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石原 美希さん 留学生アドバイザー

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シアトルの北にあるエドモンズ・コミュニティ・カレッジ(EDCC)に、「ぶらぼお」な日本人アドバイザーがいるという。今回は、その石原美希さんにご登場いただきました。
※この記事は1999年12月に掲載されたものです。

石原 美希(いしはら・みき)

1978年 父親の転勤でシアトルへ。

1981年 横浜へ戻る

1990年 高校卒業後、オレゴン州へ。秘書学専攻。

1992年 EDCCに転入。旅行学専攻。

1995年 セントラル・ワシントン・ユニバーシティに編入。

1996年 EDCCのフロント兼アシスタントとして勤務。

1997年 EDCCのアドバイザーとして勤務開始。現在に至る。

小学生でアメリカへ

美希さんがアメリカに来られたのはいつですか?

初めてアメリカに来たのは小学生の時でした。総合商社に勤めていた父は転勤が多く、私も生まれた大阪から川崎、そして横浜と転々として、このシアトルにやって来たのです。それから横浜に帰るまでの3年半、この EDCC の近くにあるマウントレイク・テラスの小学校に通いました。

そして、いったん日本に戻られて、また戻ってこられたわけですね?

そうなんです。3年半シアトルに住み、それから横浜に戻り、高校を卒業。その後、「知っている人がいないところに行きたい」と思い、オレゴン州の人口9千人という小さな町のカレッジへ留学しました。最初のプランでは2年間で秘書学を学ぶ予定だったのですが、それを1年間のコースに変更し、1992年の冬に EDCC の旅行学に編入しました。でもその当時は旅行学の開始は秋からだけということで、最初は選択科目などを取得し、実際に旅行学を始めたのは1993年の秋。旅行学を始めた後、アメリカ系のトラベル・エージェンシーでインターンもしましたが、仕事らしい仕事はもらえず、結局通訳でした。その上、社員同士が反目しあっていて、人間関係が非常に複雑だったため、早々に退散しました(笑)。

専攻を人事関係に変更

しかし、結局旅行学ではなくて、人事関係を学ばれたそうですが?

1993年に旅行学の方をスタートしたと同時に、4年制大学へ編入するコースも取り、1995年にはセントラル・ワシントン・ユニバーシティに編入。その頃は、学校のアドバイザーではなく、会社の人事で仕事をしたいと思っていたので、”Business Human Resources” 系の専攻をとりました。 その間のインターンでは、シアトルのランドマークであるスペース・ニードルの人事部へ。最初のインターン先のトラベル・エージェンシーと違い、今度は非常にたくさんの責任を与えられ、応募者のスクリーニングや面接、トレーニング、そしてジョブ・フェア参加など、いろいろなことを経験させてもらいました。大変でしたが、本当に良い経験だったと思います。でも、私としては、やはりバイリンガルであることを生かした仕事をしたかったので、良く言えば世話好き、言い換えればおせっかいなこの性格ゆえに(笑)、アドバイザーという道を選びました。

アドバイザーとして

エドモンズ・コミュニティ・カレッジで、アドバイザーとして勤務を開始されたのはいつからですか?

1997年からですね。最初は、このインターナショナル・シチューデント・サービス(以下、ISS)のフロントデスク、そしてパートタイムのアドバイザーになり、今はフルタイムのアドバイザーとして勤務しています。

アドバイザーのお仕事にはどのようなことがありますか?

私の担当は ESL に行っている学生全員です。クラスに関する質問やレジストレーション(クラスの登録)のお手伝い、新入生との交流の場であるオリエンテーション、移民局や生活一般のケア、そして団体グループのクラスやホストのケアが主な仕事です。先日は、学校の代表として日本へ行き、マーケティングも担当しました。

大変ですね。でも美希さんも留学経験されているわけですから、学生さんも心強いのでは?

みなさんもよく話に来てくれますし、友達のような感じでいられることが大半です。他の学校に移っていった学生さんに、「EDCCは面倒見が良かった」と言われたり、卒業された学生さんと今でも文通していたりと、そんなフレンドシップが続くことは本当に嬉しいです。そして、そういう感謝の気持ちをいただくと、とても励みになります。ここにあるサボキュー(写真右上)も、そんな学生さんからいただいたものです。手作りなんですよ、これ(笑)。

一方で、難しいこともたくさんあると思いますが、いかがですか?

いろいろありますね。何事もそうだと思いますが、やはり留学も、目標無しではつらいものです。ごく一部ですが、せっかくはるばるやって来たのに、生活面や金銭面で非常にルーズになったりする場合があります。留学するだけでは、結局何の解決にもなりませんよね。これは私自身にもあてはまることですが、自分のやりたいことをやれるようになるには、それを一生懸命自分で探して、自信をつけていくことが必要だと思います。そして、それをお手伝いするために私たちがいるわけですから、助けが必要ならすぐに相談してほしいと思います。私たちはそのような体勢を常時整えられるよう努力していますから。

美希さんは非常に楽しそうに仕事をされていますが、このお仕事はぴったりではないですか?

そうですね。今は仕事が生きがいです。いろいろな国の人と出会えるということや何らかの形で誰かのお役にたてることが嬉しくてしかたありません。これからも、バイリンガルであることを生かして、もっと人の助けになるようなことをしていきたいと思います。

掲載:1999年12月



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