北村太一さん (シェフ/レストラン経営)

フリーモントに新しくオープンした和食レストラン 『chiso』 のオーナーシェフ、北村太一さんにお話を伺いました。
※この記事は2001年10月に掲載されたものです。

北村太一(きたむら たいち)

1974年 京都生まれ
1989年 初めてのアメリカ旅行
1990年 シアトルで4週間ホームステイ
1991年 リンウッド・ハイスクール編入
1992年 リンウッド・ハイスクール卒業
1993年~1994年 エベレット・コミュニティ・カレッジ在籍(卒業)、マカティオの佐久間レストラン勤務
1995年~1996年 シアトル・ユニバーシティ在籍(卒業)、Shiro’s 勤務
1996年~1999年4月 Shiro’s 勤務
1999年4月~2000年12月 I Love Sushi 勤務
2001年9月 chiso オープン、現在に至る

料理が好きだった少年時代

幼い頃から料理をするのがお好きだったのですか?

そうですね。料理は好きでした。実際に作るようになったのは、母親が日曜の朝に起きてくれなかったことが原因です(笑)。父・弟・私は起きても、母親が起きんもんやから、ご飯がないでしょ。で、私が作り始めたのです。もともと好きでしたから。当時のメニューは和風なら卵焼き・鮭の塩焼き、洋風ならパン・ハムエッグ・オムレツなどの簡単なものでしたが、楽しんでました。土曜日に午前中の学校からおなかを空かせて帰宅して、自分で作ったりもしました。基本的に、食べることが好きなんですね。

その頃からレストランをやろうと思っておられましたか?

自分の店をやりたいと思ったのは23歳の時です。実家は私が生まれる前から京都の室町で高木コーヒーという喫茶店をやってますから、小さい頃から 『店』 という雰囲気には慣れてたんですね。コーヒー1杯でも出前するような、とてもコンサバな地域ですよ。夏にはそこでバイトして、呉服展示会でコーヒーのブースを出したりもしていました。とにかく働くことが好きなんです。小学校を卒業してから、中学は水泳部、高校は水球部だったので料理をする余裕はありませんでしたが、料理の本や料理番組を見るのは好きでした。私は京都出身なんですけど、関西系の料理番組 『あまからアベニュー』 をよく見てましたね。

 

ついにアメリカへ

アメリカに来たきっかけはなんでしょう?

高校1年の時に、アメリカ人女性と結婚した父の友人を訪ねて、西海岸に遊びに来たんです。みんなでディズニーランドに行ったんですが、とにかく英語ができなかったでしょ。だからその女性とまったくコミュニケーションができませんでした。私は人と話すのが好きですから、自分の言いたいことを伝えられない状況に陥ると、だめなんですね。非常にイライラします。そこで、「英語ができれば、人とのふれあいの可能性が広がる」と痛感して、日本で英会話学校に行き始めました。そして高校2年の時にホームステイでシアトルへ。最初はカナダへ行きたかったんですけど、その英会話学校ではカナダが3週間で50万円、シアトルが4週間で50万円。「シアトルなら4週間で同じ値段やないか」というわけで、シアトルにしました。ホストファミリーにも気に入ってもらえて、ほんまに楽しかったです。そしてアメリカの大学に行くことを目標にし、まず高校留学をすることにしました。

こちらの高校に留学されたのですか?

リンウッド・ハイスクールの高校3年生に入りました。楽しかったですね。大学やったら日本人はいますけど、高校には日本人はめったにいません。日本語を話す人と言えば日本語クラスの先生だけという状態です。クラスに行くと、でかい体のフットボール選手がモヒカン頭ですわってる。最初は「うわぁ、俺、食われるんちゃうやろか」って思いましたよ(笑)。でも日本でずっと水泳をやってましたから、泳ぐのが速いということで水泳部で大事にしてもらいました。アメリカの生活に馴染むとか、アメリカ人を知るために、ハイスクールに飛び込んだのは本当に良かったと思ってます。

その時は料理をしていましたか?

ホストファミリーに和食を作ってあげたりしていました。または、自分が和食を食べたくなった時、車が無くてレストランに行くことできませんでしたから、スーパーに連れて行ってもらって自炊しました。当時はおいしいものを食べようと思ったら自炊するしかなかったので、以前よりももっと料理をするようにはなりました。ホストファミリーはホットドッグとかハンバーガーですから(笑)。でもこれは彼らの食生活なので、私はそれはそれで尊重していますし、ガマンできないことはありませんでした。

本格的に料理の道へ

それから大学へ行かれたわけですね。

まずエベレット・コミュニティ・カレッジに入学しました。これも楽しかったですね。日本人も適当にいましたし、ドイツ語の先生がとてもいい人で、かわいがってもらいました。もうドイツ語は忘れましたけど。そして、大学入学をきっかけに一人暮らしを始めまして、自炊をするようになりました。かなり料理をしていましたよ。

レパートリーが広がったのでは。

ルームメートがフィリピン人だったり、友達に韓国人がいたりして、料理の内容が国際的になったというのはあります。キムチを漬けたり、ベトナムのラーメン(Pho)を食べたり。アジア人学生会の生徒会長をやっていましたので、フィリピンダンスチームにも入り、スケスケのシャツを着て踊っていました。『フィリピンダンスが踊れる日本人』 と言えば私、というぐらい、知られていたものです(笑)。 また、私は週に20時間キャンパス外で働く許可を持っていましたので、マカティオにある佐久間というレストランでアルバイトを始めました。これがアメリカで本格的に料理をし始めたきっかけです。天ぷら担当で、3年間もお世話になりました。しかし、コミュニティ・カレッジを卒業してシアトル・ユニバーシティに編入したため、シアトルからマカティオまで通うことができず、今度はベルタウンにある Shiro’s で働き始めました。

Shiro’s と言えばとても人気があるレストランですね。

そうですね。ここでは本当にたくさんのことを経営者の加柴司郎さんから学ばせていただきました。まず皿洗いを2日ほどやったのですが、以前働いていた佐久間さんと言えば天ぷらですから、「じゃあ天ぷらをやってみて」ということになりました。私のやり方は、材料のクセを知ることが第1です。それぞれ衣ののりかたが違いますから、衣に層を作ります。そして、衣は混ぜすぎないこと。あわせたてが軽くて1番いいのですが、練ると重たくなります。粘りとコシは違います。他にもいろいろと私なりのコツはあるのですが、Shiroさんに「なかなかいけるじゃないか」と言われ、天ぷら担当になりました。この当時はまだ寿司はやらせてもらえませんでしたね。

自分のこの世での役割を認識

そしていよいよ大学卒業。

専攻は International Studies だったので、その方面で就職活動はしましたが、それでは営業職などしかありませんでした。当時もまだ Shiro’s で働いていましたが、司郎さんは50代半ばで、仕事をとても楽しんでいる。お客さんも喜んでいる。それを見ていて、「こんなにいい仕事は他にはない」と、改めて思ったのです。「自分もそうなりたい」と。そこで、司郎さんに寿司を作らせてほしいとお願いし、今度は Shiro’s でフルタイムで働き始めました。司郎さんはとてもいい人。人が好きで、あんなにさっぱりしている人はいないと思います。私も本当によくかわいがってもらいました。

とうとう寿司を始めたわけですが、どうでしたか。

楽しいですね。寿司に限らず、お客さんに喜んでいただけるというのは励みになります。私のこの世での役割は、「お客さんにおいしいものを食べていただき、次の日も仕事をがんばっていただく」ことでしょう。よく「どこの寿司が一番おいしい?」と聞かれるのですが、それはやはりそのレストランのシェフがどれだけお客さんの味を理解してくれるかにかかっていると思います。例えば、最初に寿司を三品オーダーしますよね。そしたら、「あ、この人は脂っこいのが好きなんやな」「あ、この人はあっさり系が好きなんやな」と考えて、「じゃあこれはどう?おいしいから食べてみて」と、おすすめすることができます。私はお客さんとの相互コミュニケーションが大事やと思っていますから、私だけでなくウェイトレスやウェイターを含めた店全体が、コミュニケーションができる状態にしていたいですね。

「お客さんにおいしいものを食べていただくのが自分の役割」というのはすばらしいですね。

私のもう一つの役割は、アメリカ人に和食をもっと知ってもらうということです。例えば天ぷらを出すでしょう。そしたらアメリカ人の8割が大根卸しは手付かずのままです。そこで一言、「これを天ぷらつゆにいれると、おいしいんですよ」と言ってあげるわけです。日本人が普通にしていることを、アメリカ人にも知っていただき、味を広げてもらいたいですね。

開業まではずっと Shiro’s で働かれていたのですか。

Shiro’s は1999年4月までですね。店をやりたいということを司郎さんにもお伝えしてましたし、司郎さんも応援すると言ってくださっていました。当時はグリーンカードのプロセス中でしたが、雇用許可証が届くと同時に「他の店でも修行をしたい」と、レイク・ユニオンにある I Love Sushi へ入り、約1年間寿司を握らせていただきました。I Love Sushi は板前さんのチームワークが良く、システム化されて効率が良い。本当にためになりました。

いろいろなことを吸収しながら、準備をすすめておられたわけですね。

そうこうするうちにグリーンカードが届き、開業の準備を始めました。このビルのオーナーが寿司が大好きで、司郎さんの良いお客さんであったことから、紹介していただいたのです。しかし、会ってみるとその方は私が I Love Sushi で寿司を握らせていただいたお客さんだったのです。そこですぐに気に入っていただけて、ロケーションが決まりました。店内のデザインは I Love Sushi の頃からのお客さんで、インテリア・デザイナーの札さん(ぶらぼおな人:2000年8月)に依頼しました。とてもよくしていただいて、たいへんありがたく思っています。

この 『chiso』 というのは、『馳走』 ですか?

そうです。「お客さんに喜んでいただくために馬のように走り、おいしいものを集めてくる」という意味です。これも司郎さんがいつも言われている言葉からいただいたものなんですよ。

ついに 『chiso』 オープン

開店してから今週で2週目ですが、いかがですか?

現在はまだソフト・オープンの状態で、ばたばたしながら、不安もあります。今がしんどい時でしょうね。でも、お客さんが「また来るよ!」と言ってくださると、本当に、心から「ありがとうございます!」と頭を下げています。深い感謝の気持ちでいっぱいです。

メニューも手ごろなランチなどがあっていいですね。

ランチは基本的に10ドル以下で食べられる、日本の洋食屋のようなものも揃えています。例えば和風マーボー豆腐・チンジャオロース・ビーフカレー・手羽と大根の煮物などは7ドル。ご飯はお代わり自由。また、今日はたまたま大根と揚げですが、”Soup of the Day” ということで、毎日違う具の入った味噌汁がつきます。ランチでそれ以上のお値段というと、9ドル50セントのちらし寿司だけです。もちろん、ランチでも寿司は握らせていただきますし、その他にもいろいろな料理を揃えています。また、ワインも置いてありますので、将来的にはワインとあうものもメニューに加えていきたい。日本にあったけど、こっちにはないような、おいしいもの、日本の中華、日本の洋食もいれていきたいですね。そして寿司のネタはできるだけ地元の新鮮なものを使っています。今ならスメルトやムール貝がありますし、これからは生牡蠣などです。

ユニークなメニューですよね。

こちらの和食レストランの定番、トンカツ・天ぷら・すき焼きもいいですが、それでは私としてはシェフとしての喜びがない。やっぱり、ああでもない、こうでもないといろいろ工夫して、お客さんに「おいしい」と言っていただけると、喜びも増します。

これからの抱負をお聞かせください。

私はこの仕事が大好きです。これからも、アメリカにない、いいものをどんどん持ち込み、広めていきたい。日本に帰ると「これはアメリカにないが、きっと受けるだろう」と思われる物はたくさんありますよね。「これで儲けたろ」というのではなく、広めたい。そして、アメリカの文化の多様化に貢献していきたいと思います。

掲載:2001年10月

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