第33回:子供2人連れ、飛行機の旅
2歳半の長女と8ヶ月の次女と私は今、日本に滞在中である。実家が神戸なので、シアトル−サンフランシスコ−関空というルートで帰国した。往復とも私1人と子供2人の旅なので、機内での次女のうんち漏れや、それによる私の服の汚れ、長女のオムツ替え、トイレにどうやって3人で行くか(長女は絶対に私から離れて1人で座席に座ることはない)、次女を抱っこしながらどのように長女と私が食事をするか・・・などなど、不安を数え上げるとキリが無いほど緊張していた。特に心配だったのが、サンフランシスコでの乗り換え時間が1時間弱しかないこと。子供2人を連れてシャトルバスでターミナル間を移動することを考えると、間に合うかどうかが不安であった。そして、その不安が的中することに・・・。
■シアトル − サンフランシスコ
シアトルで飛行機に乗り込んだ後、なかなか離陸しない。「乗り換え便には間に合うように着く」というアナウンスがあり安心していたが、それでも刻々と時間が過ぎる。何やらサンフランシスコ上空の気象がよろしくないとのことで、予定時刻から45分ほどたってやっと離陸したものの、とても次の便に間に合いそうにない。そうこうしていると、次女のオムツが何やら臭い始めた。当然のように機内のトイレにオムツを替えに行くと、オムツ交換台がない。アテンダントに尋ねると、「毛布があればここ(トイレの前の、少し広くなっている場所)で替えてもいいわよ」とそっけなく言われたので、トイレの前の足元でオムツ替えを決行。トイレの前の地べたなんて、考えただけでも気持ち悪い上、トイレに行く人が並び始めており、なんとも肩身の狭い思いをした。
■サンフランシスコ空港
結局、シアトルからの便が1時間遅れ、サンフランシスコに着陸した頃、関空行きの便は私たちを乗せずに予定どおり離陸してしまった。代わりに成田経由伊丹行きの便が手配されていたため、関空ではなく伊丹に着くことを、私の甥っ子を連れて飛行機見学も兼ね、張り切って3時間も前に関空に着く予定の両親に予定変更を知らせなければならない。出発までほとんど時間がなかったため、次女をスリングに入れ、ぐずって泣き叫ぶ長女の手を引き、荷物を乗せたストローラーを押しながらターミナルを移動しながら夫に電話し、英語があまり分からない私の親に、「Change, 7:10pm tonight, Itami」というのを強調して伝えるようお願いした。
■サンフランシスコ − 成田
こうしてなんとか日本に向け飛び立った。飛行時間は10時間半。機内では持ち込んだコンピュータでDVDを見せたり、ビデオカメラで今まで撮影したテープを見せたり、熊のぬいぐるみの着せ替えやステッカー・ブックなどで、長女の方は何とか乗り切った。次女は、利用した航空会社が貸し出すバシネットにはもう大きすぎる月齢のため、ずっと私の膝の上に座っていたので少し疲れたが、何とかこれも乗り切る。
■成田空港
次の不安は、これまた成田での乗り換え時間が1時間強しかないこと。しかも、どうやら成田で入管と税関を通過し、スーツケースもいったんピックアップする必要があるらしい(サンフランシスコで搭乗前にそういった細かいことを聞く時間が全く無かった)。ターミナル間のバス移動を考慮すると1時間ではとても無理。さらに、成田着陸寸前に長女がタイミングよくうんちをしてくれたたから、まさに泣きっ面に蜂状態。「えー!?うんちしたの?」と、ちょっと迷惑そうな態度をとってしまったが反省し、娘に謝った。そして、着陸後、周囲の人の鼻(普通は目だけれど、この場合は臭いなので鼻)を気にしつつ待つこと約30分。やっとゲートにつながったが、1人でダッシュしたとしてもほとんど不可能な時間になっていた。飛行機から降りると、今度は次女が泣き叫び始めたが、まだ間に合うかもしれないといちるの望みをかけ、授乳やオムツ替えも後回しにしてストローラーに押し込め、「うんち、替えて〜!」と叫ぶ長女をひっぱって入管までの長い長い回廊をひたすら小走りした。だが、限界に来たので途中で諦め、とりあえずオムツを替えることに。この間に、航空会社が用意した成田経由伊丹行きの便は離陸してしまった。
入管を超え、スーツケースも見つけた時点でやっと公衆電話を発見。しかし、小銭がない!小銭を作れそうな売店もない。かばんの奥底から見つけた1000円札で買える新タイプのテレフォンカードを購入し、使い方も分からないまま何とか父親の携帯につなぐことができた。何とか夫の言葉を理解したようで、現在伊丹で待っているとのこと(後で聞くと、父親は "seventeen"、母親は "seven ten" と聞こえ、調べると17時着と7時10分着のどちらの便もあったので、どちらか分からなかったらしい)。とりあえず、航空会社のカウンターまで行き、次の予定が分かったら再度電話すると伝えて電話を切った。
税関を抜け出口を出ると、長旅を終えてホッとした人たちが、出迎えの人にどんどん迎えられていく。この時の悲しさといったら。機内で2時間しか寝なかった長女と泣き叫ぶ次女の乗るストローラーとスーツケースをひっぱり、なんとかシャトルバスに乗り込んで第2ターミナルへ移動し、利用航空会社と提携している日本の航空会社のカウンターにたどり着いた。そこには乗り遅れた私たちの名前が届いていた。それなら、どうしてゲートで航空会社の社員が待っていなかったのか。サンフランシスコ−成田間と成田−大阪間の国内便が別の航空会社だから?しかし、その国内便を手配したのはサンフランシスコ−成田間と同じ米系航空会社で、この便は両航空会社のコードシェア便でもあり、両会社は提携している。その辺の連絡関係はどうなっているのかなど、その時は考える余裕もなかった。とりあえず、今から間に合う羽田−関空間の便の予約を入れてもらうと羽田までのバスの無料クーポンを発行してもらい、バス停まで航空会社の社員が荷物を運ぶのを手伝ってくれた。父親に、再び伊丹から関空に向かうよう指示する電話をかけたかったが、バスが来るのでその時間がない。困り果ててバス停まで手伝ってくれた航空会社の社員に電話をお願いしてみたが、あっさり「それはできません」と断られた。おそらくそのような決まりになっているのだろうが、その融通の利かなさに呆れてしまった。
成田空港の航空会社のカウンターからバス停までの移動以外、ここまでの移動は空港職員や航空会社の社員も含め誰にも手伝ってもらえず、ほとんど1人で荷物と子供を移動した。しかし、通りがかりに親切にしていただいた方が1人いた。トイレで長女のオムツを替える時、泣き叫ぶ次女を乗せたストローラーがトイレの中に入らなくて困っていると、中年の女性が「1人なのね。見ててあげるわよ」と言ってドアの向こう側で泣き叫ぶ次女の相手をしていてくれたのでとても助かった。サンフランシスコと成田共、空港職員や航空会社の社員は、親切そうではあっても自分の持ち場のことをマニュアル通りにやるだけで、渦中にいる私の気持ちを少しでも理解した上でのサービスをしてくれることはなかったというのが正直な感想だ。もちろん、特別扱いを受けるのが当然だと思っているわけではないし、1人で2人の子供を連れて行くことを決めた以上、誰の助けもなしに行くことができるような態勢で望むのは当然だと思っているし、実際それができたわけだが、少なくとも成田空港で、傍目に見てかなり大変な状態の私に対する空港の職員や航空会社の社員の対応に少しがっかりしてしまった。
1時間半のバス移動を終え、気持ち良く寝てしまった長女を揺り起こし(もちろん無理やり起こされたのでまた泣き叫ぶ)、再び荷物と子供を引きずってやっとチェックイン。その後、急いで父親に電話し、関空に移動するよう頼んだ。
■羽田空港
羽田でチェックイン後に受けたサービスはすばらしかった。例えば、ゲートでは係員が子供連れの私を見つけてやって来ると、ストローラーを搭乗口で預ける手続きも全てやってくれた(アメリカ国内の空港では、もちろん自分から申し出なければストローラーを預けることはできない)。搭乗は優先させてもらえたし、長旅の後でひどくぐずっていた長女には、おもちゃやジュースなどを頼まずともどんどん持ってきてくれ、その気遣いがとても嬉しかった。また、驚いたのは、アメリカの空港でセキュリティを通る時は、子供をいったんストローラーや抱っこ紐から出してストローラーをたたまなければならないが、羽田では子供を乗せたままチェックしてくれた。また、靴を脱ぐとスリッパが出てきたのにもびっくりした。辛い旅の最後で暖かいサービスを受け、やっと「ホッ」とした気分になることができた。
このように、ちょっときつい旅になってしまったが、たった2歳半でがんばって私についてきた娘のことを思うと心が痛む。でも、最初から大変になることは覚悟していたし、それが分かっていても、絶対に日本に連れて来て、祖父母と触れ合って欲しかった。だから、できるだけ早く時差ぼけを解消して、祖父母とたっぷり楽しい時間を過ごし、良い刺激をたくさん受けて帰りたいと思っている。
(2005年11月) |