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留学生が聞く!社会人インタビュー 第6回:「エンジニアとして進化を目指せ!」航空エンジニア・石原康雄さん

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石原康雄さん

今の仕事が自分のやりたいこととあっているのか不安なため、新しい環境に変えようか、それとも同じところにとどまっていようか、と悩んでいる方は少なくないと思います。今回は、自分のやりたいことに疑問を抱いている人や、夢の実現へ一歩踏み出せないでジレンマしている人には必読のインタビューです。

「航空業界に携わりたい」という想いを抱いて渡米し、現在は航空エンジニアのテクニカル・フェローとして世界を飛び回る石原康雄さんに、好きな仕事を選ぶ方法、仕事を好きになること、そしてアメリカでの働き方などについてお話を伺いました。

日本人留学生によるレポートをお届けします!

【お話をしてくださった人】
石原康雄さん
アリゾナ大学航空宇宙工学科卒業。マサチューセッツ工科大学大学院航空宇宙工学科卒業後、オプショナル・プラティカル・トレーニング(OPT)で Honeywell Aerospace(ハネウェル・エアロスペース)にで入社。現在、航空安全技術部門の最高責任者の一人であるテクニカル・フェローとして勤務。日々変化する航空業界で、飛行機の墜落を防ぐ警報機器の開発に携わっている。

【主なトピック】

  • 与えられた環境の中で、自分が好きなことを探し出して、楽しもう
  • 視野を広げ、さまざまな角度から物事を見よう
  • 人との繋がりを大事にしよう

高校卒業後、渡米

-日本で高校を卒業後、渡米した石原さん。渡米を決意した理由を教えてください。

高校2年生の時、初めて乗った飛行機で観た映画『Top Gun』がきっかけです。飛行機のシーンで、漠然と「パイロットになろうかな」と考えました。

「パイロットになったら英語も話すみたいだから、とりあえずアメリカに行こう」と思って、すべてが始まりました。そこからは、それまで行っていた予備校をやめ、完全に留学向けの勉強に変えました。

「日本の大学を受けて、受からなかったらアメリカに行く」という考えはしたくなかったので、日本の大学を一切無視して、初めからアメリカの大学に絞りました。結果としてアメリカの大学に進むことになり、アリゾナ大学で航空宇宙工学を専攻しました。

-どのような経緯でアリゾナ大学に入学したのでしょうか?たくさん大学がある中で、なぜそこを選んだのですか?

日本から10校以上願書を出したんです。とりあえず航空宇宙工学を勉強できる大学ほぼすべてに願書を出しました。

そして、合格通知をくれた中でも一番学費が安かった大学を選びました。その時は欲もなく、「とりあえず行ければいいや」と思っていましたね。

日本の高校では理系だったので、アメリカの大学1年生で習うことは日本の高校ですでに教わっていました。ですので、最初の1年間は語学学校に通う感じで、アメリカの大学のシステムなどを学ぶいい準備期間になりました。

当初の目的はパイロットになることだったので、夏休みなどを利用して、パイロットの資格を取りました。やっぱり興味があることだから、時間があっという間に過ぎてしまうんですよね。

でも、大学で勉強するうち、パイロットとして操縦するより、飛行機を造る方が面白いと思ったので、今の道に進みました。

大学から大学院へ進学

-アリゾナ大学を卒業後、就職せずに大学院に進んだ理由を教えてください。

アリゾナ大学で4年半かけて勉強していた中で、日本に帰って就職するオプションも考えていました「とりあえず大学院へ行って、もう少し世界を見てみたいな」という思いもあったので、日本に帰る前にそのまま大学院に行くことにしました。

いくつか受けた中で、最終的にはマサチューセッツ工科大学(MIT)の航空宇宙工学に決めて、そこで修士号を取りました。

石原康雄さん

マサチューセッツ工科大学(MIT)のキャンパスにて

-大学院に行く時はどのような条件が必要でしたか?

大学の成績は悪くはなかったとは思いますが、少なくともGPAは4.0ではありませんでした。ただ、今まで生きてきた中で、その時々に偶然巡り合った人たちにすべて助けられてきているんですよ。だから、自分に能力があったとは思っていなくて、大事な時にキーパーソンに巡り会える運があったんだと思っています。大学生だった時、私のことをすごく気に入って認めてくれた数人の教授の紹介や推薦がすごく影響していたのかなと思います。

一人には、「授業の枠とは別に、先生の研究のお手伝いをさせてください」、と頼み込み、大学院生に混ざって、研究室に席を置かせてもらいました。それはボランティアで、教授の手伝いを好きにやらせてもらっていましたね。もう一人は、彼の授業のファイナル試験で、誰も答えられなかった意地悪な問題をたまたま僕だけ答えられていたらしいんです。それをきっかけに、その先生が僕のことをすごく評価してくれて、急に将来に向けたアドバイスをしてくれたんですよ。その二人の先生が軸になって、大学院の選定やそれに向けての準備にもすごく力になってくれました。

GPAは学校によって基準が異なっているため比較が難しかったり、いくら試験でいい点数を取ったとしても、その数字だけではその人物を判断できません。テストの点数や学校の成績以外で、何か人と違うことをしている、というセールスポイントを自分で見つけ出さないといけないのかな、と思います。「自分が輝けるポイントが何か」を探し、それを売り込むことが重要なのかもしれないですね。

-人との差別化が重要になってくるのですね。

やっぱり人との繋がりは大事だなと、ずっと感じています。周りにいた同僚、ボスや大学時代の教授が、今の自分に育て上げてくれました。

ですから、今の自分がここにいるのも、決して自分一人の能力で上がってきたとは全く思っていません。今はフェローという立場的に、新しく入って来る若い世代にメンターして行くのが一つの仕事だと思っています。

大学院卒業後、教授の紹介で採用面接、就職へ

-なぜ今のお仕事に就いたのですか?

僕がマサチューセッツ工科大学にいた時、始めは航空宇宙の研究室にいましたが、飛行機とはまったく異なる電車の研究をすることになりました。でも、やっぱり「飛行機」を捨てられなかったので、電車の研究とは別に航空宇宙のゼミと掛け持ちして、飛行機の研究もしていました。

卒業間近になって、進路を考えた時、オプショナル・プラクティカル・トレーニング(OPT)という、アメリカの大学を卒業してから1年間アメリカで働けるシステムを利用して、「せっかくだしアメリカの企業で働いてみようかな」と思い始めました。

そこで、その航空宇宙のゼミでお世話になっていた教授に、聞いたこともない会社と面識のない人の名刺をもらいました。言われた通りに電話をすると、すぐにそこで雇ってもらえることになりました。その彼が、20年僕が一緒に働いているハネウェルの上司です。

石原康雄さん

-石原さんのお仕事について具体的に教えてください。

主な仕事は、世界の飛行機事故を減らすことです。それらの原因を解明し、将来起こりうる事故をいかに防いでいくかということをずっと考えるのが仕事です。

大きく分けると5つの業務内容があります。1つ目は研究開発の仕事、2つ目は各国の事故調査委員会から依頼を受けて、調査に加わり原因究明のサポートをする仕事。3つ目は航空法改正に携わる仕事。4つ目は学会に参加したりプレゼンテーションをしたりする仕事。5つ目は自社商品の営業に同行する仕事です。

まず、研究開発での代表的な成果はEGPWS(対地接近警報装置)の開発です。EGPWS は飛行機が墜落する前に、パイロットに警告を出す装置です。この装置のおかげで飛行機が山にぶつかって墜落する事故が急激に減り、ほぼゼロに近い状態まで減らすことができました。現在では、世界の民間航空機に搭載が義務付けられており、航空業界では近年で最大の発明とも言われています。

事故調査の仕事では、原因を究明し、将来の事故を未然に防ぐことを目的としています。事故調査委員会の証人となることもあります。先月アラスカで行われた事故調査委員会の公聴会に証人として出席した時の模様は、アンカレッジ新聞の一面でご覧いただけます

航空法改正に携わる仕事では、各会社で商品の基準を定めるためのコミティでチェアマンをし、より安全性を高めるためのルール作りをしています。例えば航空局が、「2020年からすべての民間航空機にはこういったものを搭載しなければいけません」というルールを作ったとします。例えば車だったら「エアバックをつけなければなりません」というようなことですね。

それぞれの仕事すべてが、航空機の安全向上という大きな目的を目指しています。

-自社開発した商品をどのように売り込んでいるのですか?

セールスマンがエアラインに商品を売りこみに行く時に、現職のパイロットと技術者が揃って話を聞きに来ます。

セールスマンが商業的な知識だけを持って話しても、突っ込まれた話をすると答えることができない時があります。そんな時、私が一緒について行き、テクニカルな質問になった時、エンジニアとして話をすることがあります。そういうところを、現場のパイロットや技術者は興味を持って質問してきます。その場で即答できることもあり、頻繁にセールスに同行を求められます。

それだけでなく、直接パイロット達と現場の話をできるので、その会話の中で、ちょっとしたアイデアが頭に蓄積されていきます。10社ほど行くと、「なんでみんな同じことを言っているんだろう」「これはいい考えじゃん」というように考えが思いつき、それを将来のデザインに反映させることができます。これが僕の楽しみです。

あとは、仕事としての楽しみではないですけど、フライトテストやデモフライトへ行き、僕が操縦訓練を受けていると知ると、パイロットが興味を持って、いろいろな飛行機やヘリコプターを操縦させてくれ、楽しく遊ばせてもらえることがあります。

僕自身がいろいろな職務をかじらせてもらっている中で、これから社会に出て行こうという人たちには「自分の見ている角度がすべてじゃないよ」ということを伝えたいです。

-お話を聞いていると、実際に現場にも行き、現役パイロットの方のお話も聞きに行く、ということで、エンジニアとして研究所にこもっているというイメージがなくなりました。

私の仕事がエンジニアの主流ではないのですが、そういう人もいるということを受け止めてもらえればいいなと思います。私の上司がそうさせてくれている、というのもすごく幸せなことではありますね。

ただ単にデスクワークで研究だけをしていても、視野は広がりません。実際にお客さんや事故にあった人に接して、生の声を自分の耳で聞き、自分の目で見た経験から新しいアイデアが生まれ、パイロットが求めるものを作ることができます。さまざまな角度から物事を見ることで、新たな発見に出会うことができ、将来の飛行機事故を減らす一歩になります。

石原康雄さん

学生時代はインターンシップやボランティアで実務経験を積む

最初は誰しも経験がないところからスタートします。なのに、アメリカの面接では「あなたの経験は?」といきなり聞かれます。だから、早いうち、特に学生のうちに、希望職種のインターンシップやボランティア活動などを通して、その経験ゼロの状態を埋めることが重要になります。僕はラッキーなことに、大学院の研究室で飛行機の研究をしていたことが、今の仕事のほぼ90パーセントに値するバックグラウンドの経験として認められ、今の会社に入ることができました。

僕自身、実際にハネウェルに OPT として入ったとき、別に、今僕が会社で研究していることをやりたくて入ったわけではないです。ハネウェルの研究分野が自分の興味があることと似ていたし、面白そうだから、という理由でした。

しかし、いざ働いてみたら上司にすごく惚れ込んで、仕事内容もすごく好きになり、結果としてフルタイムで働き始めて今に至ります。今では天職かと思っています。だけどそれは、「自分が好きなことや、やりたいことを探して今の仕事を選んだ」というのではなく、人からきっかけをもらって入社して、与えられた環境を自分が好きになったのです。

学生さんから、「仕事と自分のやりたいことが違う」とか「私のやりたいことはこれだからそれを探しています」ということをよく聞くのですが、もちろんそれはいいことだし、自分の好きなことを仕事にする夢が叶ったら、それはそれでいいと思います。でも、時々疑問に思うのは、自分が「いいな」と思って始めたことが、半年ぐらい経って、「やっぱりちょっと違う」「これは私のやりたいことと違う」と言って、また転々とすることですね。

楽観的な僕みたいな考えからすると、せっかく与えられた環境を嫌と思うのではなくて、その中から自分のやりたいと思う好きなことを見つけて、その環境を自分から100パーセント好きになろうと努力することも一つの技術なのかなと思います。だから、とにかくある程度マスターするまでは与えられた環境にいてほしいな。それが何ヶ月かかるか何年かかるのかはその業界次第です。

どんなに回転の早いITのような業界でも、1ヶ月や2ヶ月ではとてもわかるとは思えません。だから、自分の好き嫌いを判断するというよりは、与えられた環境の中で、自分がやってみたいと思うような好きなことを探し出して、それをエンジョイできるようになってくれたらな、と思います。

自分のやりたいことすべてを仕事にできる人は本当に少ないと思います。だから「妥協」という言い方ではなく、自分が好きなものを求めて、それを永遠に追い詰めるのか、それとも逆に、自分が与えられた「ちょっといいかな」と思う環境を自分から好きになっていこうとするか、だと思います。最終的にはどちらを取っても好きなことができるので。

-アメリカで働いている人は転職をしてポジションを上げていくというイメージがありますが、石原さんが一貫して同じ会社で働かれているのはどうしてですか?

航空業界では、同じ会社に長く勤めている人が大半を占めています。近年、IT 業界がどんどん技術を進歩してくれているおかげで、航空業界も電子化が進んでいます。ただ、航空業界はまだまだローテクな世界で、IT 業界が10年、20年前に開発したものを、今、航空業界がやっと使っているような状況です。

というのも、規則が厳しくて、例えば一つの小さな部品を作ったとしても、飛行機のパーツを取り替えようとしたら大ごとになってしまうのです。同じものを使い続けなければいけないので、一度認可を得たらなかなか変えられないのが現状です。航空業界では、新しいものを取り入れていく、ということに時間がかかります。多分そこが開発サイクルの短い IT 業界と違うところなのだと思います。

IT 業界では、2、3年で転職すれば、おそらく一通りのプロジェクトを見ることができるでしょう。しかし、航空業界では、一つ飛行機を作ろうと思ったら10年、20年もかかり、一つのプロジェクトを全部見ようと思ったら、必然的に長期間同じ会社にいることになります。だから、航空業界では、2、3年で転職をしてしまうと、結局何も見られずに終わってしまいます。その辺は、アメリカだからということではなく、業界的にどうしても長く同じ会社にいないといけないのです。

-アメリカで会社を移りながらキャリアアップしていく働き方と、一貫して同じ会社にいる日本的な働き方はどのように違いますか?

僕は日本で働いたことがないので真相はわかりませんが、日本で働いている方と仕事上で話していて感じるのは、日本の会社は同じ会社の中で一生を終える方が多いかもしれませんが、会社の中で「異動」という名の転職が多いんです。

だから、技術職で入社した人が、社内でいろいろな辞令を受けて違う部署に異動になるというように、一つの会社の中で転職を繰り返すのですね。やはり日本の会社は、イメージ的にはスペシャリストを求めるより、ジェネラリストを求めて、その中から選抜された人が経営に行くという流れになっています。すべての会社には当てはまらないとは思いますが、特に理系の技術者の目で見ると、会社側は、有能な技術者であればあるほど技術止まりではなくて、マネジメントに異動することを期待しています。だから、優秀なエンジニアだとしても一生技術職として上がって行く、というシステムが少ないですね。いつかはマネジメントに上がって、研究をやめてしまう例が多いです。

アメリカも全部がそうではないと思うのですが、ハネウェルは「フェロー制度」というものがあり、僕は「テクニカル・フェロー」というポジションに就いています。それは、マネジャーにはならず、一生テクニカルなキャリアのままキャリアアップができるシステムです。エンジニアはエンジニアとして、一生をかけて極めることができます。

「技術者が生涯技術者でいられる」、そういう制度がアメリカにはあるのです。ある意味、美味しい位置なんですよね。

-石原さんは、他の企業でも採用面接を受けましたか?

他の企業は受けていません。そのぐらい、教授と採用してくれた僕のボスとのそれまでのパイプが太く、お互いが信用していたのだと思います。

他の業界でも、このようなパイプは大きいと思うんです。やっぱり、みんなレジュメをすごく上手に書きあげてきます。例えば、僕が誰かに「こういう人材がいるから雇ってよ」とお願いする場合、自分の信頼関係を絶対に崩したくないので、自分が推薦できない人は紹介しません。それくらい、信頼関係は重要になってきます。

-これから社会人になる学生にとって、何が大切だと思いますか?

社会に出てから重要なのは時間の使い方です。それは、決して「適当にやれ」という意味ではなくて、「効率よくやれ」ということです。推奨するわけではないですが、大学のファイナル前に散々遊んでいたけれども、とりあえず試験を受けてちゃっかりいい成績を取れるというのは、少なくとも、その学部で学んだ知識だけをひたすら詰め込んでいるよりは、よっぽど将来役に立つと思うかな。というのも、与えられた課題に効率的に取り組んで、短期間で「いい結果を出す」ことを達成できるという技術だからです。

石原康雄さん

-石原さんならではの働き方を教えてください。

アメリカの会社では業務内容が一人一人しっかり定められているので、自分の業務内容を超えて、ましてや人の業務内容に書かれている仕事を勝手にやると問題になってしまいます。

ですが、上司が明らかに困っていることが目に見えている時は、自分とは全く関係のないことであっても手伝うことがあります。彼が出張に行く時は、僕が準備の手伝いをしてあげたり、彼が書類を作成している時は、苦手な部分を手伝ってあげたり。もちろんそれは自分の仕事内容ではないですし、研究職とは何の関係もなく、本当だったら秘書がやるべきことなのかもしれません。

ですが、そういう何か日本人的な部分も含めて、僕はその上司に孫のように可愛がってもらっていたので、媚びてそうしていたのではなく、その彼に本当に惚れ込んで自分から手伝いをしていました。「助けてあげたい」という思いが行動に繋がっていましたね。同僚が困っているときは、率先してカバーしたりもします。

「自分の仕事だけをする」というプロフェッショナリズムも重要なのかもしれませんが、「誰かがしなければいけないからそれをやる」ことも悪くはないのかなと思います。嫌々、「なんで私がやるのよ」というのではなくて、ポジティブに捉えたら同じ作業も楽にできるんじゃないかな。だから僕はそういう雑用をしていて苦に思ったことはなく、やっていて楽しかったです。もちろん、自分の仕事が犠牲にならないレベルでやっています。やっぱりみんな人間だから、そうしていたらお互いに信頼関係が生まれてきます。

ただ、注意が必要なのは、相手が考えていることを先に察して行動することが通用せず、お互いを干渉しない文化を持っている人もいるかもしれないので、全員に当てはまることではないということです。

-働く上で一番大事にしていることはなんですか?

「嘘をつかない」「自分の誠実性を崩さない」ことです。特に僕は技術者なので、真実は真実として伝える義務があると思っています。入社した時から今でもずっと大切にしていますね。この信念をわかってもらえるおかげで、いろんな国の航空局の人もお客さんも、僕が言うことは信用してくれます。

というのも、ダメだと思ったらダメ、とその人にちゃんと伝えるので。自分が間違えてしまった時は、何か理由をつけて隠すことなく、「I was wrong」と、きちんと認めます。

ただ、だからといって、その間違いに関していつまでもクヨクヨはせずに、次に活かし、同じミスを繰り返さないようにします。それが自分の番の時もあるし、他の人の時もあるし。やっぱり、何か間違いを犯さなかったら新しいものは作れないですよね。

ただ、僕が扱っているものはたくさんの人の命に関わることなので、慎重にやります。最善の注意を払っていても、予期せぬ原因で間違いを起こしてしまった時は、それを早く見つけて改善しないといけません。

-技術者でもありながら、他のさまざまな仕事もこなすには、どのようなことを意識して働いていますか?

「ただのエンジニアでいるな」ということを大事にしています。僕は、ボーイングやエアバス機と、ヘリコプター数種の操縦訓練を受けているため、自分でもある程度操縦経験があります。そこで得た知識と経験があるから、パイロットと話をしていても、「こいつは何も知らずに、わけのわからないことを言ってるんじゃないな」ということをわかってもらえます。パイロット視点から見た飛行機についての最低限の知識は自分でも身にはついていると思います。

だから、パイロットと話す時はパイロットとして話をするし、技術者と話す時は技術者として話をするように心掛けます。その目的に応じて対応できるようにしています。

また、エンジニアであったとしても、最終的には自分のアイデアを誰かに売り込まないと、そのプロジェクトはスタートしません。いいセールスマンでないと、自分のアイデアを売ることができないので。だから、いい技術を開発する能力だけを持っているのではなく、自分のアイデアを売り込む能力も持ち合わせていると強みになります。研究して、実際に現場へ行き、そこで身につけた知識が今に活きています。飛行中のコックピットから見ていても、同じ気象条件は絶対に起きないし、毎回すべてのフライトで何かが違うので、この研究、現場、勉強、次に活かす、というサイクルは止まることがありません。常に刺激があって、現場で学んでいくことは多いですね。

だから、ずっと学び続けなければいけないのだと思います。同じことをただ単にやり直してやり続けていくことは楽ですが、それだと面白くない。いつかは限界がくるし、何か新しいことをしていかなきゃいけません。それは最近自分がそうなりつつあるから、自分への戒めでもあるんですけどね。

-今の学生に伝えておきたいアドバイスはありますか?

すぐにあきらめないで欲しいかな。いつも自分に正直に、自信を持って自分のやりたいことを目指してもらいたいです。

-どうもありがとうございました!

取材を終えて:
エンジニアとして、そして営業マンとして、時にはパイロットとして、人の命を守るために世界中を駆け回る石原さん。私自身、将来世界中を回りたいと思っているので石原さんのお話は、とても興味深く、勉強になることがたくさんありました。

転職が主流のアメリカで、一貫して同じ会社、同じ部署で働いている石原さん。同じところに長くいるからこそ感じること、さらには縦断的に仕事に携わることで多方面からの視点で新しい発見がある、ここに仕事の喜びを見つけておられるような気がしました。

「すぐにあきらめない。与えられた環境の中で、自分が興味のあることを見つけてそれを好きになることも一つの能力。そして、同じことの繰り返しではなく、常に新しいことを求めてそこから楽しく学んで、次に活かすこと、そして偽りなく正直でいること。自分が「こうだ」と思ったらそれを素直に伝えるし、自分の間違いだと気づいたら素直に謝ることが大事」。

社会にもテクニカルに影響を与える人ということで、テクニカル・フェローの制度の素晴らしさも知れました。これが日本でも広まれば、より多くの開発ができ、より良い環境で技術者たちが研究でき、日本の技術は発展するだろうと思いました。

進化を目指して生きることの大切さを強く感じました。

田部井愛理さん

取材・執筆:田部井 愛理(たべい あいり):
1994年生まれ。ワシントン大学で Arts, Media and Culture を専攻。

掲載:2017年7月



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