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第39回 らっぱ・ぱんだ・だちょう

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

8月 X 日

銀座の夜は眠らない。闇を背景に巨大なネオンが渦巻く街を見つめる。ガラス越しに伝わる喧騒の中、行き交う人たちが談笑する声さえ届くような気がする。午後11時前。私たち親子にとっては遅過ぎる時間だが、この街を腕組み闊歩するカップルや、飲み会の後、二次会、三次会へと繰り出す会社員にとって、夜はこれからなのだろうか。傍らで、大き目のふんわりとしたセーターに身をくるんだ息子は震えている。「寒い、寒い。」 連日35度近くにまで気温が上がる東京の酷暑をものともせず、彼は繰り返す。やがてタクシーは馴染みのある建物の前で停まった。よろよろとしながらも、ようやく車外へと足を踏み出した息子の片腕を支え、病院の中に入る。ここに初めて来てから2年になるだろうか。受付で登録用紙に記入を済ませ、薄暗い待合室に腰を下ろせば、蘇る風景がある。そう、こんな夜が幾つもあった。同じように息子が高熱を出した夜があれば、ふざけて走っていた娘がテーブルの角に額をぶつけ血を流し、狂ったかのように泣き叫んだ夜もある。そのたびにタクシーを呼び病院へと駆けつけたものだ。あれから2年、東京での新たな生活が幕を切り、いずれは同じことがあろうかと覚悟こそしていたものの、そう早くこのような夜が訪れるとは思わなかった。いきなり40度を越す高熱で寝込んだ息子に、熱中症ではなかろうかとの危惧が心中に拡がった。「大丈夫ですよ。」診察を始めた直後、その若い医師はこともなげに言った。「夏風邪ですね。しばらく休養させてください。」 薬局で4種類もの薬を手渡され、再びタクシーでネオンの街を通り抜け帰路につく。部屋に入るやいなや大の字になり寝息を立て始めた子供達の姿に安堵を覚えながらも、私自身は寝つけずに暗闇の中で寝返りを繰り返した。

夜の銀座にて。

夜の銀座にて。

8月 X 日

その泣き声が響いたのは、上司から依頼されていた特許訴訟のレポートを書こうと自宅の PC に向かった直後だった。「ママ、あした、シアトルにかえりたいよう。」仰天して振り向くと、5歳の娘が部屋の隅で額から血を流して泣き叫んでいた。テーブルに頭を思い切りぶつけたのだ。丸テーブルだけに子供が怪我をしようとは予想もしなかった。1時間後、人影のない病院の待合室で CT スキャンを受けるのを待ちわびながら、後生大事にも持参したブラックベリーを取り出し、上司や同僚にメールを打った。「娘が怪我をしました。申し訳ありませんが、明日は休ませてください。」 大きなプロジェクトが幕を切り同僚の誰もが意気込んでいた矢先だけに、身を縮める思いだった。あの夜から2年近くになろうとしている。そして今、また東京の真ん中で、同じようにメールを書く自分がいる。皮肉としか言いようがないが、重要な会議が入る日に休まねばならない。夏休みに家族でちょっとした旅行にでも出かけようかと計画を練っていたが、その休暇を息子の看病に充てることにした。上司や同僚の温かい言葉が届き頭が下がりもしたが、休むことへの罪悪感が募ることは否めない。食欲も無いままに横たわる息子の傍らで時計にちらりと目をやりながら、「今頃、会議が進行中だな」などと思いをめぐらせる。子供の病気は、働く親にとって、最大の悩みのひとつと言えよう。保育園、学童、ベビーシッター。子供の預け先自体は、とりあえず何とかなる。(反面、待機児童なる言葉が市民権を獲得した日本では、子供を保育園に入れたくても入れられない家庭が引きも切らないのは否定し難い事実である。)だが、病気ばかりはコントロールのしようがない。解熱剤のお陰で少し落ち着いたとはいえ、まだ起き上がる元気などない息子を横目に、仕事を休むことに対してよりも更に奥深い罪悪感に胸が締めつけられる。熱でダウンしたのは息子の責任でも何もないのに。どうして、もっと広い心で看病に専念できないのか。「職場の PC を持って帰ればよかった、そうすれば在宅で仕事ができたのに。」そんな後悔がちらりと胸を横切るたび、「あんた、仕事と家族とどっちが大事なの」とたしなめる声が自らの中に聞こえる。娘の眉毛の上に今もうっすらとながら残る傷を見るたび、同じ自問自答を性懲りもなく繰り返さずにいられない。2年前のあの夜、ふろしき残業よろしく自宅に仕事を持ち込み特許レポートを書こうとしていなければ、この傷はなかったのだろうか、と。

酷暑にも負けず、近所の神社までお散歩。

酷暑にも負けず、近所の神社までお散歩。

8月 X 日

午前9時前。東京メトロの駅から地上へと降り立った勤め人の波に吸い込まれそうになりながら、大通りを渡る。ワイシャツにスラックス。男性は決まってその格好だ。節電が提唱される時勢だけに、ノーネクタイが主流を占める。日本の基準でいけば、これで十分に「クールビス」なのだろうが、アメリカ西海岸の風土に馴れきった私の目にはまだまだフォーマルに映る。一方、女性はといえば、ワンピースあり、チュニックにレギンスあり、と多彩なスタイルが目につく。いずれにせよ、彼女たちは、アメリカ女性、いや、少なくともシアトルの女性に比べれば、ファッションや美容に細心の配慮を配っているのが一目瞭然だ。女性誌のファッションページを飛ばし読みしたり、剥げかけたマニキュアに気づきもしない私とは雲泥の差である。「もう少し服装に気を遣ったらどう?」 帰省時、連日飽きもせずジーンズ姿で外出する私の背に母の溜息交じりの忠告が届いたことを思い出す。「わかる、わかる。私も母から同じことを言われるもんね。」やはり国際結婚組でアメリカ暮らしが長い友人が大きく頷き笑ったものだ。不思議で仕方ないのが、東京の女性は歩く距離が長いにも関わらず、踵の細いパンプスを愛用するということだ。都心での電車通勤となると、主要駅では改札口から出口に辿り着くまでの距離は相当なものだし、階段の上り下りも避けられない。お洒落一辺倒の靴に押し込められると、日の終わりに足も悲鳴を上げるのでは? つい、そんな老婆心が頭をもたげる。そんなシアトルっ子の危惧をものともせず、今朝も東京の女性陣は、華やいだ OL ルックに身を包み、パンプスの踵の音を軽やかに響かせ、会社への道を辿る。

彼女たちを横目に、私はポロシャツにジーンズ、そして素足にサンダル履きとという姿で、息子と娘を誘導しつつビル街を抜け、クリニックへと向かう。私とて普段は「東京の OL ルック」(のつもり)で出勤している。(但し、洒落たパンプスは所有せず、機能一辺倒の野暮ったい靴が多い。)だが、さすがに休日ぐらいはシアトル・ルックに戻りたい。いや、母親に戻るというべきか。診察を終えた後、途中のスーパーで果物だのシリアルだのを買い込み、いつもながらパンパンのビニール袋に両手をふさがれ帰宅する。回復の兆しを見せる息子にほっとしつつ、洗濯物をたたんだり、バスルームの鏡を磨き上げたりする。ハワイの紺碧の海とも北海道の牧場とも縁がない。都心の狭いマンションで展開する日常のシーン。でも、こんな夏休みも悪くはないね、と心で呟く。そして午後5時。夕焼け小焼けの歌がオフィス街に響く。カラスも一緒に帰りましょ。雑巾がけをしながら、口ずさんでみる。いつもなら職場でデスクに向かう時間なのに、雑巾がけとは少しばかり贅沢な気分だ。寝床で大いびきをかく息子に苦笑をもらした後、娘とベランダに出る。シアトルの自宅でバルコニーから堪能した緑滴る風景は、ここには存在しない。あの清々しい風も、ブルーエンジェルスが雄大なラインを描き出す蒼空も、ない。だが、夕闇に染まりかけた8月のビル街の景色だって、それなりに美しい。あそこの高層ビルの窓の向こうでは、単身赴任で上京したばかりの広報部長がネクタイを緩め、郷里の高校で野球に明け暮れる息子の陽に焼けた横顔を思い浮かべるのかもしれない。こちらのビルでは、いつまでも終わりそうにない会議に痺れを切らす人事係長が腕時計にちらりと目をやり、今夜のデートはキャンセルかとやきもきしているのかもしれない。一つ一つの窓の向こうに、それぞれのささやかな人間ドラマが潜むのだろう。夕餉という言葉が似合う時間、ベランダに娘と二人立ち、湿った風が流れる東京の晩夏を味わう。

無料公開されているホテルニューオータニの日本庭園にて。

無料公開されているホテルニューオータニの日本庭園にて。

9月 X 日

ラジオ体操も、水泳教室も、ウサギの餌やり係も終わった。新学期の始まりだ。「給食袋は入れた? あっ、上履きは?」「連絡帳、まだ見せてないよ。」「リコーダーのお金、注文書と一緒に入れておくからね。ちゃんと先生に渡してよ。」 この手の会話に費やす時間が長くなった。保護者会案内のプリントが連絡帳に挟まれている時は気が重い。今回も欠席に丸をつける。2時だか3時だか、勤め人の私が平日の午後、電車を乗り継いで学校へと足を運ぶなどできる訳がない。アメリカの学校だと、この手のイベントは必ずと言っていいほど6時や7時といった時間帯に組み込まれていたのに。専業主婦が家に構えているという前提のもとに学校行事が計画されるのは残念だ。「仕方ないのよね。うちの近所でも子持ちの主婦は全員、家にいるよ。私みたいにフルタイムで働く母親は、違和感を感じる時もあるけど。」 友達がメールに書いてきた。「まっ、いいか。そう割り切ってるけどね。仕事は大好きだから、会社に行くのは楽しいよ!」最後の「!」の部分に、ほくそ笑む。夜、子供たちの学童クラブに向かう路上で、一組の母子とすれ違った。近くの保育園に子供を迎えに行ったのだろう。薄手のサマージャケットを羽織る女性が4、5歳の女の子と手を繋ぎ歩いている。「らっぱ。」「ぱんだ。」「だ、だ、だ。ええと。・・・だちょう!」二人はしりとりゲームをしながら夜道を歩いている。そういえば、私も以前はよく息子や娘としりとりに興じたものだ。そう遠くはない日々の筈なのに、どこへ行ってしまったのか。あの女性もおそらくフルタイムの仕事を持つのだろう。営業部だか、総務部だか、所属は知らぬが、名刺には彼女が有するもうひとつの肩書きが記されているのだろう。保育園の帰り道、我が子と過ごす僅かばかりの時間を慈しみ、「だちょう!」と快活な声をあげた母親の後姿を見つめながら、ふっと泣きたくなった。らっぱ・ぱんだ・だちょう。お互いにワーキングマザー、がんばろうよね。闇に包まれた街を歩きながら、名前も知らぬ「同士」に向かって無言のメッセージを贈った。

掲載:2012年9月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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