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第42回 大海原

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

11月 X 日

ふっと泣きたくなった。晩秋の黄昏時、薄日を浴び、コートの襟を立てながら。「なーんてね。」そう茶化して、自分を嘲笑したくなる。「あんた、いっぱしの詩人気取りで、気障な散文もどきを綴ってるじゃないの。」雑踏の中、人目を避けながら涙を抑え歩く。そんな光景が絵になるような年頃ではない。そもそも、私のような人間がそんなことをしたら、滑稽としか言いようがないのは判りきっている。それでも、冷たい風が吹き抜ける夕暮れ時、マフラーをきつめに首に巻きつつカフェのドアを開け、青山通りの喧騒に溶け込む時、理由もなく感傷的になる。一種の寂寥感といえるかもしれない。「暑い、暑い」と口を尖らせては肩で息をした日々が遠ざかったと思えば、「お節料理の予約はお早目に」といった貼紙が目につく季節が到来し、さらさらと水のように流れる歳月に、取り残されたような気持ちを噛み締めるからだろうか。スターバックスの緑文字に吸いつけられドアを開く瞬間、鼻先を掠めるエメラルドシティの香りに、遥かな街への郷愁の念を抱くからだろうか。毎朝、規則的に繰り返される殺人的な通勤ラッシュに憔悴し、足並み揃え行進するかのごとくオフィス街への道を闊歩する人の波に揉まれ、倦怠感を募らせる一方で、やるせなくなるからだろうか。自分でも、わからない。いや、最初から理由なんて、ないのかもしれない。それなのに、寒空を仰ぎ見つつ、メランコリー気分を盛り立てんばかりに陰鬱な表情を作ってみせるとは、私がいい年をして青っぽいだけの話かもしれない。それとも、この季節がなせる業だろうか。六本木ヒルズ。赤坂サカス。恵比寿ガーデンプレイス。東京の街は、シアトルの「おのぼりさん」の目には眩い華麗なイルミネーションに溢れる。無数の光に照らし出される中、軽快なクリスマスソングが響き、腕を絡めたカップルが行き交う。そのシーンを背景に、どこか戸惑い、立ちすくむのは、実は私だけではないのかもしれない。不幸でないばかりか、感謝すべきことが限りなくある筈なのに。そして、その事実を、心の底では認めているくせに。それから目を逸らすかのように、街を彩る巨大なクリスマスツリーを仰ぎ溜息をついてみせる。そんな自己演出に苛立ちながらも、内なる声に耳を傾ける。「まあ、いいじゃない。ホリデー・シーズンなんてのは、えてして人をそんな風にさせるものよ。」小雨が降り注ぐ青山通りに、ささやかな日常のドラマが展開する。桃色の花びらのような傘を広げる OL 風の女性。スマートフォンを耳に当てたまま足を早める会社員。やがて闇が舞い降りる。師走ともなれば、界隈の店は忘年会の客で賑わうのだろう。

快晴の日、東京スカイツリーがくっきりと影を落とす東京の大海原。

快晴の日、東京スカイツリーがくっきりと影を落とす東京の大海原。

11月 X 日

東京で初めて暮らした2年前、どんな風に生活していたのだろう。そんな疑問が湧き、当コラムのバックナンバーを読み返してみた。刻々と天をめざし伸びゆく大樹・東京スカイツリーについての記述が二箇所にある。たとえば、元旦の空に溶け込むように飛翔する銀の翼を眺めた羽田空港からの帰り道、シャトルバスの車窓越しに見つめた建設中のスカイツリーの赤い灯。このツリーが完成する2012年、私たちはどこで何をしているのだろう。そんな疑問をエッセイに綴った(エッセイ第13回)。その半年後、スカイツリーのお膝元・業平橋くんだりへと足を運び、未完成のツリーの姿を記憶にとどめるべく工事現場に佇み、シャッターを切り続けた(エッセイ第18回)。ツリーが398メートルの高さに達した時点である。世界一の観光タワーとして君臨する完成後のツリーよりも、「今」しかない現在進行中のツリーが天空に向かって高さを積み上げる姿を仰ぎ見たい。そんな願望が膨らんだからだ。当時の業平橋は辺鄙な地だった。その街中で、同じようにカメラを抱えた見物客に混じり、屋台で買ったタコ焼きを息子と食べたことを思い出す。ところが、どうだ。634メートルに達したスカイツリーが5月に開幕した隅田川沿いの街並みは、すっかり変貌を遂げている。洗練されたブティックやレストラン、カフェが競うように軒を並べる、お洒落なショッピング街「ソラマチ」が誕生したのだ。噂を聞いて訪れた私たち親子は、2年前の建設現場を脳裏に浮かべ驚愕した。ソバカスを頬に散らし素顔をほころばせるカントリーガールが、黒々としたアイラインで目を縁取る大人の女になって目前に現れたようなものだ。華やかさの影で、下町独特のやさしい空気感が失われたようにも感じられ、少し残念でもある。ソラマチで買い物や食事をした後、プラネタリウムや水族館にも入る羽目となり、親としては思わぬ出費に頭が痛い。やはり目玉は、最高到達点451.2メートルとなる展望回廊から一望する東京の大海原だろう。「大きいよね、東京は。」ガラスに覆われた世界で、無数の超高層ビルの連なりを眼下に、夫がしみじみと呟く。そんなところで、予想もしていなかった場面に遭遇した。なんと、空中で窓拭きにいそしむ男性二人組の登場である。ワーッと歓声が沸き、たちまち見物人の輪ができる。2人組は一心に窓を磨き続ける。人々の視線を浴び、無表情の影で、彼らも実は緊張しているのだろう。ちょび髭をはやした若い男性の方が、こちらを意識しながらも、せっせと手を動かす姿がキュートだ。高校生らしい女の子が手を振ると、彼もシャイな笑みを浮かべながら手を振り返す。「ワーッ。」更に歓声が沸き起こる。まるで、スター並みだ。私はシアトルでもスペースニードルに幾度となく上ってきたが、窓拭きのお兄さんとガラス越しに対面したことは、さすがに一度もない。シャッターを切りながら、どこか得をした気分で微笑んだ。

スカイツリー展望回廊の約450メートルの高さから窓拭きにいそしむ男性2人組。

スカイツリー展望回廊の約450メートルの高さから窓拭きにいそしむ男性2人組。

12月 X 日

シアトルで過ごした一夜が蘇る。近所の教会の地階に人々が集まり、それぞれに持ち寄ったスープやパンで簡素ながらも美味しい夕食をとった後、皆でクリスマス・キャロルを合唱した。私の背後でソプラノを響かせていた女性が着ていたセーターのトナカイの柄さえもが鮮やかに脳裏に映る。あの恒例行事は、今年もまた行われたのだろうか。遠い目をして、一年前のホリデー・シーズンを思い返す。忘れかけていた光景が蘇ったのは、聖歌隊の清らかな歌声に耳を傾けたからだ。クリスマスを目前に控えた休日の夜、ホテルニューオータニ内、高さ32メートルの吹き抜けのアトリウム・チャペルで開催された上智大学聖歌隊によるチャリティ・コンサートに出かけた。街中を彩る光の洪水に辟易もし、コマーシャリズムが嘆かれるとはいえ東京の華々しさに比べればシンプルに映るシアトルの12月へと恋しさが募る。「帰りたいよね、アメリカに。」息子と娘も繰り返す。東京の空の下、一抹の寂しさが胸を過ぎりもする。それでも、家族揃って元気にこの季節を迎えられるのは嬉しい。イブの夜には、再びニューオータニへと出向く。今回は少しばかりお洒落をして。一年に一度しかない特別な夜、少しばかりの贅沢も許されるよね。そんな風に心で呟きながら。「お疲れさん。」アメリカから引越して半年、異国での日々を懸命に駆け抜けてきた自分と家族の肩を叩く気持ちで、ライトアップされた日本庭園を臨むレストランでのディナーを満喫した。ジャズピアノの生演奏を背景に、雄大に流れる滝をガラス越しに眺めながら。

赤坂サカスのスケートリンク上で元旦の夜を過ごす人たち。

赤坂サカスのスケートリンク上で元旦の夜を過ごす人たち。

1月1日

2013年の朝が訪れた。カーテンを開ければ、そこには清々しい空が拡がる。宿泊したホテルの一室には、昨夜の年越しの形跡が残る。きんかんの箱。おせんべいの袋。そして、娘が後生大事に抱えてきたペコちゃんのクッションがソファに投げ出されている。家族水入らずワイワイやりながら、年越し蕎麦に舌鼓を打ち、みかんを食べ、紅白歌合戦を見た。なんのことはない、昔ながらの庶民の大晦日である。その「普通さ」が、海外暮らしの長い私には妙に新鮮に感じられてならない。思えば、家族4人揃って日本で過ごすお正月は、今回が初めてである。「ゆく年、くる年」の除夜の鐘が鳴り響く頃には、江戸城の鎮守として名を馳せた永田町の日枝神社へと足を運ぶ。普段は水を打ったように静謐な空間も、今夜は活気に漲る。お囃子が流れる中、息子が焼き鳥にかぶりつく。娘はりんご飴を舐める。あゆの塩焼き。ソースせんべい。甘酒。ああ、日本の匂いだ。少女に戻る気さえして、冷風が吹きすさぶ中、感慨に浸る。「今夜だけは、ずっと起きてていい?」懇願しては夫に叱られていた娘も、1時過ぎに帰宅するやいなや、案の定、寝息を立て始めた。そして今、目覚めた私たちの眼前に拡がる元旦の空は、あまりにも美しい。

夕方からは、散歩がてらに赤坂へとぶらり出かけた。ここには、TBS放送センターを中心に発展した複合タウン・赤坂サカスがある。イルミネーションに彩られたスケートリンクがあり、子供達は喜び勇んで滑り始める。もっとも、夜風が吹きすさぶ中、傍観者としてリンク外に棒立ちにならざるを得ない親はつらい。いつまでもスケートを続けたがる子供達に付き合わされたお陰で、ようやくサカスを離れる頃には8時近い。おせち料理の残りを夕食にするつもりだったが、急遽予定変更となり、冷え切った体を温めようと近くの店で讃岐うどんを注文する。こんな夜は、黒豆よりも、お煮しめよりも、湯気を立てるうどんの温もりが体全体に沁み込む。フーフーとやりながら、幕を切ったばかりの一年へと想いを馳せる。「新年の抱負?そうね、新しい趣味としてスキューバダイビングでも始めるつもり。」「やっぱり一年に一度は海外旅行をしなくちゃ。今年はイタリアに行こうかな。」そんな風に言えたら、どんなにカッコいいことか。でも、言えない。「うーん、今年こそは、子供の漢字ドリルにきちんと目を通してやろうっと。」「手作りのおやつを再開したい。また粉まみれになって、抹茶のチーズケーキにでも挑戦するか。」その程度しか思いつかない。それでも、いい。自分に言い聞かせる。ささやかな日常の積み重ねを大切にできる年にしたい。スカイツリーの空中回廊から臨んだ東京の大海原。そこで漕ぎ出した小さな船は、これからどう進んでいくのだろう。大海原のど真ん中にある店の片隅で白い湯気に包まれ、うどんをすすりながら、待ち構える一年への期待に胸を膨らませた。

掲載:2013年1月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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