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「夢をあきらめることを自分に許さなかった」 ダンサー 西 友里江さん

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西 友里江さん

『OCCURRENCE #6』© Marcia Davis

1982年に創設されたスペクトラム・ダンス・シアター。コンテンポラリーダンスの作品を次々と発表しているこのダンスカンパニーで現在唯一の日本人ダンサーとして踊っている西友里江さんにお話を伺いました。

西 友里江さん(にし・ゆりえ)
大阪生まれ、兵庫育ち。5歳の頃にバレエを習い始め、大学生の時に参加したニューヨーク、カナダのトロントでの海外研修でコンテンポラリーダンスに目覚める。大学を卒業後、ニューヨークの Peridance Capezio Center に留学。卒業後、シアトルのスペクトラム・ダンス・シアターに入団し、現在に至る。今年5~6月は 5th Avenue Theatre の『West Side Story』に出演予定。

「負けたくない」という思いを抱いた小学校時代

5歳のころ、母に連れられて大阪のバレエ教室に連れて行かれたことが、初めてバレエに触れたきっかけでした。母は幼いころにバレエをやっていたのですが、早くに母親を亡くしたことで続けることができず、私にはぜひバレエをやってもらいたいと思っていたそうです。

当初はバレエ教室だということもバレエだということも意識せず、先生の言うとおりにやっていただけでしたが、小学生だったある日、その教室の中で特別クラスがあり、自分がそこに入っていなかったことに気づいて初めて「負けたくない」と思い、踊ることを意識するようになりました。


でも、踊ることがとても好きだった一方で、コンクールに出ても特にすばらしい成績をおさめることができたわけではありませんでした。もともとネガティブで自信のない性格なのですが、「ダンサーになる」という夢を持った時、「それでも私はそんなに悪いダンサーじゃないだろう」と信じたい気持ちがあって。あきらめることはできませんでしたし、あきらめることを自分に許しませんでした。

西 友里江さん

コンテンポラリーダンスは「自由」

でも、バレエ以外のいろいろなダンスもやってみたいと思い、大学生になった頃、家の近くに新しくできたダンス教室でヒップホップやジャズを習うことができました。さらに、大学でのスポーツ科学の専攻過程でたまたま企画されたニューヨークとカナダのトロントでダンスを学ぶ2週間の研修に参加し、コンテンポラリーダンスをそこで初めて体験しました。

コンテンポラリーダンスを言葉で表現すると、「自由」です。どんなふうに踊っても自由で、間違いはなく、答えはひとつではなく、すべてが正解。日本にいた時はダンスにひとつの枠が最初から作られているように感じることが多かったのですが、それがコンテンポラリーダンスが日本であまり浸透しない理由かもしれません。私はずっと、自由になりたい、もっと自由に踊りたい、そう思っていましたから、コンテンポラリーダンスが自分にあっていると思いました。

プロになるために米国留学

アメリカでダンサーになりたい場合、ニューヨークかロサンゼルスのダンススクールに入学する場合がほとんどです。留学生なら学生ビザを取得できる学校も多いですし、なにしろプロになるためのオーディションの数が、他の都市とは比べ物にならないほど多いからです。

なので、大学卒業後、ニューヨークのダンススクール、Peridance Capezio Center に留学し、2年半にわたり週13時間のクラスを受講するというプログラムに入りました。入学した後の時間の使い方はさまざま。学校でのクラスだけに集中する人もいますが、私は在学中から、多いときは週に1-2回のオーディションを受けて経験を積むようにしました。ミュージカルの本場ニューヨークでミュージカルダンサーになりたい人は、毎日オーディションを受けていたようです。

卒業後はフルタイムのダンサーになれるカンパニーを見つけるため、1年間働くことができるオプショナル·プラクティカル・トレーニング(OPT)を取得してニューヨークの小さなカンパニーで踊りながら、オーディションを受け続けることに集中しました。

西 友里江さん

スペクトラムダンスシアターのカンパニーメンバー(前列右から2人目が西さん)
© Nate Watters

そして、昨年6月、シアトルのスペクトラム・ダンス・シアターのディレクターがニューヨークで開催したオーディションを受け、翌7月に二次選考としてシアトルで開かれたワークショップに参加したところ、しばらくして採用の連絡をいただきました。シアトルに来てまだ1年もたっていないのでダンス・コミュニティの状況はまだよくわかりませんが、この4月は、シアトルのシアターで踊るので、それを今から楽しみにしています。

プロのダンサーとして

スペクトラム・ダンス・シアターのディレクターのドナルドは、上演する作品を決めたら、動画をダンサーたちに見せ、ダンサーそれぞれのパートを指定してくれます。ダンサーはそれぞれ振り付けを覚えます。新たな作品に取り組む時は、練習とリハーサルを繰り返し行う中で、"manipulation" と呼ばれる工夫する作業をしていきます。

答えはないので、他のダンサーたちと踊りながら、"You can do that."(それもいいね、そうしなよ)、"We can do that."(それしよう)、"I like it."(それ好き)というようなやり取りをしながら、納得行くものを創り上げていきます。これは本当に毎回学ぶことが多い作業です。

そうした作業は、日本にいた頃の自分ならできなかったことかもしれません。枠から出たい、自由に踊りたいと思いながら、アメリカに来ていきなりそれを踊りに出すことはまだ難しかった。でも、少しずつそれができるようになり、今に至っていると思います。

西 友里江さん

© Andrew Levine

スペクトラム・ダンス・シアターが4月に上演を予定しているのは、アメリカにおける人種差別問題や銃社会をテーマにした作品です。私はそうしたことについてアメリカに来るまであまり知識がありませんでしたが、踊ることを通して知り、理解していくようになりました。日本人の私がここでそれを躍ることで、現実にある問題についてもっとたくさんの日本人の方々に伝えていけたら。そういう気持ちは、アメリカに来て初めて感じるようになりましたが、それが日本人として私ができることかなと思っています。

掲載:2019年3月



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