MENU

「人の役に立ち、喜んでもらえるこの仕事に全力を尽くしたい」オーディオロジスト 真宮杏奈さん

  • URLをコピーしました!
真宮杏奈さん
もくじ

幼い頃の病気の体験をポジティブに変える

心臓に疾患を持って生まれた真宮さん。それからの出来事が自分のやる気に影響したと言う。

私は心臓疾患を持って生まれ、「3歳までしか生きられない」と言われていました。両親は私が手術を受けられるようになるまで生き延びさせようと、いろいろな体力作りをさせました。

「早く死んでしまうかもしれない子」ということで甘やかされた部分もありますが、いいことをすれば徹底的にほめられたので、自分に自信があったと思います。幼い頃から自分がこうと思ったことは即実行に移すようになりました。

そして、6歳の時に手術を受けて成功したのですが、医療ミスで声帯が半分麻痺してしまい、クラスで一番大きかった声が出ない。これは誰にとっても予想外でした。声を出すためにがんばらなくてはならなくなり、クラスでからかわれました。また、手術してから3年間は水泳をしてはいけなかったので、3年生になってみんなが泳いでいるそばで、私はようやく水に顔をつけるところから始めることに。声のことでからかわれて悔しかったのもあったのでしょう、自分にできることはないかと探して、勉強も水泳もがんばりました。

大学を中退して渡米

「アメリカに行くなら、アメリカでしか勉強できないことをしろ」という周囲の人たちからのアドバイスで、コンピュータ業界へ。

立命館大学に日本史専攻で入学したものの、ESS(English Speaking Society)にとことんはまってしまいました。2年生の時にアメリカで1ヶ月のホームステイをしたことで、それまでいいと思っていた単調な生活よりも、変化のある生活がいいと考えるようになって、「中退してアメリカに行こう」と決めました。

当時の日本は、バブル景気にわいていた1980年代。立命館の日本史専攻でESSに入っていれば、就職でも引く手数多でした。「そんなことを棒に振っていいのか」と、他のメンバーたちに散々引きとめられました。でも私は幼い頃から自分がこうと思ったら曲げることがない性格で、その時もまったく聞く耳を持ちませんでした。でも、「英語は何かをするためのツールでしかない。だから、英語を勉強の目的にするのではなく、アメリカでしか勉強できないことをしろ」とみんなに言われたことは、とても心に残りました。

渡米後、半年間にわたり ESL に通った後すぐに、コンピュータ・プログラミングのクラスを取る機会がありましたが、イントロダクションのクラスでつまづきました。でも、コンピュータ・ラボで悩んでいた私の横に偶然座った日本のIBMでプログラミングをしていた日本人女性から借りた本で、1日にしてプログラミングのコンセプトを理解することができ、それから本当に楽しくなりました。そして、「これが日本にはまだあまりないもので、アメリカに来た目標だ」と。

卒業してデータベースのプログラマとして貿易会社に勤め、その間に結婚しました。でも、就労ビザが取得できず、どうしようかと思っていたら、永住権の1回目の抽選が始まったのです。私の場合、壁にぶち当たった時に、いいことが起きるんですね。当時は一人が何通応募してもよかったので、私は夫と合わせて800通を投函し、締め切りから数週間後に当選通知を受け取りました。

それから約15年、いろいろなソフトウェア会社で働きました。最後の10年はシアトルのソフトウェア会社に勤めていましたが、ローカライザーとして始め、途中からプロダクト・マネジャーとして商品開発やマーケティングの仕事をするようになりました。当時も共働きでしたが、マネジャーになると私の仕事が多忙を極め、数週間の出張などもしょっちゅう。なので、子供の日本語教育は私が担当しましたが、育児に関しては第一子が生まれた時に旅行業界で独立した夫にまかせっきりでした。ここで、お客様サポート、マーケティング、営業、人の管理に役立つ経験を積むことができました。

オーディオロジストという、一生の仕事との出会い

30代後半で一念発起し、オーディオロジストになろうと決心。国家試験合格まで7年をかけた。

そのシアトルの会社が競合他社と合併してレイオフとなった時、もうコンピュータ業界で新しい製品を生み出すことや、新しい技術を学ぶことに興味を持てなくなっていました。

そこで、建築かバイリンガル教育を学ぼうと、4年制大学に編入する学位をベルビュー・カレッジで取得して、ワシントン大学に編入したのが2005年。でも、難関の建築学科に入るための準備コースを取っていくうちに、デッサンを手描きすることが私にはものすごく難しく、本当にこの道に進むべきかと悩みました。さらに「バイリンガル教育という専攻はないので、スピーチ & ヒアリング専攻はどうか」と言われ、クラスもなかなか面白かったので、スピーチ & ヒアリングを主専攻、建築を副専攻にすることにしました。

その頃です、オーディオロジストという仕事に出会ったのは。オーディオロジストとは、難聴の診断・治療・補聴器の調整・リハビリ・難聴の予防を行う専門家。大学院の博士課程でオーディオロジーを学び、国家試験に合格しなくてはなりません。大学院の卒業には、スピーチなら2年か3年、オーディオロジーなら4年かかると言われる、ワシントン大学の大学院では13人しか入れない難関。「これはプログラミングに通じるものがあるので、私に向いている」と思いました。

でも、ここで初めての苦労を味わいました。当時の私は30代後半。日本史を学んでいた時は本を丸ごと一冊覚えるなんて簡単なことだったのに、なぜかまったく頭に入ってこない。3時間のクラスを録音して書き留め、何度も聞く。朝から晩まで勉強でした。できる人なら、またはネイティブ・スピーカーなら1時間もあれば終わっているようなことを朝から晩までやってようやく終わるという状態で、当時10歳ぐらいだった娘がやって来て、「私は大学には若いうちに行って勉強する」というようなことを言ったのを、今でも覚えています。

人の役に立てる仕事

「米国難聴者協会(Hearing Loss Association of America)によると、米国である程度の難聴に苦しんでいる人の数は全人口の約20%にあたる4,800万人。その原因はさまざまだが、最近はストレスによる突発性難聴が増えて来ているという。「でも、聴力を取り戻した時、人は第2、第3の人生を楽しめるようになる」と、真宮さんは語る。

2012年6月に大学院を卒業して国家試験に合格し、米国でオーディオロジストとして働ける免許を取得しましたが、就職先がすぐに見つからない。実は、オーディオロジストというのは満足度ランキングでトップ10に入ると言われる職業で、長く続けられるので、なかなか空きがないのですね。ですから、シアトル地域ではワシントン大学の卒業生同士で就職先の争奪戦になります。

でも、ある日、「オーディオロジストの集会があるから行ってみたら」と教授に言われ行ってみると、たまたま前にすわっていた人から、クリニックを将来立ち上げたいのであれば、私のクリニックを一部使用してみるかという提案があり、それを受けることに。おかげで、卒業して5ヶ月後の2012年11月にオーディオロジスト兼クリニックのオーナーとしてスタートすることができました。

そして、2013年7月に今のオフィスへ移転。自分にはとても手が届かないと思っていたロケーションでしたが、一度見てしまった後は、ここでできる方法を考え始めました。私は今これをするしかないと思ったら、絶対に引かないし、ギブアップしない。何とかなるだろうと楽観的なのですね。チャンスを逃さないし、壁に当たるとそれを乗り越える方法を考えますし、壁に当たった時はそれを乗り越えさせてくれる人や展開が現れます。今考えてみると、プログラミングも、建築も、オーディオロジーも、すべて繋がっています。

今、オーディオロジストとして働いていて、本当に人の役に立てることに喜びを感じます。難聴は、人の性格や人との関わり方などを変えるなど、さまざまな影響を及ぼしますが、補聴器で再び聴こえるようになると、性格も明るくなり、行動的になります。難聴で来られた時はムスッとしていた方も、補聴器をつけると、表情がまったく違うんです。会話に入れますし、聞き直さなくてもいいし、大きい声で話してもらわなくてもいい。脳には耳からの音の刺激が必要なので、補聴器をつけることで聴力が維持され、少し痴呆が進んでいた人も進行がストップしたかのような状況になります。年齢が上になると補聴器の効果を否定しがちになるので、何かきっかけができて、その違いを試してみることができたらと思います。

これまで本当に好きなことを好きなようにやらせてもらってきましたが、これからはオーディオロジストとしての仕事を続け、たくさんの方の生活向上に役立ちたいと思っています。

まみや・あんな/京都府生まれ。立命館大学を中退し、渡米。エドモンズ・コミュニティ・カレッジでプログラミングを学び、コンピュータ業界で約15年勤務した後、ワシントン大学で Speech and Hearing Sciences: Communication Disorders で学士号、Doctor of Audiology プログラムで聴覚博士号を取得。ワシントン州と米国でオーディオロジストとしての免許を取得。2012年にオーディオロジストとしての勤務を開始し、同年に起業。
【公式サイト】 PAC Audiology

  • URLをコピーしました!

この記事が気に入ったら
フォローをお願いします!

もくじ