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| 2005年10月30日(日) 2度目のニューオリンズ訪問 | ||
前回の
"一時帰宅" から約2週間ぶりに、またニューオリンズに行きました。約2週間前は自宅周辺の Lakeview は倒れた木や倒壊した家が道をふさいでいるところが多かったのですが、廃棄物回収が着実に進んでいるようで、現在は車の通ることができる道が圧倒的に多くなっていました。また、一時帰宅する住人も多く見られ、家の前に廃棄物となった冷蔵庫や家具などを出している人もたくさん見かけました。姑宅も床や壁をはがして骨組みだけを残した状態になって着実に
"建て直し" が進んでおり、トレーラー・ハウスも家の前に固定されて、あとは電気の復旧を待つのみ。2週間という期間でも、復興に向けての様々な進歩を確認することができとても嬉しくなりました。さらに、フレンチ・クォーターへも足を延ばしてみました。町を歩くワーカーの数も圧倒的に増えており、駐車スペースを探すのに一苦労。再オープンした店も多くなり、フレンチ・マーケットにあるフリー・マーケットも徐々に出店する店が増え、ハリケーン前の賑やかさを取り戻しつつあるように見えます。カフェ・デュ・モンド以前の混雑はないものの、ベニエを頬張るワーカー達でそれなりに賑わっており、カトリーナ前からいつもフレンチ・クォーターに
"出勤" していた大道芸人たちも何人か戻っていました。早速、先日再オープンしたトラディショナル・ジャズのメゾン・バーボンへ。顔見知りのウェイトレスは1人もいませんでしたが、ジャミール・シャリフは避難先のアトランタから
"出勤" していました。しかし、バーボン通りのロック系クラブはたくさんのワーカー達で賑わっているのに、トラディショナル・ジャズ・クラブの演奏が始まっても中へ入るお客さんはごくわずか。ジャズ・ファンが町に来なければ、カトリーナ前の活気あるジャズ・クラブには戻らないのかもしれません。翌日、特別許可がないと入ることができない「被災地」へ。巨大なはしけが堤防を突き抜け、カトリーナとリタで2度に渡って大きな被害を受けた Lower 9th ward とセント・バナード地区のそのあまりに衝撃的な被害を見て言葉を失ってしまいました。周辺は木造のショットガン・スタイルの家が多かった場所で、数ブロックに渡り家々が完全に破壊されて土台や玄関前の階段のみが残っていたり、流された家が数十メートル先の川沿いの土手まで漂流したりしています。横転した車も何十台もあり、町一帯がまるで爆弾が落とされたかのよう。たとえここに戻ってきても、まず自分達の土地がどこなのかを探さなければならないでしょう。車で周辺を何十分走り続けても修復不可能な家々が数万件も並び、軍人以外はあまり見かけず、復興作業が始まる気配さえ感じることができません。復興に取り組めるまでに相当長い時間がかかるのが、素人の私でも感じ取れます。人懐っこい子供達の笑顔、夏に一緒にセカンド・ラインを踊った人達、力強いブラスバンドを演奏してくれた子供達の顔を思い出すと、感情をコントロールするのが難しくなります。(み) |
| 2005年10月23日(日) Lakeview などの様子 | ||
ニューオリンズの自宅に
"一時帰宅" している姑夫婦から、久しぶりに明るい声で電話がありました。破損が激しいけれど、大事なアルバムが見つかり(写真右)、その上、待ちに待った
"トレイラー・ハウス" が自宅の前にようやく運ばれてきたそうです。真新しいトレイラー・ハウスにはシャワーに台所、寝室に小さなリビング・ルームまであり、なかなか快適に過ごせそうだとか。しかし、残念ながらまだ彼らのいる
Lakeview には電気が通っておらず、まだこのトレイラー・ハウスで生活することができません。同地では昨日、行政からの報告会が開催され、2千人近くの住民が集まりました。姑夫妻も出席しましたが、電気の復旧まで4ヶ月から8ヶ月かかること、水道水は飲んでも害がないことなどが報告されただけで、決壊した堤防がいつ頃までに修復され、カテゴリ5のハリケーンに耐えられるよう強化されるのかなどについては具体的な回答はなかったそうです。家を建て直すべか、取り壊すべきか、また同じところに住むべきか、住むべきではないのか。住民にはたくさんの疑問が残されたままです。(み) | ||
| 2005年10月12日(水) フレンチ・クォーターなどの様子 | ||
先週末、フレンチクォーターへ行ってきました。向かう途中、道路脇に大きな船があったり、木々が道をふさいでたりとけっこうサバイバルでした。フレンチクォーターはハリケーンが通過したとは思えない"いつもの町"で、美しい青空とのコントラストを見た時、"今までのことは悪夢だったんだ"と現実逃避してしまいました。カクテルを片手に歩く人達もいて、ぽつぽつとレストランも開き始め、私のお気に入りのレストラン「アジアン・ケイジャン」も再営業し、夜はほとんど満席だとか。嬉しくなってカクテル片手に歩いてみたら、どこからともなく大量のハエが!!一瞬にして5匹のハエがカクテルの中でスイミング・・・。よく見ると町中にすごい量のハエが飛び回ってるのです。時折、軍隊の車が通りすぎ、いつもの大道芸人も、ストリートミュージシャンもおらず、マルディグラ・ビースを求める観光客も1人といません。一気に現実に引き戻されました。 今、町にいるビジターは、一般観光客ではなく、ほとんどが軍、医療関係、Femaのコントラクター達だそうです。しかし、こうした仕事で訪れているビジターのお陰で、フレンチクォーターのビジネスは着実に「活気」が取り戻りつつあります。Masison Bourbonも営業の準備をしており、ニューオリンズならではのジャズが聞こえてくる日も近いかもしれません。一日も早くあの青空の下でジャズが聞こえる日が戻りますように。(み) | ||
| 2005年10月10日(月) 「偽・被災者」 | ||
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パキスタンの地震のニュースにニューオリンズの人たちも強烈な衝撃が走りました。人間の力では全く抵抗できない自然災害、予告なく襲った地震で被害になった人々・・・。心からご冥福をお祈りするとともに、一刻も早く1人でも多くの人が救出されますように心からお祈りしています。 現在、ニューオリンズでは様々な支援を受けられていますが、本当の被災者が心を痛めているのが「偽・被災者達」の存在です。家も仕事も失くし、文字通り「何もかも失くした人達」は、泊まるところもなく、被災後ずっと車で暮らしている人もいます。ご近所だった老夫婦も転々と知人宅に泊まったり、破壊された家の前に車を停め、そこで寝泊りしたりしています。支援を受けたくても、赤十字も毎日数千人の長蛇の列、FEMAも何百回電話してもつながらず、教会や軍からもらえる水や食料でなんとか生活しているそうです。一方、家も仕事も失わず、"元通り"の生活に戻っている人たちの中に、こういった被災者支援をもらっている「偽・被災者」があまりにもたくさん存在します。彼らは以前と変わらぬ生活をしながら、赤十字やFEMAからの救援金、州からのフードスタンプなどをここぞとばかりにもらっています。この「偽・被災者達」が同じ援助を受けるため、死にそうなくらい救援・支援が必要な「本当の被災者」達がなかなか支援を受けられないでいるのです。赤十字やFEMAなどが「偽・被災者」たちに使っている膨大なお金があるなら、今すぐより多くの救出隊をパキスタンへ送ってもらいたいものです。(み) | ||
| 2005年10月8日(土) ハリケーン後、初めての帰宅 | ||
ニューオリンズへ戻ってきました。ルイ・アームスロング国際空港に到着し、まずはハリケーン・カトリーナ上陸前に停めた車をチェック。埃はかぶっているものの無傷。エンジンをかけたらちゃんとかかりました。早速、自家用車で自宅へ向かいました。空港周辺はあまりハリケーンのダメージは見られませんが、高速に乗りニューオリンズへ近づくほど、壊れた看板、ほとんどの窓が破壊されたビル、屋根のない家々、山積みにされたゴミなどが多く見られます。我が家があるエリアはもともとスワンプだったところで、ミシシッピ河からポンチャートレイン湖まで水路が通っていた、昔から「水」が身近にあるところでした。しかし76年間、このエリアに住む姑夫妻は「常に洪水の危険はあったけれど、床上浸水になるほどの被害はなかった」と言います。堤防の決壊で、ほとんどの家が冠水してから1ヶ月余り。高速を降りた途端、町全体がドブの臭いで、車が通るたび粉塵が舞いました。たくさんの木が倒れ、破壊された家々も長い間水に浸かっていたので壊れ、町全体がまるで爆弾が落とされたかのよう。我が家に着くと、近所の人たちは誰一人おらず、ひっそりとしていました。マスクをつけ、手袋をし玄関を開けました。余りにも変わり果てた我が家。ソファも壁も、元の色がわからない状態で、今まで嗅いだことのない、腐ったヘドロの匂いに頭痛がしました。キッチンへ行くと冷蔵庫が斜めに倒れており、天井につけてあった扇風機には床に置いてあったコーヒー・テーブルが引っかかっていました。夫の空手着を見つけましたが、襟のところだけ残り、あとは溶けて原型がわからない状態。2階は冠水しなかったので1階よりはまだ臭いはマシでした。家具等の状態が悪くなければ、トラックを借りて運び出そうと思っていました。しかし、よく見ると2階も30センチくらい水が入ったようで、どの家具も下がカビており、腐って斜めに倒れているものもありました。子供のおもちゃも全てカビがついており、その生態がわからず、臭いもすごいので、持ち出すのを断念。洋服や本、靴、バックなどは全て回収不可能とわかり、回収できたのは、唯一大事なパスポートと子供の出生証明書くらいでした。自宅から少し歩いて、近所をまわってみました。シニアの1人暮らしのお宅も多かったところで、ところどころ「死人1」と軍隊が残したマーキングが見られます。気を確かに持たないと狂ってしまいそうです。(み) |
| 2005年10月3日(月) 一時帰省許可を取得 | ||
被災してから1ヶ月が経ちました。エリア別に一時帰省許可が出されるのに、我が家のエリアはなかなか許可が出ずいろいろな気持ちと葛藤していましたが、ようやく私たちのエリアの一時帰宅許可がおり、期間限定で自宅を訪れることになりました。早速、飛行機のチケットをとり、破傷風の予防接種をし、長靴に手袋、マスクを買い、"帰宅"
の準備を始めましたが、気持ちはとても複雑です。一時的にでも帰れる喜びと、帰省許可期間が終了したら、また離れなければならない寂しさ。今後、冠水した場所の調査が行われ、家の修復もしくは取り壊しが行われ、またあの町に住民が戻れるのはいつになるのでしょう。 被災してから私たちは
FEMA の援助をまだ受けていません。オンラインで登録したものの、画面がフリーズして再登録した結果、"重複登録" となり、手続きに時間がかかっているのだそう。赤十字ともなかなか予約が取れず、まだ支援を受けることができていません。突然、ホームレスになり、仕事も失い、路頭に迷う私達を救ってくれたのは、行政ではなく、近所の人たち、友人、家族、仕事関連のたくさんの
"人々" でした。当初、スーツケース1つ分しか荷物がなかった私達ですが、シカゴで十分冬を越せるくらいの洋服や毛布などを提供していただきました。そしてジャングルシティさんからなんと大きな箱が2つ届き、開けてみると炊飯器にお米、釜飯の素、洗顔フォームなど多岐にわたったお見舞い品が!以来、毎日ホクホクのお米を楽しんでいます。日本からの友人からも、日本食や本、衣類などをたくさん送っていただき、以前働いていた会社の皆さん、そして兄の会社の皆さん、親戚、友人からはお見舞金まで送っていただきました。人様からこうやって物をいただくことに慣れることができず、その都度本当に恐縮すると同時に、たくさんの皆さんの優しい気配りに癒される毎日です。 先日、シカゴ少年少女合唱団による
『ハリケーン・カトリーナ・ベネフィット・コンサート』 に招待されました。ピアニストの主人も、『Do you know what it means to miss
New Orleans』 を演奏し、被災地復興への協力を呼びかけました。数週間後はニューオリンズのミュージシャンによる、ベネフィット・コンサートの開催がシカゴ郊外で予定されており、全ての収益金は
"The Bring
New Orleans Back Fund" に寄付されます。人様から助けていただくだけでなく、何か私たちにもできることを続け、復興の一助になればと思います。(み)
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