事をしたい」と希望している人もいて。特例子会社にいったん入ってしまうと業務が限られてしまい、そこからなかなか本社に移ることもできず、キャリアアップできないという状況があります。そういう人たちの能力を伸ばしていける仕組みも必要だと初めてそのとき感じました。

担当業務の中でも、徐々にこの障害者雇用に関心を持ちはじめ、ただ単に障害者を雇用するのではなく、障害者の能力を活かした働き方を実現したいと考えるように。ある日、友人に相談したことがきっかけで、海外の様子を調査するというアイデアが浮かびました。

ニューヨーク州のシラキュース大学にある研究所へ

ダスキン愛の輪基金のスポンサーを得て、1年の予定で渡米。テーマは「アメリカの障害者雇用」。

徐みづきさん

スターバックスにて

その日の夜、障害者向けの留学奨学金をさっそく調べました。視覚や聴覚障害者を対象にしたものが多かったのですが、偶然目にしたダスキン愛の輪基金のプログラムは障害の限定なし。締め切りまで残り1週間しかなかったので、アメリカの障害者雇用について研究すると決め、急いで書類を準備し、消印有効の日に提出しました。アメリカに決めたのには理由があります。ウィスコンシン州に留学していたころ、車椅子の人が店頭で働いているという、日本では考えられない光景に衝撃を受けたのです。障害者にも広い業種・職種で働く機会があるアメリカに行けば何かヒントが得られるかもしれないと考えました。このダスキン愛の輪基金のプログラムは、研修生自身が研修をしたい国を選び、自分で研修地も探す必要があります。私は調査のテーマが障害者雇用だったので、最初はアメリカの企業に入り、その企業で障害者がどのように働いているか学びたいを考えていました。しかし、状況はとても厳しかったです。3ヶ月をかけて80社以上コンタクトをとりましたが、良いお返事はいただけませんでした。

かなり行き詰まってきたころ、大妻女子大学人間関係学部人間福祉学科の小川浩(おがわ・ひろし)教授にお会いしました。小川教授は障害者雇用で取り入れられているジョブコーチ制度をアメリカで学び、日本に紹介された方です。研修できる企業が見つからないと話すと、「アメリカ企業に入るのは最難関だと思う。やはりその企業に入ってしまうと、その企業のことしかわからない。それよりいろんな会社を見たほうがいいのでは。そういう環境がなぜできているのか、過去の出来事や法律も考えたほうがいい。大学の研究所であれば、資料もたくさんあるし、その分野を研究をしている教授と交流できる。住むところも学生寮という手段がある。研究所に所属しながら、各地に話を聞きにいったほうがいろいろな情報を得られるのでは」と返ってきました。そのアドバイスにとてもしっくり来て、帰宅してすぐに障害者関連の研究所を持っているアメリカの大学を調べ複数の大学にメールで連絡してみたのです。

すると、シラキュース大学内にある Burton Blatt Institue という研究所の所長から細かい質問とともにすぐ返事が返ってきました。ちょうどその2日前まで東京で講演会をしていたらしく、なんだか縁を感じてくださっていたよう。また、私は東京で仕事をしていた時期に東京大学 先端科学技術研究センターの近藤先生にお会いしたことがありました。過去に、シアトルにあるワシントン大学の障害者教育支援プログラム DO-IT Programでも研究されており、現在日本版の DO-IT プログラムを実施されている方です。偶然にも近藤先生と Burton Blatt Institue の所長が以前から知り合いだったらしく、私を推薦してくれて、数日のうちに受け入れ許可をいただきました。アメリカの研究所は修士号以上がないと受け入れてもらえないことも多いので、この時は本当に人のご縁に感謝しました。

研修先を企業から大学研究所に変更したのが2015年6月の末。7月の上旬には行き先がシラキュースに決まり、それからビザを取得しました。9月の中旬には住むところも無事に決まり、10月に渡米しました。

シラキュースのインクルーシブな教育システム

学校内に充実した施設があり、さまざまな子供たちが一緒に学んでいる。

アメリカに来てから知ったのですが、シラキュース大学は障害学というのを学問として最初に始めた大学で、障害者の高等教育を始めたのもシラキュース大学が最初と言われています。アメリカのほとんどの大学では障害のある学生をサポートする専用オフィスがありますが、シラキュース大学は障害のある学生をサポートするオフィス、障害のある職員をサポートするオフィス、そして文化として障害の理解促進をするイベント企画・運営をするオフィスという3つの独立したオフィスを持っています。障害者をテーマに研究をするにとても良い場所を選んだと実感しています。

でも、街自体はシアトルのように坂が多く、特に冬は曇りがちで青空が見えず、治安も決して良いとは言えません。早く友達を作らないと生きていけないと最初はすごく不安に感じました。

幸運にもすぐに知り合いができ、日本人ご家族のお子さんたちが通うプリスクールを訪問させていただくことに。教育は私のリサーチテーマとは異なるので興味本位で行ったのですが、私が経験した日本の学校と全然違う環境にただただ驚きました。そのプリスクールはインクルーシブな教育の代表になるようなところで、すべての教室で障害の有無に関係なく子供たちが一緒に学び、必要な子供には先生が一人ついています。みんなが同じことをする時間もありますが、子ども一人ひとりが興味のあることを追求できるクラス作りがされていました。また、校内には理学療法士や作業療法士など専門家が在籍しており、クラスの一部の時間を使って別室でトレー二ングも行っています。私は小学校から短大まで、ほとんどの場所で最初で唯一の車椅子の生徒でした。その環境から、日本では健常者と障害者は分けられているのが普通という感覚で育ったのです。しかし、その常識を完全に覆すこのプリスクールの環境を見て、アメリカはそもそもの考え方が違うなと。日本は教育を受ける子供達本人の希望やニーズではなく、大人の都合にあわせて教育が構成されているように思いました。

車椅子の子供、耳の聞こえない子供、知的に障害がある子供など、子供が物心がつく前から教育現場にいろいろな人がいる環境を作ることで、後々仕事をする年齢になったときも、一緒に働く人の「違い」に目が向くのではなく、その人ができることを見ようとするのではないかと思うんです。教育現場で健常者と障害者が分けられた状態で、大人になってから「さぁ、一緒に働いてください」と言われても、どうやって障害者の能力を見たらいいかわからないですよね。だって今までずっと分けられて育ってきたんですから。そう考えると教育現場の環境はその人の人生を大きく左右する重要な部分だと実感しました。

アメリカの日常で本当にすごいと思うのは、車椅子の私をジロジロと見る人がほとんどいないこと。すでに多くの車椅子の方が外に出て、自立した生活をされているから珍しくも何ともないのでしょう。また女性や子供、障害者にエレベーターを自然に優先してくれたり、近くにそういう人がいたらドアを率先して開けて待ってくれることも一般的です。日本では優先されることの方が珍しかったので、最初にアメリカに来たときはすごく新鮮でした。アメリカでは大人が日常生活で普通にしていることなので、子供もそこから学び、そうするのが普通になっていくんですね。

「適材適所」を実践するアメリカ企業

ダイバーシティによってさらに良くなることがある。それを経験することが力になる。

徐みづきさん

DO-IT プログラム

アメリカの会社を訪問してよく言われることが、"right position, right person"。つまり、会社としてあるべき姿は適材適所で、会社は何ができる人が必要で、この人は何ができるのかというところからスタートするんですね。日本とは考え方、入口、見方が全然違います。

例えば、シアトルに本社のあるスターバックスの Employee Resource Group のミーティングを見学した時のことです。10人ほどの参加者の中に聴覚障害者も数名と ASL(アメリカ手話)通訳士も入って、あるイベントのTシャツのデザインをしていました。当初はTシャツの正面にたくさんのグラフィックが描かれるデザインが提案されていたのですが、聴覚障害者の方がこんなことを言われたのです。「正面にたくさんデザインがあるとそこに目が行ってしまい、手話の通訳を見逃してしまうことがある。デザインは腕とかにちょっとあるほうがいいんじゃないか」と。すると、チームが「そうか!そうだよね」と納得。その障害を持っている人にしかわからないことを意見として伝えられる環境があり、その意見が尊重されて理解され、そこから違うものができあがる。ダイバーシティによって見えなかった視点がそこ加わり、それを経験することで会社としても強い力になるんですね。

アメリカでは日本のように障害者採用枠というものがないため、健常者と同じようにさまざまな職種に挑戦することが可能です。しかし、障害の種類によっては、まったく同じ採用プロセスだと明らかに不利な状況になり、面接まで進むことができないという別の課題もあることも知りました。企業が自社サイトで求人を出し、求職者はオンライン上で申し込むという流れは一般的になっていますが、例えば、そのサイトがスクリーンリーダーで読み取ることができなければ、視覚障害の人は自分だけの力で応募することはできません。また求職者の注意力などを見るために、同じような質問を違う言い方に変えて出題する場合がありますが、知的障害の人は意図が理解できずまったく違う回答をしてしまうこともあります。完全に窓口が一緒というのもすべてが良い訳ではないということに気づきました。シアトルでは、マイクロソフト本社も訪問しましたが、4週間のインターンシップをした上で採用につなげるという、自閉症の方を対象にしたユニークな採用プログラムを始めています。

日本のように障害者の採用を別枠にしてすでに決められたポジションに当てはめるのではなく、その人の能力を正しく見極め、その能力を発揮できる場所で仕事をしてもらうために別枠で採用するというのは、まったく違う視点で障害者を見ていますよね。明らかに後者の方が、障害者本人にとっても雇用する企業にとっても WIN-WIN な形だと思います。

アメリカでは、いろいろな場面で個人ベース。その個人が何ができるのか、何をやりたいのか、それが必要とされていることとマッチするのかが決定ポイントになります。そういったシステムは厳しい面もあります。しかし、できることがあり、がんばろうとしている障害者が、自分の希望する仕事をして社会に貢献できる環境を実現させることは不可能ではないと信じています。アメリカで人を重視した先進的な雇用の仕組み、またその背景にある教育や法律なども学びながら、日本企業と障害者の両者によって良い形の雇用につなげられるヒントを探し続けたいと思います。

掲載:2016年3月

  • URLをコピーしました!

この記事が気に入ったら
フォローをお願いします!

もくじ