美しい自然と穏やかな気候の街
海・湖・山に囲まれたワシントン州最大の都市、シアトル。北海道よりも北の南樺太と同じ緯度に位置しながら、近海を流れる暖流のおかげで雪が降るのは珍しく、夏は基本的に過ごしやすい、穏やかな気候に恵まれています。
先住民が住んでいた土地に作られた街
一般的にネイティブ・アメリカンと呼ばれる先住民がこの近辺に移住してきたのは数千年前。現在の市や町や地域、川などには、彼らがつけた名称に近い発音になるように英語のアルファベットをあてはめたものがそのまま使われていることから、あちこちに先住民が住んでいたことがわかります。
「Seattle」という名前も、白人が入植した当時にこの地域一体を統治していたスコ-ミッシュ族とデュワ-ミッシュ族の酋長の名前 “si?al’s”(1780?-1866)に近い発音になるよう英語のアルファベットを当てはめたもの。その Chief Seattle(酋長シアトル)の銅像は、シアトルのパイオニア・スクエアやベルタウンなどにもあります。シアトルの歴史について詳しくは「シアトルの歴史 ネイティブ・アメリカンから21世紀まで」をご覧下さい。
多様な産業や世界企業が集中する街
数千年前から先住民が暮らしてきたこの地に、初めて白人が入植したのは1850年代のこと。その後、1890年代に起きたアラスカやカナダのゴールドラッシュで、街が急速に発展しました。1970年代に起きたボーイング社の不況以後、産業の多様化に成功し、シアトル地域はマイクロソフトやアマゾン・ドット・コムなどに代表される IT 企業、シアトルをコーヒーの街として一躍有名にしたスターバックス、日本にも進出しているコストコ、高級デパートのノードストロム、アラスカ航空、アウトドア専門店の REI や アウトドア・リサーチ、オンライン旅行サイトのエクスペディア、宇宙企業ブルー・オリジンなど、世界的に有名な大企業が本社や工場を構えるようになりました。
また、Google や Facebook、Apple など、カリフォルニア州に本社のある IT 企業がシアトル市内近郊にエンジニアリング・センターを設置しています。スモールビジネスやスタートアップも多く、幼児教育から総合州立大学のワシントン大学をはじめとする教育機関のチョイスも豊富。教育機関・企業・団体の連携も盛んです。
日本からの移民と日系アメリカ人の歴史のある街
1834年に音吉・岩吉・久吉という船乗りが遠州灘で遭難後、ワシントン州西岸アラバ岬に漂着したのが、日本人が初めてこの地域を訪れた記録になります。現在の愛知県美浜町に生まれた音吉については、美浜町の公式サイトでご覧ください。
日本からの最初の移民が米国北西部に入植したのは1880年代。鉄道や炭鉱などでたくさんの日本人が働き、1884年にグレート・ノーザン・レイルウェイというミネソタ州セントポールとシアトルを結ぶ鉄道の完成にも貢献しました(現 BNSF 鉄道)。1896年8月にグレート・ノーザン・レイルウェイと提携した日本郵船の 『三池丸』 がシアトル航路の最初の船としてシアトル港に入港し、シアトルはアジアとの貿易の中継地点としても発展していきます。
その頃にはシアトル沖のベインブリッジ・アイランドやシアトル市内近郊に日本人・日系アメリカ人が住むコミュニティができていきます。シアトル在住の建築家・松原博さんによると、今のインターナショナル・ディストリクトにできた『日本町』は、1930年代の全盛期には商店、食堂、ホテル、学校、劇場、銭湯、コミュニティ・ホール等がひしめき、人口8,500人からなる活気のある街だったそうです。日本郵船の公式サイトによると、1930年に『氷川丸』が竣工し、北米航路シアトル線で11年3ヶ月にもわたって活躍しました。
1909年にはアラスカ・ユーコン太平洋博覧会がワシントン大学の建設予定地を会場にして開催され、渋沢栄一が団長を務めた日本の実業団も参加しました。
しかし、日本人に対する差別がなかったわけではありません。1907年にオープンしたパイク・プレース・マーケットでは日本人農家が不便なロケーションでの販売を強制されたり、ワシントン州議会で日本人による土地の所有を阻むことが目的と見られる「外国人による土地所有を禁止する法律が制定されたりするなど、戦前から反日感情はありました。そして、1941年12月に旧日本軍がハワイの真珠湾を攻撃したことで、非常事態を迎えます。
真珠湾攻撃の翌日、米国議会はルーズベルト大統領の要請により、米国と日本が開戦したことを発表。1942年2月19日にルーズベルト大統領は大統領令9066号に署名して米国西海岸を郡の管轄地域に置き、日本人と日本人を祖先に持つ住民約12万人が何の補償もないまま自宅を追われ、厳しい環境の砂漠地帯などに建てられた間に合わせの収容所に強制収容されました。そのうち約4万人は日本から移民した日本人(一世)、約8万人は米国生まれの米国人(二世や三世)です。1945年1月に強制収容の終了が宣言されましたが、さまざまな出来事があり、全員が元の住まいに戻って戦前と同じ生活を始めることができたわけではありません。
戦後、日系人の強制立ち退きと収容は不当であったとアメリカ政府に認めさせ賠償を求める運動が始まりました。そして、多くの人々の努力により、1988年、レーガン大統領は市民自由法に署名し、アメリカ政府は公式に日系人に謝罪し、収容所の存命者全員に2万ドルを支払うことを承認しました。戦後、二度と同じ過ちを繰り返してはならないと語り継ぐ活動が続けられており、強制収容所跡地が史跡に指定されているところもあります。日系人の強制立ち退きが最初に行われたシアトル沖のベインブリッジ・アイランドには、この歴史を伝えるアメリカ合衆国国立史跡が設置されています。この島の日系人は1942年3月20日に島のフェリードックに集められ、カリフォルニア州のマンザナー強制収容所を経てアイダホ州ミニドカ強制収容所に送られました。
シアトルのインターナショナル・ディストリクトにあるパナマ・ホテルは、強制収容に送られる日系人が荷物や家財道具を託したところで、2015年にアメリカ政府より国宝に指定されました。シアトルで日系アメリカ人の歴史を訪ねる「日系アメリカ人 ゆかりの地ガイド」もぜひご覧ください。
シアトルが初めて姉妹都市提携を結んだのは兵庫県神戸市(1957年)。シアトル市内近郊には日本語で運営されている日本語教育機関も多く、日本がワシントン州にとって第3位(2014年)の輸出相手国であることから、日本企業が進出し、日米協会・日本商工会・神戸市事務所・兵庫県事務所などの日本関連の政府事務所・団体・グループがあります。
シアトル日本庭園やクボタ・ガーデン、日本の美術品を多数所蔵するシアトル美術館やシアトル・アジア美術館も、市民に親しまれています。シアトル・アジア美術館の前には日系アメリカ人彫刻家イサム・ノグチの作品 『Black Sun(黒い太陽)』 があり、市内近郊各地で日本文化に関連したさまざまな催しが年間を通じて開催されています。
食材が豊かな街
農業が主要産業の一つに挙げられるワシントン州は、年間を通じて新鮮な海産物や農産物が手に入る、恵まれた場所です。リンゴ、チェリー、ラズベリー、ホップ、梨などの生産では全米1位。ワインの生産は全米2位を誇ります。
ダウンタウンのそばにあるパイク・プレース・マーケットは、2007年に100周年を迎えた公共市場。市民にも観光客にも人気のスポットです。また、シアトル市内各地では産地直送の食材を農家から購入できるファーマーズ・マーケットが多数開催されており、多数の市民が買い物に訪れています。海のそばに位置していることから海産物も豊富。特に周辺の海域でとれるウニや牡蠣などは有名です。2000年代半ばからはローカル産のオーガニック(有機栽培)にこだわる流れが生まれ、レストランではさまざまな地元の食材が使われ、店ではローカル産のオーガニック食材が手軽に購入できるようになっています。
移民の多い地域なので、本場の料理がいろいろ楽しめるのもシアトルのよさのひとつ。日本食も浸透しており、寿司、天ぷら、しゃぶしゃぶ、ラーメン、居酒屋、うどん、懐石など、さまざまな料理が味わえます。
芸術が豊かな街
シアトル市内には、たくさんの劇場やギャラリー、コンサート・ホールがあり、年中を通じてさまざまな催しが開催されています。主なものではシアトル・シンフォニー、シアトル・オペラ、パシフィック・ノースウェスト・バレエ、シアトル・チルドレンズ・シアターなどがあります。ポップ・ミュージックやジャズ、ロック、ブルースなどはジャズ・アレーやムーア・シアターなどが代表的。全米ツアーはパラマウント・シアターやフィフス・アベニュー・シアター、クライメット・プレッジ・アリーナ(旧キーアリーナ)などが会場になります。夏にはウォーターフロントや公園、ワイナリーやブルワリーなどの広場、そして屋外劇場で、たくさんの野外コンサートが楽しめます。
また、街のあちこちにパブリックアートがあります。シアトル美術館やシアトル・アジア美術館に代表される美術館、シアトル歴史産業博物館、航空博物館、コンピュータ博物館など、展示内容も規模もさまざまな美術館や博物館が点在しています。
スポーツ観戦が盛んな街
シアトル市には、日本人に最もなじみがある野球(MLB)のシアトル・マリナーズ、そしてアメリカン・フットボール(NFL)のシアトル・シーホークス、サッカー(MLS)のシアトル・サウンダース、女子サッカー(NWSL)の OL レイン、女子バスケットボール(WNBA)のシアトル・ストーム、アイスホッケー(NHL)のシアトル・クラーケンというプロのチームがあります。
基本データ
シアトル市の基本データ | |
設立 | 1869年 |
市長 | Bruce Harrell(ブルース・ハレル) 第57代市長(2021年1月1日~) |
愛称 | Emerald City(エメラルド・シティ) |
位置 | ワシントン州内最大の都市 カナダ国境より113マイル(182キロ) 緯度47-39度、西経122-17度 ※緯度は南樺太とほぼ同じ |
面積 | 84平方マイル(217平方キロ) |
人口 | 779,200人 ※2021年4月1日 ワシントン州財務管理局 ※アメリカは市の範囲が狭いため、実質的な人口はひとつの経済圏である大都市統計地域(MSA)で考えるとしっくり来ます。シアトル大都市圏には、ワシントン州の半分以上の人口が住んでいます。 ※ワシントン州の人口7,951,150人(2023年4月1日 州財務管理局) |
人種 | 白人のみ 67.3% 黒人 7.3% 先住民 0.5% アジア人のみ 15.4% ハワイ・太平洋諸島のみ 0.3% 2つ以上の人種 6.9% ヒスパニック/ラテン系 6.7% |
Fortune 500企業 | Amazon、Costco Wholesale、Microsoft、Starbucks、Paccar、Nordstrom、Expegia Group、Alaska Air Group、Expeditors International of Washington、Fortive、Weyerhaeuser |
主な研究施設 | Fred Hutchinson Cancer Research Center、Battelle Memorial Institute、Washington Technology、University of Washington 他 |
主な新聞 | 日刊紙: The Seattle Times ビジネス紙: Puget Sound Business Journal 日系新聞: North American Post |
主な雑誌 | Seattle Magazine、Seattle Met、425 Magazine、Art Access |
主なテレビ局 | KOMO(ABC 系列)コモ KING(NBC 系列)キング KIRO(CBS 系列)カイロ KCTS ケーシーティーエス Q13(Fox 系列)キューサーティーン |
主なラジオ局 | AM 710: Kiro (ニュース/トーク) AM1000: Komo (ニュース) FM90.3: KEXP(音楽全般) FM94.1: KMPS (カントリー) FM94.9: KUOW/NPR (ニュース・トーク) FM96.5: Pop-Rock (ポップ・ロック) FM98.1: King (クラシック) FM99.9: KISW (ロック) FM101.5: KPLZ (ロック) FM102.5: KZOK (ロック) FM106.1: KISS(ポップ) |
教育 | 25歳以上で高校卒業以上の学歴保持者 94.8% 25歳以上で学士号以上の学歴保持者 64% (2021年米国国勢調査) |
コンピュータのある世帯 | 95.1%(2015-2019年) (2021年米国国勢調査) |
高速ネット接続のある世帯 | 90.4%(2015-2019年) (2021年米国国勢調査) |
世帯年収の中央値 | 一世帯 $92,263(2015-2019年) (2021年米国国勢調査) |
一世帯戸建て住宅中央価格 | $1,614(2015-2019年) (2021年米国国勢調査) |
家賃中央価格(月額) | $1,614(2015-2019年) (2021年米国国勢調査) |
売上税 | 10.25% |
ホテル税 | 15.7% |
シアトルにゆかりのある著名人 | ビル・ゲイツ(マイクロソフト社共同創業者)、ポール・アレン(マイクロソフト社共同創業者)、ブレンダン・フレイザー(俳優)、ブルース・リー(格闘技家)、トム・フォーリー(前駐日大使)、フレッド・カップルズ(ゴルファー) |
シアトルにゆかりのあるミュージシャン | ジミ・ヘンドリックス(ギタリスト)、カート・コヴァーン(ニルヴァーナのボーカル)、ケニー・G(サックス奏者)、クリス・コーネル(サウンドガーデン)、アリス・イン・チェーンズ(バンド)、パール・ジャム(バンド)、フー・ファイターズ(バンド)、デス・キャブ・フォー・キューティー(バンド)、ハート(バンド)、ベンチャーズ(バンド) |