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第38回 蝉しぐれ日記

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

7月 X 日

「丘の上公園駅」前に、娘と父がいる。「いい匂いでしょう。」花を差し出す5歳の娘を、相好を崩した父は抱き上げる。「駄目じゃないの、パパ。」制服姿の18歳の娘は、定期券を忘れた父にシニカルな視線を投げかける。やがて二人は、流れた歳月の中で、「同士」となる。髪に白いものを交えた父は、OLルックが板についた23歳の娘と肩を並べるように家路につく。「今日も会議が長引いて困ったよ。」「あら、こっちも同じよ、お父さん。」そんな会話が聞こえてきそうだ。グツグツと鍋で煮える野菜の匂いが漂いそうな夕暮れ時の住宅街に、二人の後姿が吸い込まれる。谷村俊太郎の詩を背景に展開する生命保険会社のコマーシャルは、セピアがかった60秒の人間ドラマでもある。愛娘の花嫁姿に涙ぐんだり、ひいては娘の結婚相手に「殴らせてくれ」と頼んだり(現実にそんなことがあるとは思い難いのだが)、娘によせる父の想いの深さを描写したドラマや歌は多い。アメリカでもその手の歌や映画が流行ったことがある。だが、この生命保険のCMは、ことさら父の愛を前面に押し出すのではなく、さりげない日常のシーンに垣間見る親子の心の交流をすくい上げる秀作だ。来日の数ヶ月前、シアトルでこのCMを見た時、ふと涙ぐみそうになった。それは、父と娘のふれあいに心をり動かされたというのとは異なる。流れる季節の中、来る日も来る日も同じ駅を起点として会社へと向かう父親の背広姿に、カイシャ帝国・ニッポンで動めく企業戦士たちの一人としての人生が反映されるようで、一抹の切なさを感じた。そう言えば大袈裟に聞こえるだろうか。この父親は、幾千を超える朝夕、時には空しさや苦々しさも噛み締めつつ、丘の上公園駅の階段を上り下りしていたのだろうか。東京の空の下、かつては遥か彼方に思えた企業社会に身を浸した私もまた、通勤電車を待つホームで、このCMに凝縮されたメッセージを思い返さずにいられない。やはり企業戦士として生き抜いた私自身の父の姿が、どこかに重なるのだろうか。



7月 X 日

ジーリジーリ、ジーリジーリ。蝉しぐれの響く朝、空を仰ぎ見る。今日も、じきに30度を超すだろう。タオルハンカチで流れ出す汗を拭いながら考える。駅の出口からオフィス街へと続く道は、人、人、人で埋もれている。タッ、タッ、タッ、タッ。誰もが無言で闊歩する。手作りのお弁当でもしのばせているのだろうか。愛らしいミニ・トートバッグを片手に提げたOL。駅前で配布されていたのだろう、派手な宣伝文句が目を引くうちわでパタパタと風を送りながら歩く中年男性。(路上ではよくポケットティッシュやうちわが配布されるが、この時期、後者だと自動的に手を伸ばしがちなのは私だけではないだろう。)ジャパニーズ・サラリーマンの雰囲気が板についた金髪男性。誰もがそれぞれの想いを胸に、カイシャへと続く道を歩く。「えっと、今日は2時から会議だったっけ。」私もいっぱしの会社員の顔つきになり、スケジュールを反芻しながら、取り出したカードキーを首からぶら提げる。

野外でのバイオリン早朝練習も、夏の楽しみのひとつ

野外でのバイオリン早朝練習も、夏の楽しみのひとつ

7月 X 日

「ママにはね、ぼくの気持ち、わからないよ。」 ふくれっ面の息子が口を尖らせる。「ぼくの日本語、ヘタだからね。言いたいことも言えなくて、イライラするんだよ。」そう説明する彼の日本語は、皮肉なことに至って自然に聞こえる。「バイリンガルで、かっこいいね。将来が楽しみだね。」「二ヶ国語ができることを活かして、アメリカと日本のかけ橋になれたらいいね。」 周囲からはおだてられもする息子だが、その胸中は複雑らしい。彼の日本語は、とどのつまり、「アメリカ育ちにしては上手だ」といったレベルに過ぎない。日常会話ならともかく、読み書きには悪戦苦闘している。だが、彼の試行錯誤は言語の問題にとどまらない。アメリカの親友との別れがつらいと表情を曇らせていた彼は、日本にも良い友ができたにも関わらず、来日を拒絶してきた。また、日本の学校教育は肌に合わないと頑強に主張していた。その彼が、夫と共に、一足遅れて私と娘に合流した。ホテルニューオータニの玄関前で小一時間も待ち構えていると、ようやく成田空港発のリムジンバスが停まり、大荷物を抱えた息子と夫が現れた。駆け寄った私が息子の肩を抱くと、彼は照れた笑顔を帽子の下から覗かせた。傍らで、娘はふくれている。「ほんとは、サザエさんをみたかったのに。どうして、おにいちゃん、こんなじかんにくるの!」夕方に見るテレビ番組を彼女(サザエさん一家のタラちゃんのファンでもある)は楽しみにしていたのだ。ああ、早くも兄妹喧嘩が始まろうとしている。(やれやれ。)溜息をつく素振りをしながらも、私はこみ上げる嬉しさを隠せない。時差ボケで憔悴しきった表情の息子の背を撫で続けた。

軽井沢のリゾート施設・タリアセン内、イングリッシュ・ローズガーデンでのひととき

軽井沢のリゾート施設・タリアセン内、イングリッシュ・ローズガーデンでのひととき

8月 X 日

予想を裏切ってくれたのが嬉しい。そう思わせる程、それはこじんまりとした、素朴な駅だった。夏休みだというのに、観光スポットにしては人影も思ったより薄い。長野新幹線のあさま561号は満席に近かったが、大半の乗客は終点の長野駅まで行くのか、途中の軽井沢で降りたのは少人数に過ぎなかった。「軽井沢? 避暑地だからね、夏は大混雑だよ。」周囲のそんな声を耳にし覚悟を決めて来ただけに、肩をすくめる思いだった。私はいつも旅に出るたび、インターネットやガイドブックで丹念に下調べをし、プリントアウトした情報などを後生大事に抱えては、目的地に到着する。そうしないと気がすまない性分なのだ。だが、今回の旅は違う。目まぐるしい日々の中、下調べに費やす時間などなかった。その結果、手ぶらに近い状態で東京駅を発った。軽井沢駅前から出ている循環バスに乗り、運転手さんに薦められるまま、タリアセンなる湖畔リゾート施設へと向かう。なるほど、素敵な所だ。塩沢湖を中心に拡がる広大な施設には、遊園地から美術館、有島武郎の別荘、野上弥生子の書斎、イングリッシュ・ローズガーデンと何でもござれだ。「早く食べさせておくれよ。」 そう叫ぶかのごとく水中でパクパクと口を大開きにする何十匹もの鯉も、足元にまとわりつくような鴨やアヒルも、私たちを熱烈歓迎してくれる。ゴーカートを運転したり、ボートを漕ぎ湖水の涼風に髪を散らしたり。樹林の緑が薫り立つような昼下がり、ゆるやかに時間が流れていく。軽井沢のカラリと爽やかな天候は、海の彼方のエメラルドシティを彷彿とさせるようだ。ひとときの涼を求め信州へと足を運んだ私たちは、大都会の喧騒からしばし解放され、歓声を上げ続けた。


8月 X 日

6時5分前。アイフォンのアラームから軽快なリズムが流れ出す。「時間よ、起きて。」和室の布団の上で寝相の悪さなどお構いなしに体を投げ出した息子を、懸命に揺する。既に起きた娘はといえば、今日のブラウスは水色か白か、ヘアスタイルはポニーテールか三つ編みか、と難題に頭を悩ませている。やがて歯を磨き終わった彼らは、紐がついたカードを首から提げ、サンダルを履いて外へと飛び出す。今朝も6時半のラジオ体操で幕開けだ。「えっ、そんなもの、日本ではまだやってるの?」スカイプで話したシアトルの友人が驚愕した。「うん、あっちこっちでやってるよ。体操の後は一列に並んで、カードにスタンプを押してもらってね。私たちが子供の時からおんなじ。たまには、アンパンなんてものが配られたりするよ。」私は力を入れて説明する。そう、一年生だか二年生だか、私も少女時代には近所の公園でラジオ体操に参加したことがある。もっとも、早々に挫折し皆勤賞など手に届かなかったから、自慢話にはならないが。日本の夏に華を添える風物詩は、時を超えて息づく。すいか割りにお化け屋敷、臨海学校、納涼花火大会などの特別イベント。天そばや揚げ茄子おろしそばの色鮮やかな写真が食欲をそそる店頭。子供たちが学童で堪能する流しそうめんや夏野菜カレー。水泳教室の帰り道、濡れた髪を光らせ歩く小学生。電車内で輪を作り談笑する浴衣姿の若い女性たち。「今日も32度だって。熱中症になりそうだよね」と肩で息をし、節電が世で提唱されようともエアコン無しで熱帯夜を乗り切るなどできない私。スターバックスが視界に入るたび、シアトルの清々しい夏へと恋しさを募らせる。そんな私とて、「日本の夏も悪くないか」と思えるのは、懐かしい風物詩との再会に笑みを浮かべる瞬間だ。炎天下の校庭で試合に興じる野球少年たちを眺めつつ、湿り気を帯びた風の中でひまわりが揺れる校門を通り過ぎる瞬間、深い想いが胸を満たす。それは、遠い夏の日々、いとこたちと蝉取りに駆けずり回っていた少女が、母親として祖国へ舞い戻ったのだ、という感慨かもしれない。

サマールックがお似合いのペコちゃん

サマールックがお似合いのペコちゃん


8月 X 日

「帰りにビアガーデンへ繰り出しませんか?」同僚の女性からのメールが届く。「うんうん、行きます。」「氷点下ビール、楽しみ!」 周囲の誰もが即座にOKサインを送る中で、私一人が味気ない返信を書く。「ごめんなさい。学童に子供たちを迎えに行かなきゃならないので。」夕刻、駅を出るやいなや、行きつけのドラッグストアで洗剤だのシャンプーだのを買い込む。「へえ、この水のボトル、68円だって。これは、お得。」既に一杯のバスケットの中に、特大ペットボトルを2本も放り込む。満員電車を降りた直後で汗だくのくせに、はちきれんばかりの袋を三つも四つも抱え、坂道を上る。お世辞にも、キャリアウーマン風とはいえない。母ちゃんそのものじゃないか。「また遅かったよね。」不平を言う息子と娘が目に浮かぶようだ。今夜は、娘の好物の卵豆腐でも出そうか。冷凍ご飯を活用して丼物も悪くないかな。ああ、明日のお弁当はどうしよう。夕闇に彩られた街の中を足早に歩きながら、献立を考える。こんな時間が、とても好きだ。

掲載:2012年8月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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