■ インティマン・シアターの舞台美術を日本人舞台美術家が担当
知的な内容の公演で高い評価を得ているシアトルのインティマン・シアターで8月から9月にかけて上演された 『The Year of Magical
Thinking』。それは、40年近く連れ添った作家・脚本家の夫を心臓発作で、その翌年に30代だった一人娘を病気で亡くした12ヶ月を振り返った有名脚本家、ジョーン・ディディオンによる同名書籍の舞台化だった。家族との思い出が詰まったマリブの家、夫が死んだダイニング・ルーム、ディディオンの仕事机、そしてリビング・ルームを配置した舞台を、ディディオン役のベテラン女優ジュディス・ロバーツが休憩なしの90分にわたる一人芝居で使い切ったが、その舞台美術を担当したのは、ニューヨーク在住の舞台美術家、幹子・鈴木・マックアダムスさんだった。
『The Year of Magical Thinking』
今月9日から同劇場で公演が始まるリンカーン大統領を題材にした 『Abe Lincoln in Illinois』 の舞台美術も担当している鈴木さんは、舞台初日までの約2週間にわたりシアトルに滞在している。ロバート・E・シャーウッドによる戯曲を舞台化したこの作品ついて演出家のシーラ・ダニエルズ氏は、「シャーウッドがこの作品を書いた大恐慌時代と、社会的激変と経済危機を迎えた今日には多くの共通点がある」と語り、鈴木さんも「とてもタイムリーな作品」と評価する。同劇場のステファニー・コーエン広報担当は、「この作品で我々は何らかの答えを提供するべきではなく、疑問を投げかける機会を観客に与えるべきだ。この作品が自分たちにとって何を意味するのか考え、ヒーローになるために欠かせないもの、そしてリンカーンがそうしたように、どのようにしたら自分たちの中にそれを見つけられるのか、観客が考えてくれることを願っている」と語った。その舞台の開幕が数日後に迫った日の午後、鈴木さんは、「このように、自分が今住んでいるアメリカを考えさせる作品に関わることができるのは、非常にラッキーですね」と笑顔を見せた。
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『Abe Lincoln in Illinois』
■ 舞台美術家の仕事
舞台美術家というと、どのような仕事を想像するだろうか。鈴木さんの言葉を借りれば、舞台美術は話が存在する空間を作るが、舞台はあくまでも演出家のスペースであり、舞台美術家は演出家が俳優と一緒に物語を作ることをサポートする仕事なのだという。作品ごとにプロセスは異なるがと前置きした上で、「基本的に、あくまでもリーダーは演出家。私はリーダーになる意欲はなく、"こんなの、どう?"
という感じで演出家と相談します。すれ違うことも多いですが、何が違うかを話しあい、"じゃあ、こうする?" "それいいかもね"
といった調子で決めていきます」と、楽しそうに説明してくれた。前述の一人芝居 『The Year of Magical Thinking』
の脚本を読んだ時は、「椅子が1個あればいいじゃないかと思った」そうだが、俳優の良し悪しに関わらず、誰かが1時間半から2時間もしゃべる舞台は、やはり目を楽しませないと集中力がもたない、すべてが1人の俳優にのしかかってしまうので俳優を助けるための場所が必要だ、と話し合ったという。「私は最後まで諦めません。異なる経歴を持った人間同士が作るものですから、違いを楽しめないとできない仕事でしょうね。だからこそ、自分だけではできないものができます。舞台は写真などで残せるとは言え、その時に経験しないと意味がないもの。評論家に見せるために作っているわけではないので、どなたにでも観に来ていただきたいです。」
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『Abe Lincoln in Illinois』
■ 中学生の頃に観た歌劇が原点
小学生の頃から国内外の劇団による舞台を観る機会が多く、宝塚の元スターが教えるバレエ教室に友人と通ったこともあったという鈴木さんだが、舞台の内容よりもむしろ、舞台上や舞台袖の仕組みに強く興味を持つようになった。そして、14歳の時に観たヨーロッパの劇団による
『セビリアの理髪師』 に衝撃を受け、舞台美術家を志すことを決心する。「ターンテーブルがまわってイタリアの町が現れ、時代がかった衣装を着た人が登場する舞台に、"これだ!これをやるんだ!"
と思いました。」 舞台美術家になるには絵が描けなければと考え、猛反対する両親を説得して兵庫県立明石高等学校美術科に入学するが、美術科は舞台美術とは異なることを知り愕然としたのは2年生になってからだった。悩んだ末、幼い頃のバレエ教師の紹介で兵庫県川西市文化会館大ホールの舞台美術を請け負っていた会社でアルバイトを始めたのが16歳の時。ただひたすら経験を積むことを求めていた鈴木さんにとって、民謡の発表会から市民オペラ、夏休みの映画上映など、多目的ホールという特殊な会場での舞台作りは、さまざまな技術を学ぶに絶好の場所となった。「照明からセット作り、塗装から映写機の操作まで、日本の裏方、特に多目的ホールの裏方は何でもできないといけないんですよ。きちんと働いている人の足手まといにならないようにしながら、働くということがどういうことかを学んだと思います。」
放課後や週末に片道2時間の道のりを通い続ける鈴木さんに、雇い主の社長は給料を支払い、金銭を得て働くことの責任も教えてくれた。しかし、そこでは技術屋にはなれても舞台美術家にはなれないと気づくには時間はかからなかった。
■ 関西、東京、そしてアメリカへ
「東京にはプロの舞台美術家もいる、展覧会も山のようにある、すばらしい人がたくさんいる。やはり東京に行かなくては」と考えるようになった鈴木さんは、両親の要望にも応えるべく大学を受験するが、失敗。東京での1年間の浪人生活の末、大阪芸術大学美術科に入学する。「せっかく入学した大学ですが、東京の大学ではなかったので、都落ちしたような気分でした。そして、大学に入学してから、"絵を描くことと舞台美術はやはり別物なんだ"
とようやくはっきりと認識したのです。やはりアメリカに行ってみようと考え始めました。」 父親の従弟がシアトルに住んでいたことや、祖父母がアメリカに移住していたことから、幼い頃からアメリカを身近に感じる理由はあった。ネットがそこまで一般に普及していなかった1990年代初期、本で調べてシアトル、シカゴ、ニューヨークという三大演劇都市を候補に選んだが、東京での経験から、最終的にシアトルを選んだ。「東京にいた時の私は大都市に対応できなかったんです。東京という町と、そこにいたすばらしい人たちに圧迫されました。夢は大きくても、絵も下手で勉強もできない、自分をそういうふうに見ていた浪人時代がとてもしんどかった。今度は落ち着いて自分の足元を固められるところに行くしかないと考えたら、シアトルが残ったのです。」
■ コーニッシュ芸術大学
しかし、舞台美術につながる演劇科のあるワシントン大学の語学学校に入学しても、今度は英語という新たな問題が立ちはだかり、大学に入学できない状態が1年半にわたり続く。知り合ったアーティストに勧められたコーニッシュ芸術大学が小規模ながら劇場もあり、大学生が創作の中心になれると知って入学を申請してみたが、英語力が不足しているとの理由でポートフォリオも見てもらえない。目的はあっても英語ができなければ次に進めないということに加え、アメリカでは大学院を出ないと仕事がない分野が多いということがわかってきたのもこの頃だ。しかし、1995年に阪神大震災で被災した家族が自分のサポートを続けてくれると知ってから、鈴木さんは意外な行動に出る。コーニッシュ芸術大学の学部長に電話で面談の約束を取り付け、直談判に及んだのだ。「私は英語はできない。でも、私には情熱と絵を描くスキルがある、と言いました。すると、翌日に入学が許可されたのです。」
自分よりも語学学校の友人たちが驚いたというこの展開はもちろん、ポートフォリオで実力を証明できたからこそだが、それからの4年間は、後に学ぶことになるイェール大学大学院よりも大変だったという。「最初は、英語で脚本を読むことにもつまづいていました。英語の脚本の読解、表現すべきものの把握、小道具リスト・図面・模型の作成、演劇史・アメリカ演劇界・現場の構造の理解など、基本的なことをクラスと現場を通して学びましたが、舞台美術家になるためにこれをやらないといけないんだ、これが最後のチャンスだと思うと、私にもできたんです。」
■ イェール大学大学院
そして、コーニッシュ芸術大学在学中に再び転機が訪れる。シアトルのバレエ団パシフィック・ノースウェスト・バレエの舞台の塗装班でインターンシップをした時のネットワークを通じ、同バレエ団の設立25周年にあたる1998年シーズンの最終公演
『Silver Lining』 の舞台美術を請け負っていたイェール大学大学院演劇科の学部長との面談が実現したのだ。「これまでいろいろな人からポートフォリオにアドバイスをいただきましたが、その方が最も建設的なアドバイスをしてくださり、私は
"この人だ、この人のところに学びに行きたい" と思いました。」 その学部長は1年後にイェール大学大学院を受験することを勧め、TOEFL
も GRE も除外すると約束しながらも、「英語を書くことは諦めてもいいが、読むことは諦めるな」とアドバイスしたという。それから1年後の1999年春に無事、イェール大学大学院に入学。コーニッシュ芸術大学で身につけたことを、より高いレベルでこなす3年間はあっという間に過ぎていった。
■ アシスタントから舞台美術家へ
卒業後は大学院の周辺で舞台美術家のアシスタントとして働き始めたが、舞台美術家が不在の時は仕事がなく、数ヶ月で行き詰ってしまう。そこで3度目の転機が訪れた。イェール大学で教鞭をとっていた世界的な舞台美術家マイケル・ヨーガン氏に電話をかけたところ、アシスタントの仕事をオファーされたのだ。「彼は非常にすばらしいデザイナー。相手のいいところをうまく引き出して、自分のデザインを良くしていける人。彼との仕事は今の私の仕事の半分ぐらいを占めていて、今年11月で8年目になります。」
その当時はオペラ界では活躍していながらもブロードウェイとはあまり縁がなかったヨーガン氏だが、2005年シーズンにインティマン・シアターでミュージカル
『The Light in the Piazza』 を手がけることになり、鈴木さんはそれがブロードウェイの新作ミュージカルとは知らないまま、図面をすべて担当。同作品でヨーガン氏はトニー賞を受賞し、その受賞スピーチでは鈴木さんに名指しでお礼を述べたという。それから同じプロデューサーと演出家で
『Awake and Sing』 『South Pacific』『Joe Turner's Come and Gone』 の3作品の図面をすべて手がけるが、ヨーガン氏は
『South Pacific』 でもトニー賞を受賞。トニー賞の最優秀ミュージカル作品にノミネートされると4〜5分のパフォーマンスを会場のラジオ・シティ・ミュージック・ホールで上演できるが、その美術を担当したのも鈴木さんだった。これら4作品の演出家がインティマン・シアターの芸術監督であったことなどから、鈴木さんは今シーズンにインティマン・シアターで2作品の舞台美術を手がけることになる。
■ ニューヨークを拠点に
2003年からニューヨークを拠点に仕事をするようになった鈴木さん。最初は大都市だからという理由で選ばなかったニューヨークへ引っ越したことについて、「ニューヨークに行くための準備がしっかりできてから行けたような気がします」と、微笑んだ。「東京での浪人時代に、自分がどういう人間か、どういう性格で、どういうところに行ったら小さくなって自由になれないかということを学びました。あの浪人生活がなかったら、そういう自分に気づかなかった。ですから、ニューヨークには自分のままでいられる状態になった時に行けたので、今は羽を広げて自分のやりたいことを存分にできています。」
これからもいい舞台に関わる機会が多ければ嬉しいと言う鈴木さんには、一つの夢がある。それは、家族の住む日本で仕事をすることだ。「とても臭いことを言うようですが、私の家族は私の舞台を観たことがないんです。母は一度アメリカに来て観たことがありますが、こちらの舞台は英語か他の言語のものしかない。ですから、いつか家族が観てわかる日本語の作品を一本だけでいいからやりたい。彼らが支え続けてくれたから今の私があるわけですから。それが私の今の夢です。」
取材当日はインティマン・シアターの舞台の床を濃い目の茶色に塗りなおした日で、一日かけてモップで床に色を塗った担当者に、鈴木さんは "Looks
great!" と声をかけた。その目の輝きは、今が本当に充実していることを感じさせた。
幹子・鈴木・マックアダムス 略歴
| 兵庫県神戸市生まれ。幼い頃から舞台美術に興味を持ち、兵庫県立明石高等学校美術科に入学。兵庫県川西市文化会館でアルバイトをしながら、舞台の裏方の技術と知識を身につけていく。大阪芸術大学在学中に、アメリカの大学で勉強しなおすため1993年夏に渡米。ワシントン大学付属英語学校を経てシアトルのコーニッシュ・カレッジオブ・ザ・アートを1999年春に卒業し、2002年にイェール大学大学院で美術学修士号(MFA)を取得。世界的デザイナーとして活躍し、『The
Light in the Piazza』 と 『South Pacific』 でトニー賞を受賞したマイケル・ヨーガン氏のアシスタントも2002年から務めると同時に、米国各地で舞台美術を担当している。2003年からニューヨーク在住。 |
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(掲載:2009年10月9日)
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