| | 2005年8月31日(水) テキサス州ダラスへ移動 |  |
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昨日までは、「水さえひけばどうにかなる!」と気丈に振舞うことができたのですが、日を追うごとに途方に暮れていきます。姑夫婦のこと、ペットをたくさん飼っているからと避難しなかった友人のこと、隣のファミリーのこと、奪略者がうろつくフレンチ・クォーターに残った親戚のこと、洪水をより悪化させている堤防が崩壊してしまい、自宅は流されてしまったこと、まだ屋根裏やどこかに閉じ込められている人たちのことを考え、また、水位もますます高くなり、町の80〜90%が浸水していること、電気が戻るまで3ヶ月はかかることなどのニュースを聞き、何に希望を持っていいのかわからなくなってきます。私達はヒューストンから夫の叔母が住むダラスに移りました。何週間続くかわからない避難生活をそこで過ごさせていただきます。どうか皆が無事でありますように。(み) |  |
| | 2005年8月30日(火) テキサス州ヒューストンに避難 |  |
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避難勧告が避難命令に変わり、普段6時間しかかからないテキサス州ヒューストン市に15時間かけて避難してきたのが28日。テレビで上空から撮影されたその後のニューオリンズの様子が報道されていたのですが、町の80%は浸水しているそうです。市内のほとんどが海抜0メートル以下なので、残念ながら2階建ての我が家も屋根まで浸水している模様。あわてて避難してきたので、スーツケース1つ分しか荷物を持って来なかったことを心から悔やみます。電化製品や家具はしかたないとして、大事な書類や子供の誕生時の写真やアルバムもきっと水の中。これから町が復旧するまでどのくらいの時間がかかるのだろう、いつ水がはけ、いつ家に帰れるのだろう、帰ってからどこで寝泊まりすればいいのだろう、仕事の見通しもつかず、どうやって暮らしを立てていけばいいのだろう。きっと皆が同じ思いをしています。しかし、死者も出ており、現在もなお屋根の上で助けを求める人、もしくは屋根裏に避難して閉じ込められた状態の人も多くいます。私達は家族が全員無事で、安全な場所にいることだけでも非常に恵まれていると実感しました。思えば5年前に日本からニューオリンズに来たときも、スーツケース1つからのスタートでした。「そのうち、またいつもの暮らしが戻ってくるさ!」と思うと、復旧へのエネルギーが湧いてきます。1日も早く、"ビック・イージー"
の町に "日常" が戻りますように。(み) |  |
| | 2005年8月27日(土) ハリケーン・カトリーナ迫る |  |
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| 現在、カテゴリ3のハリケーン・カトリーナが勢力を強めながら、ニューオリンズ方面へ進路を進めています。このままだと、月曜日の朝にカテゴリ4、もしくは5に成長したハリケーンに直撃されるかもしれないとのこと。パリッシュによっては避難命令が出されたところもあり、ニューオリンズ市長のレイ・ナギン氏もお昼のニュースで避難勧告(voluntary
evacuation)を発令しました。市内のガス・ステーションはどこも長蛇の列で、スーパーへ行っても既に水は売り切れ(写真右)、ハイウェイもかなりの渋滞が始まっています。私達もこれから避難を検討します。(み)
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| | 2005年8月21日(日) "Bon
Odori Festival" |  |
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 | ジャパンクラブ主催の"Bon
Odori Festival" がレイクサイド・ショッピング・モールで行われました。開催時間ぎりぎりに行ってみると、"Bon Odori"
とは何なのか興味深々なローカルっ子で会場は既にいっぱい。まだまだ日本人の人口が少ないルイジアナですが、多くの参加者達はこの日のために時間を作っては踊りの練習を重ねてきたそうです。オープニングは和太鼓のパフォーマンス。おしとやかな(に見える?)浴衣姿のまゆみ・シャラさんが、力強く、そしてリズミカルに太鼓を叩き始めると、会場は一気に盛り上がり、その後、舞の会等の数々のダンスが披露され、ローカルの学生による日本の歌のパフォーマンスと続き、最後は観客も一緒になって盆踊り。大いに盛り上がったのでありました。(み) |
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