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第4回 新しい街-ベルタウン

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筆者プロフィール:松原 博(まつばら・ひろし)
GM STUDIO INC.主宰。東京理科大学理工学部建築科、カリフォルニア大学ロサンゼルス校建築大学院卒。清水建設設計本部、リチャード・マイヤー設計事務所、ジンマー・ガンスル・フラスカ設計事務所を経て、2000年8月から GM STUDIO INC. の共同経営者として活動を開始。主なサービスは、住宅の新・改築及び商業空間の設計、インテリア・デザイン。2000年4月の 『ぶらぼおな人』 もご覧ください。

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写真1: サード・アべニューに沿ってバージニア・ストリートからシアトル・センターを臨む

シアトルダウンタウンの北側に隣接するベルタウンはバージニア・ストリート、フィフス・アベニュー、デニー・ウェイ、そしてピュージェット湾で囲まれた67街区からなる、ちょっと変わっていて、おもしろい地区だ。まずバージニア・ストリートから北に向かって歩いてみて気がつくことは、シアトルには珍しく奇妙なほど土地が平坦であること。シアトル市内の他の地区で10街区以上一気に見通せる通りはまずないだろう(写真1)。また、歴史的な建物が残っているダウンタウンを通り抜けてベルタウンに入ると、シアトルではない、違う街に来てしまったような錯覚を覚える。

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写真2: バックリーズ・レストラン、元 MGM 社屋

1910年代から始まり30年代の初期まで続いた、いわゆるデニー・リグレイド(Regrade:平坦化)は、ベルタウン南半分にあたる標高110フィート(階高にして約10階)の小山と建物を削りとリ、バージニア・ストリートからデニー・ウェイまでをほぼ平らで均質な碁盤目状の街区を作り上げることに成功した。そのため、ベルタウンの南側はダウンタウンに隣接しながら、ダウンタウンにあるパイオニア・スクエア付近にあるような20世紀初期の歴史的な建物がまったく存在しない。また、今では想像できなくなったしまったが、1920年代から1960年代まで、セカンド・アベニューを中心にベルタウンは映画館の街として知られていた。セカンド・アべニューとバッテリー・ストリートの角にある平屋のビルは、かつて MGM社(『風とともに去りぬ』 などで有名なメトロ・ゴールドウィン・メイヤー・スタジオ)の社屋として使用されていたらしい(写真2)。またその隣にあるカソリック・シーメンズ・クラブはかつてはパラマンウント映画館だった。これらの多くの平屋、もしくは2階建ビルの多くはその後レストランや商店として再生されており、今やベルタウンには100軒以上のレストランがあると言われている。

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写真3: サード・アべニュー、シアトル・センター近く

1960年代、都市計画家ジェーン・ジェイコブス女史を中心として始まった新しい都市開発の理論は東海岸などで1970年代までのいくつかの都市で実践されていたが、シアトル市に影響を及ぼしたのは1980年代になってからだった。実践されたいくつかの理論の中でシアトル市が注目したのは、住居・商業混合ゾーンがありながらも主に商業ゾーンだったベルタウンをダウンタウンの高密度ベッドタウン化することだった。専門的用語になるが、DMR Zone(ダウンタウン、ミックス・ユース、レジデンシャル地区)と呼ばれるゾーニング法の区分けによって、1980年代の半ばから地上階が商業空間、上部階がコンドミニアム、もしくは賃貸アパートの混合形態の建物(ミックスユース)がにわかに建設され始めた。シアトル市内でにある建物高をコントロールするゾーニング地図を見ると、レノーラ・ストリート、セカンド・アヴェニュー、ウォール・ストリートで囲まれた地域の建物高の上限が地上から85フィート(建物高約8階)、そしてそこからドーナツ状に地域が広がり、隣の地区は125フィート(建物高約12階)、東側地区フィフス・アべニュー付近では240フィート(建物高約24階)と制限されている(写真3)。

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写真4: ウェスタン・アべニュー、オリンピック・スカルプチャー・パーク前

前述のように、ベルタウンが他のシアトル市内のどの地区と比べて違うのは、このいわゆるミックス・ユースと言われる建物が建ち並ぶ街区がいくつも続いていることと、週末に歩いていても子供の姿をほとんど見かけないことかも知れない(写真4)。これはベルタウンにもともと学校がないことが大きな理由だが、学生、ヤング・プロフェッショナル、リタイアメント層が多いことも理由のひとつかもしれない。統計を見ると、ベルタウンの人口の50%がダウンタウン・シアトルで働いている。残りの50%は学生、もしくはリタイアした住人だ。そのリタイアした住人の中で約10%は1年のうちの半分以上を別荘で過ごす超裕福層と言われている。また、ベルタウンのアパートの30%は低所得者向けで、主に学生に使用されている。これらの子供を持たない住人達がオリンピック・スカルプチャー・パークで犬の散歩したあと、近所のカフェで朝食を楽しみ、また洒落たレストランで夕方から夜更けまでアーバン・ライフを楽しんでいる様子を見るにつけ、この地区にベルタウン・スタイルと呼ぶべき新しい生活様式が誕生したように思えてならない。

Special thanks to:
Bruce Rips(City of Seattle, Department of Development and Planning,  Senior Planner)
Tom Graff (Ewing and Clark Incorporated, President)

(2010年2月)

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