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データ野球から学ぶビジネスの本質

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今回の Seattle Watch では、シアトル・マリナーズの躍進を起点に、スポーツ界で加速するデータやテクノロジー活用の潮流を掘り下げます。また、イチロー氏のデータ野球への警鐘から、ビジネスにおける意思決定の本質や、感性とデータのバランスの重要性を考察していきます。

シアトル・マリナーズが久々にポストシーズンで躍進しました。惜しくもワールドシリーズ進出は逃したものの、リーグ優勝まであと一歩に迫る快進撃を見せ、その戦いぶりは球団史に残るシーズンとなりました。今季の躍進は、イチロー選手が入団した2001年、球団史上最多の116勝を挙げた伝説のシーズンを彷彿とさせます。

一方、同じ西海岸のロサンゼルス・ドジャースは依然として圧倒的な強さを誇り、大谷翔平選手を筆頭に、山本由伸投手、佐々木朗希投手ら日本人スター選手の活躍によって、2年連続のワールドシリーズ進出を決めています。先日の延長18回の試合は素晴らしい戦いでした。

近年、スポーツの世界には急速にテクノロジーが入り込んでおり、データの活用が常識になりつつあります。1970年代以降、「セイバーメトリクス」(Sabermetrics)というデータ重視の手法が生まれ、選手のパフォーマンスを数値化する動きが盛んになっています。例えば、「OPS(On-base Plus Slugging)」という指標では、出塁率と長打率を合わせて打者を評価し、「FIP(Fielding Independent Pitching)」は守備の要素を除く被本塁打、与四死球、奪三振で投手力を算定する指標です。また、打撃、守備、走塁、投球を総合的に評価し、どれだけチームの勝利に貢献したかを表す「WAR(Wins Above Replacement)」という指標も注目を集めています。

また、MLBでは、2015年からスタットキャストと呼ばれる打球の速度や角度、投球の回転数など、野球のあらゆるプレーを数値化するIT技術が導入され、レーダー弾道計測器の「トラックマン」や、人やボールの動きを捉える「トラキャブ」と呼ばれる映像解析システムが活用されています。その結果、フライボール革命など新たな打撃理論が流行するなど、選手のパフォーマンスに大きな影響を与えています。 

※フライボール革命:「ボールを上から叩け」といった従来の指導から一変し、打球角度を上げるアッパースイングが有利だとする理論。打球速度が時速158キロ以上、打球角度が26度~30度で上がった打球が最もヒットやホームランになりやすいとされ、この領域を「バレルゾーン」と呼ぶ。

この潮流に乗り、スポーツデータ分析を専門とする企業やテクノロジースタートアップも米国を中心に次々と誕生しています。こうしたスポーツテック企業は、選手の能力向上から怪我予防、戦術分析、メンタル面の強化まで様々な領域でソリューションを提供しています。

このようにスポーツ界ではデータとテクノロジーが革命を起こしていますが、一方で「データ偏重」への懐疑的な声も聞かれます。その代表格がマリナーズ特別補佐兼インストラクターのイチロー氏です。

イチロー氏は近年のインタビューや講演で一貫して、数字に表れない部分の重要性を訴えています。例えば、昨年末放送のドキュメンタリー番組で、ヤンキースGM特別アドバイザーの松井秀喜氏から「今のメジャーの試合を見てストレスが溜まりませんか?」と問われた際、イチロー氏は「溜まる、めちゃめちゃ溜まるよ」と即答しまし。そして「目に見える情報(データ)をインプットしてそうなのかって…ある意味で洗脳されてしまっているよね。選手の気持ち、メンタルはデータに反映されないわけで。目に見えないことで大事なことはいっぱいあるのに」と指摘しています。つまり、データでがんじがらめになれば選手の「感性」が失われてしまうという警鐘です。

イチロー氏の目には、現代野球はまさにその危機に直面しているように映っています。実際、最近のベンチでは多くの選手がタブレット端末で直前の打席映像や相手投手の配球データを熱心に確認する姿が見られます。データ分析担当のアナリストがベンチ入りし、リアルタイムで配信される数値を基に作戦を練ることも珍しくありません。一見すると合理的に思えるこの風潮に対し、イチロー氏は「野球は本来、頭を使わないとできない競技なのに今は頭を使わない野球が広がりつつある」と危機感を表明しています。彼は、「データには選手の心理が置き去りにされている」とも述べており、数字には出ない人間の勘所や勝負勘こそがスポーツの本質だと示唆しています。

データ主義の潮流に一石を投じるイチロー氏の指摘は、ビジネスの世界にも通じるものがあります。経営判断やマーケティング戦略においても、「データ上は正しい」とされる選択が、必ずしも成功を保証するとは限らないことを、多くの企業が経験してきました。

テクノロジー人類学者(Technology Ethnographer)であるトリシア・ワン氏は、「Quantification Bias(定量化バイアス)」という言葉を用いて、数値化されたデータばかりに依存することで見落とされる文脈や、人間の活動・感情の重要性を指摘し、定量データだけでは人間の行動やニーズを完全に予測することはできないと述べています。

その具体例として、2024年にナイキの株価がわずか1日で20%下落し、時価総額が280億ドル減少した出来事があります。製品のリコールも、経営陣のスキャンダルも、サプライチェーンの混乱もなかったにもかかわらずです。原因は戦略の失敗によるもので、同社はブランド・ストーリーテリングへの投資を体系的に削減させ、測定可能なチャネルとそれに紐づくダッシュボード中心のマーケティングへと舵を切っていました。その結果、D2C(Direct-to-Consumer)分野では一時的な成果を上げたものの、小売店舗での物理的な棚スペースを失い、その空白を競合他社が埋めることとなり、ブランドへのロイヤルティと価格決定力を低下させてしまったのです。

現代のビジネスリーダーに求められるのは、データと直感のバランス感覚ではないでしょうか。膨大なデータ分析によって市場動向を読み解くことは重要ですが、同時に現場の生の声や自身の経験知に裏打ちされた判断も欠かせません。いわゆる「インテリジェンス」とは、「データという知識」と「経験に基づく洞察力」を掛け合わせて初めて生まれるものです。AI全盛の時代だからこそ、人間にしか見つけることができない「気づき」や「直感力」が競争優位のカギを握る場面も増えていくでしょう。

スポーツにおけるイチロー氏のメッセージと同様に、経営やマーケティングにおいても「見えていない大事な要素」を見落とさず、データに現れない部分にこそ目を配る姿勢が求められているのではないでしょうか?

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提供:Webrain Think Tank 社
【メール】 contact@webrainthinktank.com
【公式サイト】 https://ja.webrainthinktank.com/

田中秀弥:Webrain Think Tank社プロジェクトマネージャー。最先端のテクノロジーやビジネストレンドの調査を担当するとともに、新規事業創出の支援を目的としたBoot Camp Serviceや、グローバル人材の輩出を目的としたExecutive Retreat Serviceのプロジェクトマネジメントを行っている。著書に『図解ポケット 次世代インターネット Web3がよくわかる本』と『図解ポケット 画像生成AIがよくわかる本』(秀和システム)がある。


岩崎マサ:Webrain Think Tank 社 共同創業者。1999年にシアトルで創業。北米のテックトレンドや新しい市場動向調査、グローバル人材のトレーニングのほか、北米市場の調査、進出支援、マーケティング支援、PMI支援などを提供しています。企業のグローバル人材トレーニングや北米進出企業のサポートに関しては、直接ご相談ください。

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