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功刀祐子さん (建築家)

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功刀祐子さん (建築家)

マリズビル市の公衆トイレのデザインで AIA(米国建築学会)が主催する “National Small Project Award”(全米小規模建築デザイン賞) の “Jury Commendation”(審査員奨励賞)を受賞した、アライ・ジャクソン・エリソン・ムラカミ建築事務所の建築家、功刀祐子さんにお話を伺いました。
※この記事は2006年4月に掲載されたものです。

功刀祐子(くぬぎ ゆうこ)

1998年 大学卒業後、東京で就職
1999年 シアトルで就職活動
2000年 渡米、最初の就職先で勤務開始
2001年 Arai Jackson Ellison Murakami LLP に移り、現在に至る

社会人経験を積んでから渡米

シアトルに来られたきっかけを教えてください。

 功刀祐子さん (建築家)

AIA の全米小規模建築デザイン賞で審査員奨励賞を受賞した、マリズビル市の公衆トイレ

私は生まれも育ちも神奈川で、大学では家政学部住居学科で建築を勉強し、卒業後は建築・家具・店舗・展示会デザインなどさまざまなことをしている会社に就職しました。自社工場を持っていたため、自分たちでいろいろな物を作ることができることはとても楽しかったのですが、1日16時間~17時間の勤務が日常的でした。展示会の仕事では、朝は通常通り出勤し、午後8時ぐらいから午前4時ごろまで展示会場、それから家に帰って着替えをしてまた出勤といった感じです。それが数ヶ月続いたある日、あまり先がないということに気づきました。体育会系のノリがあったので、年齢制限もそのうち出てくるだろうと思いましたし、また、展示会はがんばってデザインしても3~4日でなくなってしまうもの。それも少し寂しく感じてしまいました。また、建築も含め、日本ではさまざまなことがメディアに振り回されています。流行をとても気にしますし、建築雑誌に載ることがステータスだったり、話題になることが偉かったり。私は自分自身が振り回されやすい性格だと思うので、そういう環境から離れ、自分の内から来るもので何かを作ってみたいと思いました。

そんな時、東京に住んでいるアメリカ人の友達から「シアトルに知り合いがいるんだけど、今、とても景気がいいみたいだよ」と聞いたのです。建築と言えば、当時の日本ではオランダなどがホットな国で、アメリカのデザインはあまり知られていませんでした。そうなるとミッド・センチュリー以外のアメリカのデザインには先入観なく入ることができるのではないかと思ったのです。シアトルは日本からも近く、素敵なところだと聞いたので、まず就職活動をしてみることにしました。1999年の秋のことです。

どのように就職活動をされたのですか。

 功刀祐子さん (建築家)

「鳥にも人生がある」というコンセプトで、人生ゲームのデザインを施したバードハウス

5日間ほど休暇をとってシアトルに来ましたが、1日に16時間も働いていた頃でしたから、飛行機に乗ってからポートフォリオを仕上げました。あの時は勢いがすごかったです。新聞で求人をしているところは片っ端から電話をし、4社ほどで面接を受けました。もちろん、その時はすぐに返事をいただくことはできませんので日本に戻り、2ヶ月ぐらいしてから最初に面接に行った会社から採用の知らせが来たのです。もともとその会社は採用していなかったのですが、知人の知人がいるというだけで面接をしていただいたのですが、「忙しくなったから来てください」と言われ、ビザもすべて準備してくれました。とは言え、実際にビザが下りるまでは7ヶ月もかかり、とても焦りました。

突然シアトルで就職活動とは、勇気がいったのではないでしょうか。

両親が外国人留学生を積極的に受け入れていたので、幼い時から家庭に外国人がいるという状態で育ちました。私たち日本人にとっての常識が外国人にとっては常識ではないこと、毎食が和食ではだめな人がいることなど、世界の広さを日常的に体験できたことがよかったと思います。その影響もあって、高校時代に1年にわたってミシガン州に留学しましたが、「英語でしゃべること」自体には慣れたものの、それだけでは英語で仕事ができるレベルにはほど遠いですよね。シアトルに来た時もやはりまだまだでした。でも、デザインをする職業のラッキーなところは、ビジュアルで意思疎通ができることです。私もそれでかなり助けられました。

初めてシアトルに来られた時の、シアトルの建築の印象はいかがでしたか。

5日間だけの滞在でしたので、訪れたところは限られていますが、初めに行ったのは、シアトル大学にあるチャペルでした。これは「模型を作って空間を学ぶことに意義がありそうな建築は何か」という大学のゼミでのディスカッションで実際に模型を作って勉強したことがある建物で、特に興味があったのです。自然光が織り成す光の色・質・テクスチャーなどが美しそうだったので、お昼ごろから日が沈むまでゆっくり空間を体験しました。シアトルはあまり自然光が強くない印象だったのですが、時間ごとにゆっくり変わっていく光の色や壁のテクスチャーを見ていると、確実に光の性質が時間で変わることが分かり、おもしろかったです。とても勉強になりました。結局、午前中の光も見たくて、短い5日間の滞在で2回も行ってしまいました。

もう1つ、どうしても行きたかったのはガス・ワークス・パークです。第一印象は「かっこいい公園」としか表しようがありませんでした。こういう場所を「公園にしてしまおう」というシアトル市のセンスも含めて、「あっぱれ!」です。そして、町全体では、個々の建築より街並みの方に強い印象を受けました。宿泊したベルタウンはちょうど開発が進んでいたころで、いたる所でコンドミニアムの建設真っ最中。まさに、”up and coming neighborhood” だったのでしょうか。夜に1人で歩くのは少し怖いかなという感じでしたが、近くに格好の良いギャラリーやかわいいカフェがあったので、きっと素敵なエリアになるだろうなと思いました。

ダウンタウンもベルタウンも、都心でありながらちゃんと歩道やオープン・スペースにそれなりの緑を確保するように計画されていたことが、東京の風景に見慣れていた私にはとても新鮮でした。また、面接をしてくれた事務所の1つがあったカークランドでは、ウォーターフロント・パークがきれいに整備されていて、地元の子供達が描いた絵がタイルになっているようなエリアがあり、地域住民の街づくりへの関心が感じられました。2000年の夏に引っ越して来てからは、いろいろなコミュニティを訪れてそれぞれの個性を体験し、その個性に合う街づくりに努力しているのを感じています。

就職を通しての新しい体験

最初の勤務先でのお仕事について教えてください。

最初の勤務先は、ホテルやファーストフードの店舗を多く手がけているベルビューにある建築会社でした。デザインをするチャンスがあまりなかったのは残念でしたが、商業施設は工期が短いため、時間と予算管理、確認申請に関してとても多くのことを学びました。

カルチャー・ショックなどはありませんでしたか。

 功刀祐子さん (建築家)

オフィスの風景

仕事でのカルチャー・ショックは、同僚が午後5時に帰宅することでした。もちろん、その日にやらなくてはならない仕事があれば残業しますが、定時での帰宅にはなかなか慣れることができず、最初の数週間はまるで定年を迎えた人のように、自分の時間があっても何をしていいかわからず、ぼーっとしていました(笑)。当初は知人もおらず、住まいはベルビューだというのに半年にわたって車もなかったものですから行動範囲が限られていたことも原因の1つだと思います。でも、数週間後には、「そのために来たんだから」と、料理をしたり、服を作ったりといった、昔好きだったことをまた始めることができました。その他には、やはり女性と男性が平等に近い状態で仕事ができることもとても新鮮で嬉しかったです。日本の会社では同じ新入社員でも男性は名刺がもらえるのに女性はもらえないといった、あからさまな性差別をたくさん経験しましたが、こちらではそういうことを経験していません。また、地域社会に何らかの形で貢献している人が多く、きちんと生活しているというか、生きている証があるのがいいなと思いました。

現在の勤務先に移られたきっかけはなんですか。

 功刀祐子さん (建築家)

同事務所がこれまで手がけた建築物の写真が展示されている廊下

最初の勤務先で仕事をするうち、商用施設以外の建築をしてみたいと思うようになりました。ある時、仕事で行ったデモイン市の市庁舎のすてきな外観を気に入り、受付の人に建築を担当した会社の名前を教えてもらいました。それがこのアライ・ジャクソン・エリソン・ムラカミ事務所だったのです。ここでは、裁判所もあれば公衆便所まで手がけています。その後、偶然にも人材を募集していることを新聞で知って応募しました。パートナー(共同経営者)2人が面接をしてくれたのですが、ポートフォリオを見せている時に指摘するポイントが「あ、わかってくれてる!」と思えることばかりだったので、「きっとお互いにあうはず」と思っていたら、採用が決定しました。前の勤務先と大きく異なる点は、アライ・ジャクソン・エリソン・ムラカミはプロジェクトの個性を大事にし、自分が手がける建築物はインテリアも最後まで面倒を見るというスタンスであること。前の勤務先では建物の外観と内観は別々という感じで違和感がありました。建物とは1個の物であって、中と外と分ける必要はないと思います。やはり、詳細を描いて色も選んで完成させるのが、自分にあいます。また、アメリカに何年住んでも日本人には変わりないと思うのですが、ここは日系のパートナーがいるからか、どこかしら義理人情に厚いところがあるようです。例えば、私は結婚してこちらにしばらく住むことになりましたが、両親にうまく話すことができるようにとパートナーたちが「僕の娘が結婚した時は・・・」と、自分の体験談を話に来てくれました。また、日本に1年に1度は帰ることができるよう、十分な休暇も取らせてくれます。とても家族っぽいところがあり、それがとてもあうのです。

プロジェクトが来てから担当になるまでのプロセスを教えてください。

個人の能力や好みや労働量を把握して担当を決めてくれる担当者がいます。彼は、私があまりスケールの大きくない、小さいプロジェクトが好きなことを理解してくれていますから、もらって嬉しいプロジェクトばかり。最初はあまりデザインをする幅のないプロジェクトだと思っても、始めてみるとデザインをする余地がたくさんあったりすることもあり、「やはり、もらったプロジェクトに文句を言ってはいけないな」と思い直すことがあります。やってみないとわからないことはたくさんありますね。また、金曜には “Beer Friday” といって、ビールを飲みながら話をする時間があり、進行中のプロジェクトをピックアップして自分の意見を言うこともできます。現在、エドモンズのスクール・ディストリクトの建物をデザインするプロジェクトがあるのですが、所員25人で知恵を出し合うこともあります。また、建築家の中でも1個のコンセプトでいろいろな建物を作る人もいます。ですから、これはあの建築家だとすぐにわかりますね。私も自分がデザインしたものは自分の建物と思いたいですが、私は「どういう場所か、どういう歴史があるのか、お客さんの人柄はどうか」といったコンビネーションで建物は生まれると思いますので、建物が完成したらもうその時点でそれはお客さんのものです。私にとって建築とは自己表現の手段だけではないんですよね。たまにこっそり隠れたところで自己主張しているかもしれませんが(笑)。

昨年11月にクィーン・アンにオープンしたレストラン、”Veil” のプロジェクトはいかがでしたか。

 功刀祐子さん (建築家)

昨年末、クィーン・アンにオープンしたレストラン “Veil”

とても楽しく、やりやすいプロジェクトでしたよ。このプロジェクトを一緒に担当したリッチと私はレストランを手がけたことがなかったのですが、”Veil” の共同経営者らと話すうちに、彼らがやりたいことがよく理解でき、また、彼らも私たちがコンセプトに共感していることをわかってくれ、「僕たちにとっても初めてのレストランなんだから、君たちにとっても初めてのレストランでいいんじゃない?」と言ってくれたのです。「まかせる」と言ってくれても、心の中にある何かをどう伝えていいか分からないお客さんも多く、最後になって意見が出てくることがよくあるので、最初のうちにそれを引き出すのも仕事です。明確なビジョンを持ったお客さんが、「テーマはあるんだけど、具体的にどうしたらいいかわからない」と言うのを形にしてあげるという、まるで学校の課題をしているようでした。シンプルな建物は隅々まで気を使わないと愛想のないものになってしまうのですが、そういうことをわかってくれる方々だったのもとても幸運だったと思います。以前にも店舗のデザインをした案件がありましたが、何もない壁の意味を理解してもらえず、オープンして数日後にはいろいろな物が飾られていたことがあるからです。また、もう1つ “Veil” の共同経営者らが言ってくれたのは、「シアトルにない空間を作りたい」ということでした。「レストランをやったことがある人たちは、昔の経験をもとに何かを考えてしまうだろうから、経験のない人の方が視点が新しいのではないか」と。

現在のお仕事で辛いことはありますか。

何が辛いといって、商業施設と違い、公共施設はいろいろな理由でプロジェクトが止まってしまう場合があること。新しい市長の方針に沿わないというような、私たちの手の届かないところでプロジェクトが没になってしまったりします。そこまで仕事をしたお金をもらうことができるとは言え、完成物を見るためにデザインをしているわけですから、消化不良になってしまいます。逆に、公共建築のおもしろいところは、意外なところにデザインの可能性が潜んでいること。去年、マリズビル市に新しくできた公園の公衆トイレをデザインしたのですが、このプロジェクトが AIA(米国建築学会)の “National Small Project Award”(全米小規模建築デザイン賞) で、”Jury Commendation”(審査員奨励賞)を受賞しました。公衆トイレでデザイン賞を受賞する、というのは本当に素晴らしい経験です。良いデザインと認められるものに、高級住宅も公衆便所も関係ないということを多くの人に知ってもらえる良い機会になるのではと期待しています。

初めてシアトルに来られた時からシアトルの建築が変化したと思われる点を教えてください。

 功刀祐子さん (建築家)

功刀さんのご主人が手がけたレセプション・デスク

最近変化したと感じることの1つに挙げられるのが、”sustainability” です。恥ずかしながら、実はシアトルに引っ越してくるまでこの言葉を知りませんでした。日本ではエコロジカルなどと言われているのがそれで、「資源を大切にし、建築物の寿命を延ばし、安全に建物を建てられるように、健康に使えるように」という考え方です。もちろん何十年も前からあった考え方ですが、ここ何年かで、”sustainable” である建物を建てることが当たり前という感覚が大分浸透して来たように思います。”LEED”(Leadership in Energy and Environmental Design)などのように “sustainability” を図るツールも普及して、郡政府などでも建築家にこれを義務付けるところがどんどん増えてきています。また、人々の生き方もそれと共に変化していると思います。最近ではどのプロジェクトでも一度は、自然換気やエネルギーのリサイクルなどが検討されるように思われます。これからはぜひシアトルのこの恵まれた気候を生かして、外と中が一体となった建築計画や賢いエネルギーの使用法を取り入れていくべきではないでしょうか。そして、トレンドと言えば、今までのシアトルにあった建築デザインの枠を大きく広げてくれた建物が増えていること。ダウンタウンに建てられたセントラル・ライブラリはもちろん、建設中のシアトル美術館の増設は、新たなデザイン論争を巻き起こしてくれそうです。斬新なコンセプトをうまく形にした建物は、私達デザイナーだけでなく全てのシアトル住民にとって誇りになるものだと信じています。

これからのシアトルの建築にとって重要なことは何だと思われますか。

 功刀祐子さん (建築家)

功刀さん夫婦が、結婚式の招待客のために共同製作したベンチ。式の後は各地にもらわれていったそう。

シアトルの魅力の1つは、そのサイズにあると思います。美しい緑と青い海に囲まれ、街のいたる所からオリンピックやカスケードの山脈が見えるという景色を確保できるのも、他の都市と比べてダウンタウンが小さく、高層ビルの数が少なく、その密度が低いことが一因でしょう。都市としての機能を持ちながら、車で1時間も走れば四季折々の自然が楽しめる場所は、アメリカ国内でも少ないのではないでしょうか。建築関係の人達とシアトルのインフラの話題になるたびに「だからシアトルは大都市になれないんだ」というオチになることが多いです。確かにそれは正しい意見かもしれません。でも、シアトルは本当に大都市になりたいのでしょうか。私はこの街の個性、地理的な特徴、シアトル住民の考え方からいって、疑問に思います。目指すべきものは「大都市になること」ではなく、今ある都心の範囲を確保し、その機能がよりスムーズに動くように公共交通機関を改善し、周りのコミュニティを大切にしていける自治体と地元のビジネスへのサポートをすることだと思います。話が都市計画になってしまいましたが、シアトルが質の高い建築を作り続けていく上で、これは重要なことです。セントラル・ライブラリのデザインが良い例です。これは紛れもなく、シアトルで訪れるべき建築でしょう。そしてそれぞれのコミュニティに建てられたブランチ・ライブラリも地域性を生かしたものが多く、素晴らしい建築ばかり。シアトル市には、しっかりした目標を持って、長い視野での都市計画を進めていって欲しいものです。

これからの抱負を教えてください。

アメリカで1年間に出る無駄なゴミは20%が建築から出ているそうなのですが、建築を担当する人がスペックや図面を描いたりするときに何かを変えるだけでかなり無駄を抑えられることもあります。ですから、これからはさらに気をつけていろいろな建物をデザインしていきたいですね。また、ウッドワーカーの夫と一緒にプロジェクトをすることも年に何度かあるのですが、今は彼が中心となっている私たち夫婦の家具のデザイン&製作事務所で、将来は私もデザインのラインを持てたらいいなという話もしています。あとはいろいろな国を旅行し、いろいろな建築を見、いろいろな人に出会いたいですね。いろいろな考え方に出会って刺激を受けていきたいです。

掲載:2006年4月

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