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第57回 未来へのラブレター:シアトルっ子が受験に挑むとき

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著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

あった。あった。あった。

2月初旬の東京の空は清々しい。母親を見下ろすまでに背が伸びた息子と二人、掲示板の前に立ちすくむ。6桁の数が並ぶだけの無機質なボードに視線を釘付けにしたまま。息子が手に握りしめる受験票と同じ番号がそこにあった。合格したのだ。

これは、図らずも日本の受験生となった息子を後方から見つめてきた母の受験ダイアリーである。それはまた私の忘備録でもあり、ひとひねりした「日米比較教育論(もどき)」でもある。シアトルの豊かな自然の中で幼少期を過ごし、東京都心のビルの狭間で思春期を迎えた息子が、二つの言語そして二つの文化との格闘を続け、時にはもがき苦しみながらも、ひとつの道に到達した。朝5時半に起床して計算ドリルに取り組む彼の背に半纏をかけてやりながら、そして受験当日のお弁当に添えたポンカンにマジックでメッセージを書きながら、応援席に陣取り懸命に旗を振った私自身もまた奮い立たされた、その体験をここに書き留めておきたい。 

日本の受験戦争に巻き込まれようとは家族の誰もが夢にも思わなかった平穏な日々。シアトルですくすくと育つ2歳の息子。

日本の受験戦争に巻き込まれようとは家族の誰もが夢にも思わなかった平穏な日々。
シアトルですくすくと育つ2歳の息子。

X 月 X 日

「なんと(710)すてきな平城京(710年、平城京に都が移される)」。夜10時前、パンパンに膨らんだ鞄を提げ、語呂合わせで歴史年号を頭に詰め込みながらメトロを乗り継ぐ塾帰りの生徒。「第一志望は、ゆずれない」、「志望校が母校になる」、「自分の夢まで、自己採点しないでください」。そんなキャッチコピーを掲げ受験業界に君臨し、競争の火花を散らす大手進学塾の数々。「肺炎になったので、欠席させます。」嘘をつき子供を学校から長期欠席させ、受験勉強に専念させる母親たち。これが日本の現実である。いや、東京都心の現実といった方が正確かもしれない。

私たち家族が住む地域では、軒並み親が高学歴であり、皆こぞって教育熱心ときている。それを反映して受験競争にも拍車がかかり、小学生でも3年生あたりから進学塾に通わせる家庭が多い。それどころか、某塾に近い家へと引っ越した家族も周囲にいる。(さすがに、これには驚愕した。「学歴ではなく、塾歴」というフレーズが出回るほど、塾のブランド化も進んでいる。)

シアトルで子育てをする読者の方々には、理解し難い世界だろう。塾や予備校の類ならアメリカでも見られる。しかし、その数や規模は日本の比ではない。アイビーリーグをはじめとする一流大学の志望者が熾烈な競争を強いられるのも事実には違いないが、アメリカの場合は、学業成績に加えスポーツや芸術、ボランティア活動など多彩な要素から総合評価をする傾向が強い。少なくとも、日本のように解答用紙一枚で人生までもが決定されるようなプレッシャーはない。

「受験地獄がはびこるから、いつまでたっても日本は詰め込み式の教育から逃れられないのよね。シアトルで伸びやかな教育を受けさせてやれる我が家は恵まれているわ。」

そう思う人の方が多いのではないか。この私も、実を言えば、「塾嫌い」「受験嫌い」の母親だった。そんな私が自らの信条とは裏腹に我が子を受験勉強に駆り立てた背景には、やむを得ない事情があった。アメリカ帰国の予定延期により、とにもかくにも、息子に受験させざるを得ない状況に陥ったのである。6年生の娘には公立中学という受け皿があるが、中学3年生の息子は「どこかに潜り込む」しか、道はない。年の瀬が見え隠れし始めた晩秋の東京で、彼は受験生の仲間入りをした。試験日まで5ヶ月も残されていない。まさに背水の陣である。

剣道部の部長を務めたことも、貴重な思い出。中学校の武道場にて。。

剣道部の部長を務めたことも、貴重な思い出。
中学校の武道場にて。

X 月 X 日

早朝5時半。目覚まし時計が鳴る。布団から飛び出すやいなや、いきおい計算ドリルで「頭のウォーミングアップ」を始める息子に舌を巻いた。彼が薄暗い早朝に自分から起き出し机に向かうなど、赤い雪が降るようなものだ。

元来、彼は勉強家には程遠い。「無理をしたら体を壊すよ。もう少し寝ていたら?」という私の心配をものともせず、「朝の方が集中できるからさ」と、こともなげに言ってのけ、パジャマ姿のまま計算問題を解く息子。週末には塾の個別指導に出かけ、時にはそこの自習室に閉じこもり、夜まで勉強を続ける。日曜日には、模擬試験を受けに出かける。野放図だった生活に、突如として変革が起きた。これも、迫り来る入試が生み出す抑圧感に背を押されるからにほかならない。

(こんなに人を変えるパワーがあるとは。受験って、ありがたい。)いつしか私は、胸の奥で感謝の言葉を唱えるまでになった。人は易きに流れるものだ。この流れに歯止めを利かせるのが受験。そこまで言い切ってしまえば誇張になるが、その一面も実はあるじゃないか、と気づく。

一貫教育校で何の苦もなくエスカレーター式に進学した私は、14~15歳の頃、のんべんだらりと流されるままの怠惰な日々を送っていた。2時近くまで深夜放送を聴くことも、放課後、友達と繁華街に繰り出しては目的もなくブラブラすることも、日常茶飯事だった。その無駄に見える時間の蓄積でさえも青春の一部と割り切れたらよいが、今となっては空しい。

ジングルベルが流れる東京の夜空を仰ぎ見つつ思う。ゲームに、漫画本に、デートに背を向け、年号を、公式を、英単語を、一つでも多くとばかりに頭に詰め込む。青春にはそんな一時期があってもいいのではないか。サッカーボールを追う。フルートを吹く。キャンバスに絵筆を走らせる。そんな青春も素敵だけれど、暗記カードを片手に、将来何の役にも立たないのを百も承知の上、「後醍醐天皇、建武の新政」なんてボソボソと呟きつつ模擬試験会場へと急ぐ受験生の姿だって捨てたもんじゃないよ。無意識のうちに、シアトルの友達に心で語りかけていた。役に立たないといえば、私がアメリカで受験した司法試験もその典型例である。一体、こんなこと覚えて何になる?そう悪態をつきつつも、暗記カードを作っては持ち歩き、ひたすら民事訴訟法や会社法の用語を頭に詰め込み続けた。勉強なんて、往々にしてそんなものだろう。それを、空しいと決めつけるか、挑戦と受け止めるか。それで道は分かれるようにも思う。

X 月 X 日

「五角(=合格)鉛筆」に、「すべらない(=縁起がよい)箸」、「合格飴」、「勉強サクサククッキー」、「富士山型キットカット(「きっと勝つ」と語呂合わせ)」。

それにしてもまあ、と思わず苦笑がもれる。いわゆる合格応援グッズには、日本の受験カルチャーの一面を垣間見るようだ。受験生の母となるまでは未知だった世界がそこにある。灰色となりがちな受験戦争を楽しんでしまおうよ、というメッセージにも聞こえるようで、どこか微笑ましい。

「誰かが『落ちる』なんて言葉を使う時、もう大変なんだ。」息子が学校での様子を面白おかしく聞かせてくれた。「皆大騒ぎでさ。『ダメだ、落下した、って言えよ』って言い返すんだ。」「落ちる」「滑る」といった言葉は、受験生の前では禁句らしい。日本では常識なのかもしれないが、海外暮らしが長い私の耳には新鮮に響く。

私たち家族は、一切の縁起を担がない。だから、「落ちる」のも「滑る」のも平気だし、試験にお守りを持たせることもしない。それでも、縁起を担ぎたくなる気持ちは十分にわかる。試験当日、祈りつつ、トンカツ(=勝つ)を揚げる母親も、日本全国に大勢いるだろう。今はその気持ちが痛い程にわかる。息子の担任の先生も、お正月、湯島天神で数時間も並び合格鉛筆を買い、一人ひとりの生徒に手渡してくれた。「自信は努力から。」息子の鉛筆にはそう書いてある。頭が下がる思いだ。

京都・奈良への修学旅行から帰京後、息子とチームメートが作成し、学内コンテストで最優秀賞を獲得したパンフレット。

京都・奈良への修学旅行から帰京後、息子とチームメートが作成し、
学内コンテストで最優秀賞を獲得したパンフレット。

X 月 X 日

宝塚音楽学校受験に挑む女の子たちのドキュメンタリーの一部を、子供たちと一緒に見た。華やかな舞台で喝采を浴びる日を夢見て、バレエや声楽の練習に情熱を注ぎこむレオタード姿の彼女たち。「私の青春のすべてを宝塚受験に賭けています。」一人が、きっぱりと言う。タカラジェンヌへの道として二十数倍もの狭き門をものともせず音楽学校を目指す彼女たちがいる一方で、官僚になるべく開成やツクゴマ(「筑波大付属駒場」の略らしい)から東大というエリートコースを志す人、甲子園を夢見て野球推薦での高校入学を狙う人など、さまざまだ。

15年の人生を歩んできた中で、一人ひとりが彼なりに、彼女なりに、構築してきた世界がある。それぞれが自分の夢に向き合い、情熱で夢を加速させる。ゴールは何であれ、懸命に駆ける姿は美しい。息子や娘と、そんな話をする時間を持った。受験は、人生について親子でいつになく真摯に語り合う機会も与えてくれた。

X 月 X 日

通勤ラッシュで賑わう渋谷駅に着く。ここは、舞い降りる闇とともにネオンの洪水に埋めつくされる街。その渋谷も、朝の光の中では、どこか化粧を落として素顔を覗かせた女性のようでもあり、違和感がつきまとう。

京王井の頭線の駅へと歩を早める路上で、異様な光景が視界に飛び込んだ。開店にはまだ時間があるパチンコ店の前で、既にできた長蛇の列。手持ち無沙汰にスマートフォンをいじったり週刊誌に目を走らせたりする人たち。10時開店と同時に、彼らは店内になだれ込み、勝負を始めるのだろう。この人たちは、人生を諦めてしまったのだろうか。

「人生って、つらいことの方が多いんだよ。息抜きぐらい、させてくれよ。」

そう弱々しい笑みを浮かべながら言う人もいるのだろうか。吉祥寺行きの各駅停車に揺られながら、ふと気がついた。何を利口ぶっているのだろうか、私は。私こそ、とうに「諦め」、昨日と代り映えしない今日を怠惰に生きているではないか。振り返ればそこには、神戸の六甲山を背景に立つ15歳の少女がいる。紺の制服。小脇に抱えたテニスラケット。ろくすっぽ読めもしないくせに元町の洋書専門店で買ったアメリカの音楽雑誌。辞書と首っ引きで訳した歌詞カード。受験戦争との縁こそ無かったとはいえ、夢を追い求め懸命に駆けた日々は自分にもあったのだ。今よりも、もっと貪欲に、もっとしたたかに生きていた。あの少女は、どこへ行ってしまったのだろう。パチンコ店の前に列を成す彼らも、そして私自身も、みんなみんな大人になってしまった。夢なんて言葉はとうに置き去りにして、凡庸な日常に埋没した大人に。

X 月 X 日

「解答用紙は、志望校に向けてのラブレター。」

そんなフレーズを読んだことがある。

「鉛筆一本と紙で行先が決まるようなもんだからね。怖いよ。」

息子も真剣な面持ちで言う。

その通りだ。受験生が第一志望に出す解答用紙は、極上のラブレターでなければならない。どの消しゴムを使うと、最も効率的に、そしてきれいに消すことができるか。数種類のメーカーの消しゴムを取り寄せ、実験をする。「絶対に折れない」シャープペンシルを取り揃える。万が一、受験会場の机がガタガタしていた時に備え、机の脚の下に敷く厚紙の切れ端を用意する。(このあたりは、塾の先生のアドバイスの受け売りでもある。)滑稽に見えるかもしれない。だが、最高の恋文を書くためのセッティングに、当事者は大真面目である。

X 月 X 日

お弁当にカツは入れなかった。でも、ポンカンをランチボックスに入れることは忘れなかった。サインペンで、一字一字丁寧に平仮名でメッセージを書き入れる。「おうえんしているよ。」息子が塾で取り組んだ国語の読解問題に、重松清の短編小説から、上京する息子のためにポンカンにメッセージを書いた両親の話が抜粋されていた。その真似をしようなんて、ちょっと芸がないかな?

「おうえんしているよ。」

考え抜いた挙句、それしか書けなかった。頑張って、なんて言わない。もう十分に頑張ってきたんだから。その日の朝、小学生の遠足よろしく大張り切りで家を出た私と息子は、集合時刻の8時半より50分近くも前に試験会場に到着した。会場前の公園のベンチに腰を下ろし、途中のローソンで買ったカフェラテの紙コップで手を温めながら、母と子はポツリポツリと会話を交わした。8時過ぎ、ベンチから立ち上がる。息子に手を振りながら、心で唱えた。

行っておいで。
ありったけの想いを、解答用紙にぶつけておいで。

もうすぐ別れを告げる3年B組の教室から校庭を眺める息子。

もうすぐ別れを告げる3年B組の教室から校庭を眺める息子。

X 月 X 日

サクラサク。息子が自分の受験番号を指さしてカメラを凝視する。シャッターが切られる。合格通知書を担当窓口で受け取る。入学確約書を提出する。制服の採寸が始まる。早くも聞こえてきた春の足音とともに、息子は新たな一歩を踏み出した。

受験シーズン突入とともに、最初に受験した難関校で合格を獲得した息子は幸運としか言いようがない。滑り止め(なんと厭な言葉だろう)に出願する必要も無いままに、予想より早く4ヶ月程度の受験生活が幕を閉じたのである。

たかが4ヶ月と言うなかれ。あれ程までに密度の濃い日々は、彼の15年の人生にはなかったはずだ。「合格」「不合格」を超えて、得たものは計り知れない。計算ドリルに、小論文の練習。小さな実践を根気よく積み上げることが、大きなうねりとなることを、彼も自分なりに体感したことだろう。アメリカでは否定文脈で考えられることが多い日本の受験戦争にも、実はこんな一面があったのだ、と私も半ば感嘆しながら充実した日々を過ごしてきた。

日本の受験シーズンは、まだ続く。寒空の下、息子の学友の多くが、これから試験に挑む。この瞬間も、彼らはそれぞれの夢を心のキャンバスに描き、二次関数に、現在完了形に、室町時代の年号に向き合っている。そして、彼らの背に半纏をかけたり、お弁当にメッセージをしのばせたりする母親たちがいるのだ。みんな、みんな、どうか、極上のラブレターを書き上げてくれますように。

掲載:2016年2月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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