シアトル発祥の地、パイオニア・スクエア。100年以上前のレンガ造りの建物が並ぶこのエリアで、84歳の高橋進さんは、レストラン『84 Yesler』と共に歩み続けています 。
パンデミックや治安悪化という逆境に直面しながらも、なぜこの場所にこだわり、私財を投じてまで店を守り続けるのか。そこには、新しいことに挑戦したいという情熱と、次世代へ贈る「恩返し」の想いがありました。
「ブランドの確立」と、パイオニア・スクエアへの思い
1970年代に渡米し、日米で数々のレストランの立ち上げと経営に関わってきた高橋さん。一度は引退したものの、2019年、77歳の時に「アメリカで日本食以外の店を経営する」という新たな挑戦に踏み出しました。
選んだ場所は、戦前に日本から移住した人たちの歴史があるパイオニア・スクエア。日米開戦まで日本人がホテルや銀行、飲食店などを経営していたこの地域の歴史を重んじ、周囲の反対を押し切って高級レストラン『84 Yesler』をオープンしました。
その根底にあるのは、ソニーの共同創業者・盛田昭夫氏が示した「ブランドの誇り」です。1950年代、自社開発したトランジスタラジオのOEM供給を断り「50年後にはソニーを有名にしてみせる」と言い切った盛田氏のように、高橋さんもまた、この店を長く愛されるブランドに育てるという夢を抱いています。
高橋さんの経営理念
高橋さんの経営理念は明確です。
- Food Without Borders(境界なき料理):人種が混ざり合うアメリカの強みを活かし、枠に縛られない自由な料理を提供すること。
- Service Without Walls(壁のないサービス):分断が進む社会だからこそ、心を通わせるサービスを届けること。 現在、エグゼクティブ・シェフのクリスティーナさんが、この「境界なき」哲学を料理で体現しています。
街を活気づける「体験」の提供
パンデミックを経て、人々のライフスタイルは変わりました。かつて数万人いたオフィスワーカーは完全には戻らず、観光客の足も6〜7割の回復にとどまっています 。こうした状況下で、高橋さんは「ただ食事をする場所」以上の価値を追求してきました。
この春も、日本の伝統をカジュアルに楽しむ3月の「抹茶イベント」「音楽と料理のコラボレーション」など、五感で楽しむ体験を次々と企画しています。
「足を踏み入れた瞬間から出る時まで、丁寧なサービスで最高の体験を持ち帰ってほしい」
未来へつなぐ、「第3ステージ」のバトン
84 Yesler のチームと
そんな高橋さんにとって、店をオープンさせ(第1ステージ)、私財を投じてパンデミックを耐え抜いた(第2ステージ)今、見据えているのは「継承」という名の第3ステージです 。
「84歳になって、あとどれだけ元気でいられるか。でも、だからこそやり遂げたいことがあります。私はシアトルで多くのメンターたちに支えてもらいました。もう亡くなってしまった彼らに直接恩返しはできませんが、今度は自分が若い世代の夢や希望を支える存在でありたい。自分一人のエゴで幸せになれるはずがないですからね。若い人の笑顔を見ることが、私自身の幸せにつながります」
私財を投げ打ち、6年間一度も給料を取ることなく走り続けてきた高橋さんは、自身のことを「一度も休まずに泳ぎ続けるマグロ(ブルーフィン・ツナ)みたい」と言います。
パイオニア・スクエアは治安の問題や経済の停滞などの課題を抱えていますが、今ではアートウォークやジャズナイトなどの地域をあげてのイベントに多くの参加者が集まり、新しい店やホテルが進出するなど、活気が戻りつつあります。
街の復興を感じながら、国境のない料理と日本人の心が宿るおもてなしを提供する—。
店名である『84 Yesler』は、この場所の住所(84 Yesler Way)に由来します。自身の名前を使わなかったのは、経営者が変わっても、この場所が歴史を刻み続けてほしいという願いからでした。
そんな『84 Yesler』が今求めているのは、単なるレストランの「買い手」ではありません。この場所の価値を理解し、未来につないでくれる経営者。それが、84歳になった高橋さんが描いている、このパッション・プロジェクトの終着点なのです。
聞き手:オオノタクミ
