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押尾祥子さん (助産婦・ナースプラクティショナー・看護学博士)

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外国での健康維持・出産は想像以上にたいへんなもの。システムの違いや言葉の問題から余計なストレスがたまったり、不安になったりしがちです。今月は、日本人女性の健康・出産を助けるなでしこクリニック創立者、押尾祥子先生にお話を伺いました。
※この記事は2002年8月に掲載されたものです。

押尾祥子(おしお さちこ)

1977年 聖ルカ看護大学卒業 学士号取得、看護婦・保健婦・助産婦・高校保健教師資格取得

1977年~1980年 聖ルカ国際病院で看護婦として勤務

1981年 ボストン大学看護学部修士課程終了 修士号(MSN)取得、アメリカ看護婦資格取得

1982年~1985年 聖ルカ看護大学講師

1986年~1991年 シアトルにて産科看護婦として勤務

1992年 ワシントン大学看護学部博士課程終了 博士号(PhD)取得

1994年 オレゴン州ヘルスサイエンス大学修士後研修課程終了、米国助産婦資格(CNM)取得

1995年~2000年6月 ワシントン大学看護学部助教授

1997年 国際母乳栄養コンサルタント(IBCLC)資格取得

2000年7月 ワシントン大学看護学部臨床助教授、なでしこクリニック設立

2002年8月 『アメリカで健康に暮らしたい女性のために-知っておきたい自分のからだ』出版

キャリアアップのために渡米

押尾先生がアメリカに来られたきっかけを教えてください。

1978年に聖ルカ看護大学を卒業し、1年間の婦人科勤務を経て産科で勤務していたのですが、当時の日本では看護大学に大学院がなかったことから、そのままでは先が見えていました。そこで、医療の先端国アメリカでもっと学びたいと思い、渡米を決意。最初の半年はシアトルで過ごし、その後、ボストン大学看護学部修士課程に入学し、ここで修士号を取得しました。しかし、その頃は助産婦の仕事が限られており、助産婦のための医療事故保険にも制限があったのです。そのため、当時マサチューセッツ州では家族による自宅出産は合法でも、助産婦による自宅助産は違法という状況でした。いわゆる米国助産婦界の危機の時代です。そのため、その当時は看護婦の資格は取得しましたが、さらにその上の助産婦の資格は取得しませんでした。

その後、日本へ帰国することを選ばれたのはなぜですか?

卒業後はボストンで病棟主任として勤務しました。しかし、当時のボストンはメイフラワー号でやってきたという誇りがある土地柄からか保守的で、3代住んでいないと地元の人とは認められず、「私は何年住んでも外国人という枠から出られない」と考えるようになりました。そんな時、母校である聖ルカから教職の誘いが来て、日本へ帰国することになりました。

日本で再び勤務されたときのことを教えて下さい。

それから3年半を日本で過ごしました。しかし、アメリカが恋しくてたまりませんでしたよ。特に渡米後すぐの半年間を過ごした美しいシアトルのことをいつも考えていました。休みになれば、緑の多いシアトルと少し環境が似ている軽井沢で自転車に乗ったり乗馬をしたりし、アメリカ映画もよく見ていました。また、ある時、恩師の家に置いてあった 『暮らしの手帖』 で、アメリカの朝ご飯の写真でハッシュ・ブラウンを見ただけで、涙が出て止まらなかったこともあります。

再びアメリカへ

その後、再び渡米の希望が叶ったわけですね。

3年半後、ワシントン大学の看護学部博士課程に入学することが決まり、念願のシアトルで生活が始まりました。学校へ行きながらスウィディッシュ・ホスピタルでパートタイムの産科看護婦として働きましたが、その頃から「お産の扱い方は医師とは違うやり方でやりたい」と思うようになりました。自然なお産ができると、人生が変わるような経験をすることがあります。これを “Peak Experience” と言いますが、ほとんどの妊婦はそれができるのにその機会を与えられず、看護婦は医師に従わなければならないのでその機会を勝手に与えることはできません。しかし、助産婦ならそれができるのです。そこで、今度はオレゴン州にあるヘルスサイエンス大学修士後研修課程を終え、米国助産婦資格を取得しました。

まず教職に就かれたわけですが、それはなぜですか。

当時、助産婦は就職難だったのです。そのため、母校のワシントン大学で約5年半に渡って看護学部助教授として教鞭をとりました。それと同時に、技術を磨き、資格を取得するため、カークランドのエバーグリーン・ホスピタルのクリニックで臨床の仕事もしました。

なでしこクリニック設立

なでしこクリニックの設立を考えるようになったのはいつごろですか?

教鞭をとりながら、やはり、自分自身が臨床をしたいと思うようになりました。臨床は1対1なので、自分でやればやりがいがあります。また、エバーグリーンで臨床を始めた時から北米報知に連載していたコラム 『女性の健康』 をウェブサイトで公開したところ、たくさんの反響がありましたので、需要があることは確信していました。また、『なでしこ広場』 を設置して医療上の質問にも答えていたのですが、インターネット上での医療に関する質疑応答は臨床とは異なり、少し危ないですし、手ごたえが今ひとつでした。そこで、やはりクリニックを設立しようと決心したのです。

私たちがしなければならないのは、自分の体のことをもっと積極的に知ろうとすること。本やインターネットを使って情報を集めたり、経験談を聞いたりすることが大切です。特にお産は人生を変えるイベントになりうるので、自分から動くことが必要になります。こういうものだとあきらめず、もっと可能性を探ってみましょう。アメリカの平均的なお産を見ると、病気の一つであるかのように処理されています。流れ作業が多く、無痛分娩が大半で、管理されたプロセスになってしまい、自然がありません。しかし、自分の体ができることに対する信頼感を高め、自分が持つ力に驚き、そして感激して、出産を迎えられたら、どんなにすばらしいでしょう。私はそのお手伝いをする立場です。助産婦の方がそういった経験ができます。そして、2000年7月、なでしこクリニックを開業しました。

なでしこクリニックの診療内容について教えてください。

なでしこクリニックでは妊娠・出産のトータルケアから、女性の定期検診、更年期ホルモン療養などの婦人科系・産婦人科系の診療、そしてさまざまなグループの運営を行っています。

妊娠・出産の場合ですが、初めての出産の場合、最初はとにかく不安なものです。ですから、いろいろなことを丁寧に説明し、安心してもらいます。妊娠中期に入ると、体の中にいる赤ちゃんが、ファンタジーから現実になってきます。その頃に、どんなお産にしたいかを話し合って決め、心の準備をします。このあたりから、妊婦・家族・私のチーム作りが始まります。何度も検診のたびに会ってお話していると、その妊婦さんのストレス対処法や人生観を知ることができますので、それにあったお産をイメージさせて、実現できるようにお手伝いします。そして、出産するころになると、既にチーム内には信頼感が生まれていますから、痛みはあっても恐怖感はあまりありません。また、お産の場合は母国語の方が楽な場合が多いです。そして、お産の後は翌日または翌々日に家庭訪問をします。初めての出産ではお母さんは不安ですから、これでいくらか落ち着くことができます。

また、最近は日本人の間で子宮内膜症や、クラミジアなどの性病も増えています。なでしこではそういった病気の検査や治療も行っています。

本の出版

今回初めての著書を出版されるそうですね。

前述のインターネットで公開した情報に、さらに役立つ情報や図解などを満載したハンドブックを 『アメリカで健康に暮らしたい女性のために-知っておきたい自分のからだ』 として出版します。この本では、「自分が中心になって、自分の体を管理する」という観点から、自分で自分の健康を管理する方法について、また、医療従事者と1つのチームになって自分の健康を管理する方法について語っています。例えば避妊や性病に関する知識や治療は健康のために大切なことであるにも関わらず、恥ずかしくて積極的に相談したり、情報を集めたりしない人が多いですね。そういったこともよくわかるような内容になっています。

これからの抱負をお聞かせください。

今回の本は情報を満載したガイドのようなハンドブックです。将来はお産の可能性や母親の心理など、自分の信条みたいなものを含めた本を書きたいと思います。また、アメリカ母子健康手帳を出すことや、出産準備教室も計画しています。

掲載:2002年8月

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