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忘れてはならない歴史:「大統領令9066号」と日系アメリカ人の強制収容から84年

ベインブリッジ・アイランドに建設された追悼の碑

第2次世界大戦中、西海岸に住んでいた日本人および日系アメリカ人の強制収容を可能にした大統領令9066号(Executive Order 9066)が発令されてから、2026年2月19日で84年を迎えます。この記事では、その歴史を振り返り、2026年にシアトル地域で開催される主な追悼イベントをご紹介します。

大統領令9066号が可能にした日本人・日系アメリカ人の強制収容

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Courtesy of Library of Congress
カリフォルニア州サンフランシスコ空襲避難所のポスターが貼られた煉瓦の壁の横に掲示された強制退去命令
避難の影響を最初に受けることになったサンフランシスコ市内の地区から日本人の血筋を持つ人々を退去させることを指示するもので1942年4月1日にJLデウィット中将によって発令され1942年4月7日正午までにこの地区から退去するよう指示していました

1941年12月7日(現地時間)の日本によるハワイ・真珠湾攻撃の余波の中で、多くのアメリカ市民を含む日系人たちの生活は一変しました。

1942年2月19日、フランクリン・D・ルーズベルト大統領が、大統領令9066号(Executive Order 9066)に署名し、国家の安全保障にとって「脅威」とみなされた人物を、裁判や個別審査を経ることなく、特定地域から強制的に退去させる権限を軍に与えたのです。

その結果、アメリカ合衆国西海岸一帯は軍管理地域に指定され、ワシントン州、オレゴン州、カリフォルニア州、アリゾナ州に住んでいた日本からの移民(一世)と、その子孫でアメリカ生まれの日系アメリカ人の合計約12万人が、住居や仕事、財産を十分に処分する時間も与えられないまま、「集合センター(assembly center)」となった競馬場や博覧会場へ集められました。そして、「移転センター(relocation center)」と呼ばれる強制収容所にへの行き先を示すタグを付けられ、待機させられたのです。

米国国立公文書館(National Archives)によると、強制的に集められた約12万人のうち、約5万人が日本生まれの移民(一世:いっせい)、約7万人が一世の子や孫でアメリカ生まれのアメリカ人でした(アメリカは出生地主義を採用しているため、アメリカで生まれた人は皆、アメリカ国籍が与えられます)。

強制収容と戦後

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Courtesy of Library of Congress
アイダホ州ハントミニドカ強制収容所Minidoka Relocation Centerミニドカ強制収容所の通りを上から見下ろした様子画面右端にある兵舎の最初の部屋の窓には二つの星が付いたサービスフラッグが掲げられているのが確認できる

日本人および日系アメリカ人が強制収容された施設は、カリフォルニア州、アイダホ州、ユタ州、アーカンソー州、ワイオミング州、アリゾナ州、コロラド州の計7州の、砂漠や高原、山間部など自然環境の厳しい過疎地10か所に設置されました。

国立公園局(National Park Service)によれば、これらの収容所では夏は酷暑と砂嵐、冬は厳しい寒さにさらされ、断熱性が低く、簡易的なバラックでの生活を余儀なくされました。また、多くの施設は鉄条網で囲まれ、銃を持った兵士が監視塔に常駐していたことも記録されています。命令に抵抗し「反体制的」と見なされた人々は、カリフォルニア州のトゥール・レイクに設けられた特別収容所に隔離されました。

戦場での証明と戦後の帰還

こうした逆境の中、1943年から1944年にかけて日系アメリカ人による戦闘部隊「第442連隊戦闘団」が編成されます。ヨーロッパ戦線に投入された彼らは、アメリカ軍史上最も多くの勲章を受けた部隊として知られるようになり、その並外れた軍歴をもって自らの愛国心を証明しました。シアトルにある NVC Memorial Hall も、日系アメリカ人の軍人による貢献と歴史を伝えています。

戦争の終結とともに収容所は順次閉鎖されましたが、故郷への道は平坦ではありませんでした。ワシントン州タコマ出身者のうち、戦後に戻ったのはわずか30%。一方でカリフォルニア州フレズノ出身者は約80%が帰還するなど、地域によってその後の状況は異なります。

法廷での闘いと国家による謝罪

この強制収容は、米国憲法の理念を揺るがす大きな法的議論を巻き起こしました。ゴードン・ヒラバヤシ、フレッド・コレマツ、ミツエ・エンドウの3人の日系アメリカ人が、移動制限や収容の合憲性を問い、法廷で闘いました。

ヒラバヤシとコレマツは敗訴したものの、ミツエ・エンドウは粘り強い闘いの末に「忠誠である」(loyal)との認定を勝ち取り、ユタ州トパーズの強制収容所を出る権利を認められました。連邦最高裁のマーフィー判事は、エンドウ事件(Ex parte Mitsuye Endo)の判決文において、次のような痛烈な批判を残しています。

「日系人を収容所に拘束することは、人種差別という憲法違反の行為である。この種の人種差別は軍事的必要性とは無関係であり、アメリカの理想や伝統とは全く相容れない。」

戦後の動き

この強制収容は、後年になって深刻な人権侵害であったことが公式に認められています。1988年にレーガン大統領が「1988年市民的自由法(公法100-383号)」(Public Law 100-383 – the Civil Liberties Act of 1988)に署名し、アメリカ政府は強制収容の不正義を正式に認め、謝罪とともに生存者一人ひとりに2万ドルの補償金を支払うことを決定しました。

現在、2月19日は『Day of Remembrance』と呼ばれています。この日は、ルーズベルト大統領が1942年に大統領令9066号が署名された日であり、日系アメリカ人強制収容の歴史を記憶し、同じ過ちを二度と繰り返さないことを社会全体で確認するための日です。

「日系アメリカ人は安全な保護のために収容所に入れられたのだ」(Japanese Americans were put in those camps for their own protection)という強制収容についての説明に対し、強制収容されたある人がこう問いかけたと伝えられています。

「もし私たちを守るためだったのなら、なぜ監視塔の銃口は外ではなく、内側の私たちに向けられていたのですか?」
(”If we were put there for our protection, why were the guns at the guard towers pointed inward, instead of outward?”)

この言葉は、自由と人権が守られるべき民主主義社会において、恐怖や差別がいかに容易に正義を歪めてしまうかを、今も私たちに問い続けています。

『Day of Remembrance』関連行事(2026年)

全米日系人博物館(Japanese American National Museum)によると、毎年この時期には、証言の共有、教育プログラム、追悼式などが全米各地で行われています。シアトルを含む全米各地でも、地域の歴史や当事者の経験に焦点を当てた催しが行われ、過去の出来事を現在と未来につなげる取り組みが続けられています。2026年にシアトル地域で開催される主な関連イベントは、下記をご覧ください。

2月14日(土)シアトル歴史産業博物館(MOHAI)『Tadaima』(ただいま) 

第二次世界大戦中の1942年に強制収容に直面した日系アメリカ人家族がベイリー・ガッツァート小学校に預けた、雛人形や五月人形などの人形をテーマにした展示『Tadaima』が公開されます。戦後も多くが持ち主の元へ戻ることのなかったこれらの人形を、アーティストの Miya Sukune が、最新の研究資料や日系アメリカ人当事者・子孫へのインタビューをもとに、インスタレーション作品としてよみがえらせました。また、地域住民が参加して制作したフェルト製の花も展示されます。詳細は下記でご覧ください。

2月18日(水)ピュージェット・サウンド大学

2026年は、グラフィックノベル作家の Kiku Hughes 氏を迎え、著書『Displacement』についてのトークが予定されています。『Displacement』は、10代の主人公が時をさかのぼり、祖母が体験した第2次世界大戦中の日系アメリカ人強制収容所での出来事を目撃するという構成で、世代を超えて記憶と歴史をつなぐ作品。当日は、著書サイン会も行われる予定です。

このイベントは、日系アメリカ人強制収容の歴史を振り返り、現在と未来に向けて市民的自由や人権について考える機会として、毎年実施されています。

Japanese American Day of Remembrance
会場:University of Puget Sound キャンパス内 Rasmussen Rotunda(1500 N Warner St, Tacoma, WA 98416)
開催時間:6pm-9pm
詳細:ピュージェット・サウンド大学

2月19日(木)ベインブリッジ・アイランド

戦時中に西海岸で最初に日本人・日系アメリカ人が強制収容されたベインブリッジ・アイランドには、彼らが船に乗せられるために波止場まで歩いた場所に追悼の碑が建設されました。現在は国立公園管理局の一部となっています。

ベインブリッジアイランドに建設された追悼の碑

このイベントでは、ボランティアが一緒に屋外清掃(剪定・除草・マルチングなど)を行います。どなたでも参加可。道具の提供あり。

Bainbridge Island Japanese American Exclusion Memorial — Day of Remembrance: Community Work Party
会場:Bainbridge Island JA Exclusion Memorial(4192 Eagle Harbor Dr NE, Bainbridge Island)
開催時間:10am-12pm
詳細:ベインブリッジ・アイランド公園管理局

2月21日(土)ピュアラップ

ピュアラップ市の博覧会場で行われるイベント。自宅から強制退去させられた日本人・日系アメリカ人約8,000人は、強制収容所に送られる前にこの会場の馬小屋や家畜展示場、粗末なバラックに集められました。その記録が『Remembrance Gallery』で展示されています。イベントでは、講演、ギャラリー見学などが行われます。入場無料。

Puyallup Valley JACL – Day of Remembrance at the Remembrance Gallery
会場:Washington State Fair Event Center(110 9th Avenue SW, Puyallup, WA 98371)
開催時間:10am-12pm
詳細:Puyallup Valley 日本人市民同盟(JACL)

2月22日(日)ヴァション・アイランド図書館

Friends of Mukai Farm & Garden と Vashon Library が共催する、コミュニティ向けの「Day of Remembrance」。かつてヴァション・アイランドに住んでいたメアリー・マツダ・グリューネヴァルトの回想録『Looking Like the Enemy』に着想を得たもので、第2次世界大戦中の日系アメリカ人強制収容と、その出来事が今日に持つ意味について振り返ります。

【イベントスケジュール】
午後1時:子どもと家族のためのストーリータイム
午後2時:Day of Remembrance リフレクション
(進行:Friends of Mukai Farm & Garden エグゼクティブ・ディレクターのジェイド・アグア)
午後3時:世代間ブックディスカッション
(対象:小学6年生から高校生および大人)

Day of Remembrance: Looking Like the Enemy
会場:Vashon Island Library(17210 Vashon Hwy SW, Vashon Island)
開催時間:1pm-4pm
詳細:キング郡図書館

展示中の作品『Emerging Radiance』:キング郡図書館ベルビュー分館

Emerging Radiance

ベルビュー市とキング郡図書館が、日系アメリカ人農家の歴史を称える拡張現実(AR)作品『Emerging Radiance: Farmhouse』を2027年2月まで展示しています。

現在のベルビュー・スクエア一帯は、日米開戦によって日本人・日系人が農業を行っていたところです。この作品を制作したタニ・イケダさんとミシェル・クマタさんは、アートとARを融合させ、手描きの壁画に印刷された QR コードにスマートフォンやタブレットのカメラをかざすと、拡張現実(Augmented Reality)フィルタによって壁画に描かれた日系人の音声と映像がアニメーションで画面に表示される作品を完成させました。

この音声や映像は、シアトルにある非営利団体『Densho』が24年前にベルビュー市での強制収容体験者の取材から記録したもの。体験者の声を聞きながら、その声にあわせて動く壁画や当時の写真を画面で見ると、グッとリアルに感じられます。

Emerging Radiance
会場:キング郡図書館 ベルビュー分館(15600 NE 8th Street, Bellevue, WA 98008)
詳細:www.emergingradiance.org

無実の人の強制収容が二度と繰り返されないよう求める活動を続けているシアトルの非営利団体 Densho は、日本人・日系アメリカ人強制収容を経験した人の体験談を映像や記事で記録し公開しています。日本語版はこちら

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