第3回
: ついにその日が来た
お産は一人一人違うが、私の場合はこんな感じだった。
予定日が数週間後に迫っていたにもかかわらず、陣痛の兆候が全く見られなかった。予定日を私の1週間後に控えている友人には前駆陣痛(Braxton-Hicks
Contractions:本物の陣痛ではなく、妊娠中期ごろから起こる子宮の収縮で、出産が近づくと頻繁に起こるようになる)が頻繁に起こり始め、出産が近づくと出てくる腰痛もひどくなっているという。私は毎日元気に動き回り、赤ちゃんが生まれる前の自由な時間を思い切り楽しんでいたが、さすがに予定日を過ぎると、赤ちゃんにも早く会いたいし、マタニティを着るのにもうんざりといった気分になってきていた。
出産の準備は既に完了していた。陣痛が始まってから病院に行くまでの間に何時間もあるので、子どものバースデーケーキを焼こうと材料を揃え、長い陣痛の間病院で食べられるようおにぎりやクッキーを焼く前の段階まで作って冷凍。陣痛の痛み逃しのためテニスボールや使い捨てカイロ、Focul
Point(陣痛の時に気分をそらすために見るきれいな写真など)も入院用バッグの中に入れた。
予定日を2日過ぎた日、体を動かしてなんとか出産を早めようと、家中を大掃除し、助産婦の先生から薦められた月見草オイルのタブレットも呑んでみた。この月見草には子宮頚管を出産に向けて成熟させるホルモンを出す助けをする作用があるそうで、それが効を奏してか、その日の夜9時半頃に下腹部が下に押されるような圧迫感を数回感じた。しかし、陣痛は子宮全体が痛くなるというイメージだったことから、陣痛かどうかは半信半疑だった。それでも冗談半分で夫に、「下腹部が押される感じがするし、もしかして今晩生まれたりしてね」と言うと、「I'm
going to be a father tonight!」と言って飛び上がっていた。「いや、初産だしそんな急に生まれることはないんだけどね…」と言っていたのだが…
下腹部の圧迫感は定期的に来た。まさかと思いつつ時間を測ってみると、ほぼ正確に5分おきに来ているではないか。陣痛は普通15〜20分おきから徐々に間隔が狭まっていくというが、まさか最初から5分おきということはないだろうし、前駆陣痛か何かだろうと思った。しかし、痛みがだんだん強くなってきた。午後10時50分ごろ実家の母親から電話が。
母:「まだ?」
私:「うん、でもなんかさっきからお腹の下の方が押される感じが定期的に来るから念のために先生にこれから電話しようかなと思ってる」
母:「あらそう、じゃあいよいよ始まったのかなあ。遅れたらあかんから早く電話しなさい」
私:「うん」
そういって電話を切ると、すぐに先生に電話をかけた。下腹部が押される感じということを説明すると、その痛みがお腹全体になってくるまでお風呂などに入って待ちましょうということになった。
夫のウォータープルーフの腕時計を借りてお風呂の中で陣痛表に陣痛の間隔を記入し、しばらくしてベッドに入ったが、陣痛の間隔はほとんど3分間隔になり、痛みも顔が大きくゆがむほど強くなってきた。しばらくしてトイレに行くと、出血しているではないか。「きゃー!先生に電話して〜!」
夫が先生に電話をしたが、まだ5分間隔だと思っていたので、夫は先生に5分間隔だと伝えていたようだ。3分間隔になったらもう一度電話することになり、とりあえずもう少し様子を見たが、痛みは激しくなるばかりで、子宮全体に痛みが上がってきているかどうかなんてもうよく分からない。とにかくすぐに病院に行きたいと思ったので、もう一度先生に電話してもらい、病院に行くことになった。ああ、ついに病院行きだ!
あわてて着替え、痛みの合間に病院行きの準備をした。痛みで少々頭が朦朧としたままカークランドのEvergreen
Hospitalに向かう。車で10分程の道程、既に陣痛が強くなったときの呼吸法(陣痛が弱いうちのゆっくりした呼吸法ではなく、ハッハッといった速いもの)でなんとか痛みを乗り切った。
午後11時50分病院に到着。すぐに入院用の部屋に案内され、看護婦さんに手伝ってもらって病院のガウンに着替えた。朦朧とした意識の中で、助産婦の先生が内診をして子宮口の開き具合を見て「Complete」と言っているのが聞こえた。つまり、10cmの全開大ということで、子宮頚管が完全に薄く短くなって赤ちゃんが通るための準備が完了しているということである。たいていは4cm以上開いたころ入院し、全開大になるまで長い間陣痛で苦しむもの。思わず「うそでしょ?」寝袋を用意しての長い夜を覚悟していた夫も拍子抜けしたようだ。
そうこうしているうちにもいやおうなしに陣痛の波は押し寄せてくる。そして、ある陣痛の途中で初めて、赤ちゃんがはじけ出てくるような感覚があり、赤ちゃんが出てこようとしているのが直感的に分かった。それがおそらく2、3回ほどあり、赤ちゃんの頭が見えたという声が聞こえてきた。頭を触らせてもらった。感動というより、とにかく早く出てきてこの痛みから開放してほしいという気持ちの方が強かった。それから数回の陣痛で頭が飛び出した。その後はするりと体が出てきた。明けて翌日の午前1時33分、病院到着からたったの1時間43分後のこと。
「はあ〜・・・」
とにかくこれで痛みから開放されるかと思うとホッとした。子どもが五体満足かどうかなんてことは考える余裕もなかった。すぐにお腹の上にうっすらピンク色の赤ちゃんが乗せられ、ウギャーという産声が聞こえた。疲れてボーッとしていたら、先生が「触っていいのよ」と言ってくださったので触ってみた。とりあえず触ってみたというのが感想で、それ以上の感慨というのはなかった。生まれたての女の子は私のお腹の上でウンチとおしっこをした。その後すぐに夫がへその緒を切るというので私がその姿をビデオカメラで撮影した。私が涙を流す気分でもなかったのに対し、夫はウルッときたみたいで鼻をすすっていた。その後すぐにベッドに横たわったまま実家に電話。
「お母さん、生まれたよ」
「え〜!もう?間に合って良かったなあ」
たった2時間半前に話したばかりだったのでびっくりしていた。車中での出産なんてことにならずに良かったとホッとしていた。
アメリカでは硬膜外麻酔(Epidural Anesthesia)を使用した無痛分娩が一般的だが、麻酔を使用せず希望していた自然分娩をすることができ、しかも出産直後に初の授乳をすることもでき大満足。実のところは急すぎて麻酔をする時間が無かったわけだが、麻酔という選択肢を考えることもなくかえって良かった(産んだ直後は正直なところ、次のお産は絶対に無痛分娩にしようと思ったが…)。陣痛中にクッキーを作ったり、ケーキを焼いたり、ジャグジーに入ったりと、計画していたことができなかったのはあまり気にならない。それよりも、さっさと短時間で終えることが出来て本当にラッキーだと思った。
TLCの「Baby Story」や「Maternity Ward」などアメリカのテレビで出てくる出産シーンではたいていみな無痛分娩のため、陣痛の途中、子宮口が4、5cm以上開いたところで硬膜外麻酔を打つ。そのため子宮口が全開大になっても陣痛の感覚があまりないので、陣痛監視モニターを見て看護婦が「One,
two, three…」などと掛け声をかけ、それにあわせていきむのが普通。そうやって一生懸命いきむというイメージと私のお産は随分と違った。どちらかというと自らいきむということは無く、子どもが勝手に出てきたというイメージに近い。
安産に向け準備してきたことと、幸運が重なり、とても満足のいくお産になった。今でも我が家のメンバーが増えたその瞬間のことを思い出してジーンとする。でも、お産の究極の目的は、母親が健康な上で、赤ちゃんが無事に生まれてくるということ。しかし、お産には予期せぬことも起こりえるわけだから、これからお産を迎える人は、「理想のお産」にとらわれることなく、できるだけの準備をした後は、柔軟な気持ちで望むのがよいと思う。どのようなお産になろうと「Precious
moment」であることに変わりはないのだから。 |