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「アメリカで No.1 の寿司シェフを目指す」寿司職人・中澤大祐さん

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中澤大祐さん 「アメリカで No.1 の寿司シェフを目指す」

ミシュラン三ツ星の寿司屋すきやばし次郎の経営者で世界最高の寿司職人とも言われる小野二郎さんの仕事ぶりと弟子たちとの関係を追ったドキュメンタリー 『Jiro Dreams of Sushi』 がシアトルで公開されたのは昨年3月。アメリカ人のデビッド・ゲルブ監督によるこの作品は全米で大好評を得、シアトルでも当初予定されていた公開期間が大幅に延長されたが、この作品に弟子の一人として出演していた中澤大祐さんがベルタウンの Shiro’s で寿司を握るようになって、もうすぐ1年がたとうとしている。

中澤さんが寿司職人を志したのは、中学時代からの親友が高校を中退して寿司屋に弟子入りしたのがきっかけ。「その友達がとても輝いて仕事をしているように見えたので、自分も寿司職人になって、将来一緒にやろうと決心しました。」 高校を卒業してから調理師専門学校で学び、埼玉県蕨市にある 『よし寿司』 に就職して「修行とは何か」ということを知るが、「サラリーマンも経験してみよう」と、IT 企業の営業職に転職する。しかし、想像以上に過酷な仕事であることを身をもって体験し、約1年後に退職。結婚を控えていたことから、築地市場でマグロを運搬する仕事で結婚資金を稼ぎ、3ヵ月後に挙式と新婚旅行を終えて帰宅したところで何気なしに手に取った体を使う仕事向けの就職情報誌で 『すきやばし次郎』 が職人を募集していることを知った。「よし寿司での修行時代に、二郎さんの著書は読んでいました。”こんな店があるのか、自分とはかけ離れた世界だけれど、いつかこんなところで働けたら” と頭の隅で考えていたので、募集広告を見た時は体が震えました。」 おそるおそる電話をして面接を受け、合格したのは23歳の時だった。

覚悟の上で始まった修行。最初に「今までの経験はゼロと考えて」と言われ、掃除から返事の仕方から何から何まできっちりと教えこまれた。「名前を呼んでもらえたのは就職してから2年後だったと思います。そして、『Jiro Dreams of Sushi』 でもお話しましたが、何年後かに “職人さん” と呼ばれた時はもう嬉しくて。その日は一日中ハッピーでした。」 そんな厳しい修行を通して学んだことは、「人として何が大事なのか」ということ。「要は社会人として大事なことです。そして、我慢するということと、義理人情。これに尽きます。たまに失敗することはありますが、物事の順序は間違わないようにしています。もうそれが自分の一部となり、それをやらないと自分じゃないような気もします。」

そして、『すきやばし次郎』 に勤めるようになってから11年が過ぎた2011年、「そろそろ独立を」と考えていた矢先に東日本大震災が発生。その後の日本政府の対応に失望し、また、30~40年先の日本は市場として厳しいのではと考えるようになっていたことから、外に目を向けた。その第一歩として寿司職人を日本国外に送り出すエージェントに登録したところ、「シアトルの寿司屋で一番有名なところが職人を募集している」との知らせが入る。「”それは(加柴)司郎さんのところですか?” と聞きました。『すきやばし次郎』 の二郎さんと 『Shiro’s』 の司郎さんは昔、京橋の 『与志乃』 で一緒に働いていたことがあり、司郎さんは日本に来られるたびに 『すきやばし次郎』 に来てくださっていたので、次に来られたらアメリカで働くことについて相談してみたいと思っていました。」 そんなふうに浮上した米国移住の可能性について夫婦で話し合った際、「アメリカならもっと家族の時間が持てる」というのが大切な説得材料になった。中澤さんには4人の子供がいるが、それまでは休日返上も当たり前という勤務体制だったため親子で過ごす時間が確保できるというのは家族全員にとって大きな魅力となったのである。

そして、交渉や手続きを終えて渡米したのは昨年4月。Shiro’s で初めて寿司を握った日について、お客さんが楽しんでいることに気づいたと振り返る。「『すきやばし次郎』 の場合は、お客さんを楽しませるというより、お客さんに寿司を食べてもらう、つまり “俺の寿司はどうだ” という感じで、お客さんがくつろいで食べるとか、楽しんで食べるといった感じではなかったと思います。でも、当店では、お客さんにどうやって楽しんでもらうかが先。また、ここでは寿司について教えることが大切なのだと知りました。司郎さんとお客さんとのやり取りも面白く、勉強になることが多いです。」 今は笑顔でお客さんとやり取りをする中澤さんも、最初の3ヶ月は英語に苦労した。「お客さんの顔を見ることもできませんでしたよ。でも、コミュニティ・カレッジの英語のクラスを取り、”なんとかなるな” と思うと、急に自信がつきました。」 オーナーシェフの加柴司郎さんが昨年著書を出版したことも重なって、開店前からできる行列が、時には店の周りをぐるりと囲み、その大部分が寿司カウンターを希望する。記念写真の撮影を求められることも1週間に何度かあり、「噂を聞いて来た」と州外から来る人もいれば、「『Jiro Dreams of Sushi』 を観ていたら寿司が食べたくなって」と言て来る近所の人もいる。想像以上の反響に驚かされる日々だという。

今後の目標を伺ってみると、「シアトルには豊富な食材がありますね。ウィッビー・アイランドの本ミル貝やトリガイなど、今は流通していないけれど良いものを発掘できるようにしていきたいです」という答えが返ってきたが、その後、笑いながら、「いろいろなところで言っているのですが、アメリカで No.1 の寿司シェフになるために来ました」と付け加えた。「言わなくては、なることはない。このように言うことで、自分にプレッシャーをかけています。それを目指してがんばります。」

掲載: 2013年1月31日



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