シアトル・ポートランド・ニューヨーク・ワシントンDCに合計106名の弁護士を抱える、戦後シアトルに設立された法律事務所の中では最大規模のガーヴィ・シューバート・ベアー法律事務所。今月はそのエステート・プランニング部門に勤務されている鈴木あかね弁護士にお話を伺いました。
※この記事は2002年11月に掲載されたものです。
鈴木 あかね (すずき・あかね)
1989年 タコマの高校に留学
1991年 オレゴン州ポートランドのルイス・アンド・クラーク・カレッジ入学
1996年 ワシントン大学ロー・スクール入学
1999年春 ワシントン大学ロー・スクール卒業
1999年秋 ニューヨーク大学ロー・スクール入学
2000年春 ニューヨーク大学ロー・スクール卒業
同年秋 ガーヴィ・シューバート・ベアー法律事務所入社。現在に至る。
高校留学から大学卒業まで
何をきっかけに弁護士になろうと思われたのですか?
特にこれといった出来事があったわけではないと思うのですが、中央大学の法学部で学び、市民活動をやっていた父が弁護士とやり取りをしているのを見たり、家庭でもそれに関連した話題がよく出たりしたことに、少なからず影響されたのではないかと思います。小学校時代の同級生によると、「弁護士になりたい」と作文に書いていたそうですが、私自身はそれを覚えていません(笑)。
アメリカに来られるまでの経緯を教えてください。
中学校から高校にかけては、「弁護士になりたい」と思っていたことは忘れていました。中学入学と同時に英語の勉強が始まったこともあって、アメリカや英語への興味が強まっていたからです。そして、外交や国際ビジネスといった国際関係の仕事に就くために留学したいと思うようになり、密かに留学の資料を集め、ある日突然「このプログラムがいいと思うけど、どう?」と両親に相談。当初は驚いていた両親も、「1年なら視野が広がるのでは」と留学を許可してくれ、タコマの高校への1年留学プログラムに参加しました。
初めてのアメリカはいかがでしたか?
とても楽しかったです!友だちもたくさんできました。そして、プログラム終了が近づくにつれ「ここに残った方が国際ビジネスに関係した仕事に就けるのではないか」と考えるようになり、また両親を説得。そのままタコマの高校で勉強を続けて卒業し、国際関係に強いことで知られるルイス・アンド・クラーク・カレッジに入学しました。東アジア研究の専攻で中国語も履修し、3年生の時には台湾の東海大学に1年間の語学留学もしました。
ワシントン大学ロー・スクール入学
そこからどのようにして弁護士に?
残念なことに、当時は中国関係では研究者か教授という道しか見つかりませんでした。そんなある日、「君は理論的で、何でも分析して考えるタイプだから、ロー・スクールが向いているのでは」と教授に言われ、それではチャレンジしてみようと思ったのです。大学卒業後にLSATを受験し、一旦帰国。故郷に帰って久しぶりに両親とゆっくり過ごしているうちに合格の知らせが届き、ワシントン大学のロー・スクールに入学するため、またシアトルに戻ってきました。
ロー・スクールへの入学自体、簡単なことではないと思いますが。
ロー・スクールへの入学には大学の成績とLSATでの点数、そして教授などからの推薦状が必要です。LSATで取得した点数はもう忘れましたが、教授の推薦状が良かったのではと思っています(笑)。
ロー・スクールはいかがでしたか?
“一生の友だち” と言える人たちに出会うことができ、とても楽しかったですね。私が入学した年は、ワシントン大学ロー・スクールの歴史上で初めて女子学生の入学者数が男子学生を上回ったということで、ウーマン・パワーが強かったようです。勉強内容は非常に難しく、競争意識を持つ余裕もないぐらい。とにかく勉強一色で、英語をネイティブとするアメリカ人も苦しんでいました。2年生になってからの課外活動では多数の同級生と共に、永住権を盾にとって家庭内暴力をふるう配偶者から移民女性を保護する非営利プログラムにボランティアとして参加。これには非常にのめりこみましたね。私自身もクライアントが1人いたのですが、その他にも日本人の助けが必要な場合は通訳をし、後輩のトレーニングにもあたりました。このプログラムは今でも活発に動いていますよ。また、同時に学内の出版物であるワシントン・ロー・レビュー誌 (Washington Law Review)に自分が執筆したものを記事にしてもらえるよう勉強し、3年生では共同編集者として同誌の編集作業に携わりました。
就職とニューヨーク
この法律事務所に入られた経緯を教えてください。
ワシントン大学ロー・スクールの卒業生は地元に残る人が多く、今は弁護士として活躍している元同級生にダウンタウンで会うこともよくあります。この事務所も元はワシントン大学ロー・スクールの卒業生が3人で設立したもので、現在も卒業生がたくさん働いています。この事務所の評判と国際的なクライアントが多いことにひかれ、2年生から3年生になる間の夏休みにサマー・アソシエート・プログラムという、いわゆるインターンシップ・プログラムでこの事務所にやって来ました。アメリカの法律事務所ではインターンの結果が良かった場合、プログラム終了時に雇用契約を結ぶのが伝統となっていますが、ある日、「エステート・プランニング(遺言書作成、遺言執行手続管理、連邦相続税・贈与税など、遺産相続に関する相談を取り扱う法律業務)に進みたい」という希望を伝えたところ、たまたま弁護士の新規採用を検討していたこの事務所のエステート・プランニング部での採用が決定しました。エステート・プランニングを担当する人は他の分野と比べてそれほど多くないことから採用も頻繁には行われないので、本当に幸運だったと思います。
その後、ニューヨーク大学へ行かれた理由は何ですか?
エステート・プランニングには税法が深く関わってきますので、インターンシップ中に「税金関係も勉強するように」と言われ、ニューヨーク大学のロー・スクールで税法のLLMを取得することに決めました。こちらはワシントン大学より大変でしたね。初日の宿題を見たとき、「嘘でしょう!?」と思いましたよ。「こんな量をどうやって1日で読むのだろう?」と。一晩中読みましたが、終わりませんでした。そんなわけで、初めの3ヶ月ほどはニューヨークの街を歩くこともせず、勉強ばかり。でも、しばらくすると慣れるものですね。4ヶ月目ぐらいからは観光をする時間が作れるようになりました。卒業後にはシアトルに戻り、この事務所での勤務を開始。ニューヨークでの生活は東海岸のカルチャーを体験するいい機会でしたが、私はやはり西海岸の方が好きですね。
現在のお仕事とこれからの展望
鈴木さんの仕事内容を教えてください。
エステート・プランニングについてクライアントと話し合い、ご希望に沿った法的書類を作成します。また、検認・非検認情報、相続税・贈与税関連問題、何らかの理由で生活不能に陥った場合の計画、夫婦共有財産関連の規則、そして未成年の扶養家族がいる場合は保護者問題などを含むエステート・プランニングにまつわる基本的な決まりについてクライアントに説明します。ここで、遺言はエステート・プランニングのほんの一部であることを認識していただくことが大事です。包括的なエステート・プランニングには、自分の死後の資産運用だけでなく、生存中に何らかの理由で自分が生活不能に陥った場合の対策が盛り込まれます。これは財産問題だけでなく、医療問題(生命維持装置の使用など)も含み、すべて代行権限委任状を事前に作っておくことで対処できます。クライアントの資産が大きい場合、希望によっては会計士や信託会社、財務顧問といった他の金融関連の専門家たちとコーディネートしながら仕事をすることもあります。また、この他には、ビジネス法や非営利団体に関する法律相談も行っています。
典型的な1日というのはありますか?
ありませんね(笑)。強いて言えば、出勤後は前日の片付けや継続中のリサーチや分析を行い、クライアントとのアポイントメントが入っている場合はその準備を行います。そして10時ぐらいから会議やアポイントメントに出席、ランチタイムもセミナーや会議に出席することが多いですね。午後にアポイントメントが入っていない時はプロジェクトやリサーチ、分析などをします。
毎日のお仕事で最も大変なことは何でしょう?
さまざまな法律が施行・改訂されると同時に、新しい判例が次々と出てきますので、毎日がチャレンジの連続です。また、最近は税法が大きく変わりつつありますし、州法と連邦法との関わりも複雑になっていますので、常に新しいことに立ち向っています。
これからの抱負を教えてください。
仕事とプライベートを両立し、バランスがとれており、幅広く豊かな才能を持つ人間、そして弁護士になりたいと思います。特に遺産関係は人間と深く関わっていますから、知識ばかりあっても、人のことがわからない機械のような弁護士では、クライアントの役に立つことはできないでしょう。若くして外国に来た私は、ホストファミリーや、すばらしい教師や教授、そして友だちや見知らぬ人まで、たくさんの人たちの親切と指導に助けられました。それに加えて私の家族もずっとサポートしてくれました。自分1人だけでは、今の自分になれなかったと思います。今でもたくさんの人に助けられ、奮起させられていますが、私自身も、誰かを助け、さらには力づけることができるかもしれません。自分のベストな状態を保ち、できるだけ最適な方法で社会に貢献していきたいです。
【関連サイト】
ルイス・アンド・クラーク・カレッジ
ワシントン大学ロー・スクール
ワシントン・ロー・レビュー
ニューヨーク大学
ガーヴィ・シューバート・ベアー法律事務所
掲載:2002年11月