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「表現することは大切。表現力がなければ何も伝わらない」 セント・マーチンズ大学演劇プログラム出演・運営ボランティア 加藤勇輝さん

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リハーサルを終え、劇場内の控室で仲間と加藤勇輝さん(左端)
『Play Buffet』は、小作品を集めオムニバスに上演する形式。
バイキング形式の食事のように作品が並ぶところに由来している。

加藤勇輝さん
【学校】 セント・マーチンズ大学
【留学開始】 2009年9月
【課外活動の内容】 演劇プログラム 『Play Buffet』 出演・運営
【公式サイト】 Play Buffet
【将来の目標】 2014年8月に同大学の MBA (経営学修士)プログラムに入学し、修士号取得を目指す。将来は父の経営する貿易会社に入社し、留学経験をいかして仕事をしたい。

もくじ

留学のきっかけ・留学生活について

もともと神戸の私立高校に通っていましたがなぜか満足できず、当時不登校をしていた兄が通っていた私塾の活動に出入りするようになり、とても楽しく充実した日々を送るようになりました。兄が先に留学したのですが、僕が進路について迷っていたとき、海外生活経験もあった塾長が、「留学は英語力を向上させられるだけでなく、視野を広げるのに素晴らしい機会だ」と勧めてくださいました。通っていた私立高校には大学もあったので、そのままエスカレータ式に進学する道もあったのですが、本当に充実できる場所に行きたいと思ったのと、自分の可能性を試したいという気持ちが強くなり、留学を決意しました。

僕が渡米する2年前に前述の兄が留学をしており、元気に過ごしていることを知っていた親からすると、日本でくすぶっているよりも元気になることが一番と、むしろ応援してくれました。留学に対して不安な気持ちが出てくると、親の方が「迷いは禁物。自分で一旦決めたのならば、徹底的に、一心不乱に進め」と背中を押してくれました。兄弟ともアメリカに長期的に送り出してしまうことに関して、親の方が息子たちをさまざまな意味で支えようと腹をくくった感じでした。

その私塾の姉妹機関となる留学機関がセント・マーチンズ大学と提携しており、その機関を通して同大学に入学しました。1895年に設立された歴史の長い大学です。高校卒業後から夏に渡米するまでは、その留学機関の留学準備コースで、英語の勉強や渡航、留学準備をして過ごしました。夏の期間に大学のESLで勉強し、秋学期が始まった後もESLから始め、2学期目に英語の力が十分になったころ、パートタイムでレギュラーのクラスを部分的に受講しはじめました。

その留学機関が運営する寮が大学の近くにあり、そこで他の日本人留学生と共同生活をしながら大学に通うというスタイルから留学生活が始まりました。学期によってその寮で後輩留学生を手伝ったり、また大学内の学生寮に住み、大学の留学生クラブ主催のアクティビティ(国際食フェアなど)や大学の国際学部が強く関わっている地域対抗ドラゴン・ボートのイベントにボランティアで参加したり、長い留学生活の間に、いろいろ協力したり貢献したりできたと思います。

2014年5月にセント・マーチンズ大学の学際研究学部を卒業しました。8月に同大学の MBA (経営学修士)プログラムに入学し、修士号取得を目指します。

ボランティアの内容

毎夏、セント・マーチンズ大学の日本人留学生と、地元で活躍する劇作家、ブライアン・ウィリス(Bryan Willis)氏、そして彼が率いる演劇活動支援 NPO の Northwest Playwrights Alliance とが、『Play Buffet』 と呼ばれる演劇プログラムを共同で実施しています。このプログラムでは、毎年ウィリス氏が台本を厳選した8-9本の短編劇を演じます。演じるのはすべて我々、セントマーチンズ大学の日本人留学生です。また、演技だけでなく、舞台裏の照明や音響、小道具、衣装のデザインから作成まで全て学生で行います。

地元のプロの舞台芸術家の力を借りて、専用スタジオで背景などの大道具作りをしたり、劇場の衣裳部屋から衣装や小道具を借りたりできるのも、地元で活躍するこうした演劇集団が関わってくれるおかげです。加えて、彼らの引き合わせで、タコマ市中心部の Broadway Center for the Performing Arts が運営する劇場も長期間使うことができ、本格的な演劇の公演を行うことができます。入場は無料で、いつも大学の学期が始まる直前の8月下旬、一夜限りの上演会を行っています。地元タコマ市、そしてキャンパスのあるレイシー市はじめ、シアトル市からも観劇に駆けつけてくださる方がいて、250席ほどある小劇場が毎年ほぼ満席になるほど、地元の方の夏の恒例行事に数えていただけるようになりました。

劇場内の舞台にて、演出家のエリン・チャンフラウ氏から念入りに演技指導を受ける。

ウィリス氏はじめ演出家たちの狙いは、外国人が外国語である英語でアメリカ文化を象徴するような役を演じてメッセージを投げることで、アメリカ人の意識に刺激を与え、気づきを生み出すことにあるようで、僕らにとっては英語学習にもなるうえに、日本では学べない表現力を身につけ、アメリカ文化を体験する貴重な機会にもなっています。僕が関わったのは留学期間中の4-5回ということになりますが、1995年に始まり、今年で20回目を迎えるこのプログラムは、タコマ市周辺の伝統的なイベントになりつつあります。

僕がこのプログラムに関わることになったのは、セント・マーチンズ大学に入学し、この演劇プログラムの企画に関わったからです。それまでにも多くの作劇を手掛けてきたプログラムに、新入生のときは自分の劇の台本を覚えて役を演じるだけで精一杯でしたが、進級するにつれ、作る側に回ったり、助監督の役回りもでき、演劇の醍醐味を知りました。カーテンコールで観客がスタンディング・オベーションで拍手を送ってくださる瞬間、その後のレセプションで「今年がベストだったよ」と声をかけて成功を喜び合う瞬間がたまらなく、毎年夏が来るのが待ち遠しくなるくらいでした。

日本で築き上げてきた価値観や考えの変化について

日本で築き上げてきた価値観や考えにはさまざまなものがあると思いますが、演劇に関わることで言えば、「表現することは大切で、表現力がなければ何も伝わらない」と実感したことです。日本では、僕はどちらかというとぶっきらぼうな性格で、相手にわかりやすく伝える(表現する)ことが重要だとはまったく思わず、自分が日頃から仏頂面をしていることすらも意識していませんでした。今思えば、いつも無口で不機嫌そうな表情で、相手を「何を考えているかわからない」と不安にさせ、不信感を持たせていたと思います。

大学での生活や日常的にもアメリカ人、それに自分より長く生活をしている日本人留学生の友達と接すると、彼らの表現の豊かさ(わかりやすい表情、身振り手振りの派手さ、発言の多さなど)と、相手に伝えようとする態度(逆に相手の言うことをよく聞こうとしていないのではと感じることも時々ありますが・・・)に、自分にはない何かを見たような気がして、それから表現することが大切なのだと、意識するようになりました。

実際の大学の授業では、ディスカッションやプレゼンテーションなど意見や情報を的確に伝えることが求められ、「表現力」がないと良い成績もとれませんし、教授に質問する、意見を明確にしてそれを伝える力は、進級するためにも必要不可欠な技能でした。日常生活でも、自分の意見をはっきりしないと欲しいものが手に入らないという「死活問題」もありました。(注文を間違えられ、店員に主張しないと泣き寝入り・・・などということも日常茶飯事)

さらに、体のすべてを使う表現方法でもある演劇というものに関わるようになると、もちろん役柄上のことですが、性格や感情が明確に観客に伝わらなければ劇は成立しませんし、それができるように徹底的に訓練を受けました。台本はすべて英語で、アメリカ人の役柄なので、アメリカ人ならどのように表現するのか、往来を行くアメリカ人をじっと観察した時もありました。

そんな体験から、自分とは異なるものに接して、反対に自分が見えるようになり、自分の表現力がいかに乏しいか、またそれをいかに重視してこなかったかもわかり、演劇などを通して表現するのは楽しいことだと実感するようになりました。その結果、あまり意識はしていなかったのですが、「演劇が上手だね」「よく喋るようになった」と言われることが増えてきました。そうすると、「表現する」ということは、自分の感情を好き勝手に吐き出すことではなく、相手を思いやるところから、相手にわかりやすく、心地よさを感じさせる言葉づかいや表情をすることなのだと実感しました。

留学経験を仕事に役立てるには?

「表現」というものに対する見方が変わったということも、特に海外とのビジネスが多い仕事にはすぐに役立つと思います。

上演を終え、興奮冷めやらぬうちに舞台上でグループ写真

留学中、アメリカ人はもちろん、日系人、日本人留学生、移民したり留学したりしている中国人、韓国人、そして中近東、南米、アフリカ、ヨーロッパ、特に東欧からの移民など、本当にさまざまな文化的・社会的背景を持った学生と会う機会がありました。旅行では決して話すことができない、知りえないことも、学生生活を通して自然と互いのことがわかるようになりました。時には理解しがたい価値観や、歴史に対する見解の相違に違和感を覚えることもありますが、同じ人間として文化や言葉の違いはそっちのけで仲良くなったり、仲たがいしたりしながら、自分の方が「違い」を意識しすぎていたと悟ったりしました。そうした関係を持つことが本当の「フレンド」なのかと。こうしたことが、これからさまざまな国の人々と関わっていくことに大いに役立つと思います。

ビジネスは「フレンド」同士の関わりで成立していくならば、友人関係から広く見聞や人脈を得たというべきなのかもしれませんが、そうした実際的な利点よりも、むしろ人や物事に対する見方が変わったということの方が、実際のビジネスには大切なことのように思います。

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