前回、CSR(企業の社会的責任)について言及し、「自社が得意とするものを利用して、社会に貢献する活動をする」ということを説明しました。そもそも「自社が得意とするもの」とは企業にとって一体何で、それと社会はどう結びつくものなのでしょうか。
存続できない企業やNGO・NPOの問題点
会社・企業には、「起業」という瞬間があります。会社を始める時です。起業する時、人はどう考えて「起業」するのでしょうか。世界のどこでもそうですが「金儲け」だけを考え、それを目的に活動する企業は、長続きしません。それがスタートアップの大半が失敗に終わる大きな一つの要因です。しかしながら、「金儲け」を考えていないはずの非営利の NGO や NPO も、存続し成功する組織になるのはそう簡単なことではありません。
企業活動にしても、NGO・NPO 活動にしても、存続の鍵は「お金」とは関係のないところに存在するものなのです。その肝は、創業者や起業家が最初に「こんなことをしてくれる物・サービス・人がいたら便利、助かる人がいるのでは」という思いを持った、その「こんなこと」にあります。言い換えると、それはその組織の「使命」や「役割」です。人は生まれもっての役目があり、その役目を果たすことが大切だと言われますが、組織が生まれる時にもその「役割」があるわけです。この「使命」や「役割」を一番の目的にかざすことのできない組織は、遅かれ早かれ衰退していきます。
企業は金儲け、NGO・NPOは慈善事業の勘違い
日本では、NGO・NPOと言うとすぐに、「慈善事業」をしている団体や、「役人の天下り場所」などとあまり良くないイメージもあります。しかし、資本主義社会の中では税法から見て、企業と NGO・NPO の間には、ある一定上の利益を出してそれを多年度で持ち越すことができるかできないか程度の違いしかありません。企業がしている活動も、NGO・NPO がしている活動も、中身に差がなくても良いのです。欧米では最近、企業が NPO のように振舞う傾向も大きくなっています。企業とNPOが共存するような形です。私の勤務する Tableau にも Tableau Foundation という団体があり、企業の一部として NGO・NPO 活動をしています。
企業があげた利益をどう再配分、再投資するか、そういう部分でも NGO・NPO を活用して社会に再配分するケースも多くなってきました。
投資家においてもそうです。Microsoft の創始者ビル・ゲイツ夫妻、ウォーレン・バフェットなど、社会から多額なお金を企業活動・投資活動で受け取った人たちは、最適なお金の再配分の方法を考えて活動していることで有名です。
企業はサービスや製品を提供して、より良いものを世の中へ送り出すことで利益を生むことがあります。その利益は投資家やお客様、社員や社会へ還元されて再配分されるのです。NGO・NPO の場合、そうした原資を調達し、またはサービスを提供してNGO・NPOの社員や家族にも収入を配分するのです。企業と NGO・NPO を「金儲け」というラインで区切ることは、基本的な部分で間違っていると言えます。
日米の起業家たちの違い
アメリカで存続して成功している起業家たちは、多くが強い「使命感」に突き動かされています。近年のスタートアップの例で言えば、『Wag』という犬の散歩のサービスがありますが、この会社はサービス開始から1年ほどで自分たちがお客様にインストールしているアプリにこんな表示を出すようになりました。
「売上からx%を身よりのない犬たちの食事代として寄付します」
売上や利益だけを追いかけていたら、立ち上がって1年どころの会社にはそういう使命感はなかなか湧きません。しかし彼らは、家で留守番をしている犬たちへの散歩のサービスでお客様である飼い主と犬が幸せになれるようにという使命感でサービスを始め、そしてそれ以上にそういう飼い主と出会えていない犬にまで自分たちの気持ちを分配しようとなったわけです。
シアトルには、言わずと知れた世界一の航空機メーカー「ボーイング」があります。ボーイングの役員たちが、新型の飛行機をリリースする際のリリース文によく使うフレーズがあります。「ボーイングの社会貢献は、こうした大型の、そして部品点数の多い飛行機を設計することにある。こうした部品が世界各地から集められ、そのひとつひとつの部品に関わる人たち、そしてその家族と共にこの大きな飛行機を世の中へ送り出す。そうすることで、ボーイングの収入はこれほど多くの人たちと共有されている」
アメリカの経営者たちと話をすると、その貢献度合いのスケールの大きさに驚くことが多く、逆に投資家たちもその部分へ厳しい目を向けているので、投資家への説明会などでこの手の役割の質問があがると、いつも考えているかのようにスラスラと説明する経営者がいます。企業活動には、金銭的な収支ということが付いて回るのは当たり前ですが、日本企業はその目の前の収支に追い回されて、いつの日か「使命」や「役割」をおざなりにしてしまうことで企業の存続が危うくなっていきます。逆に「使命」や「役割」にブレのない企業は社会に愛され、必要とされ、難しい局面もそこに立ち戻ることで切り抜ける体力が備わっていると言っても過言ではありません。
こう考えると、人間の生き方と組織の生き方というのはとても良く似ています。ブレない、芯のある企業を立ち上げ、育てる日本社会になると良いですね。
執筆:鷹松弘章(たかまつ・ひろあき)
1998年にMicrosoft Corporation 日本支社に入社し、2001年から米国本社にて技術職の主幹マネジャーとして Windows などの製品開発の傍ら、採用、給与・等級の決定やレイオフに携わる。2017年にデータ解析大手の米国 Tableau Software(タブロー)入社。スターティアホールディングス株式会社などの社外取締役も務める。個人でもエグゼクティブコーチングやコンサルタントとして活動。日本国内の大学・高校・企業などで講演活動も行っている。詳しくは hiroakitakamatsu.com で。
このエッセイの内容は執筆者の個人的な意見・見解に基づいたものであり、junglecity.com の公式見解を表明しているものではありません。