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iLEAP x JUNGLECITY.COM 「私が25歳だったころ」<br>北村太一さん(鮨割烹 『田むら』 オーナーシェフ)

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北村太一さん(きたむら たいち)/京都出身。高校3年生だった1991年に渡米。翌年の秋にエベレット・コミュニティ・カレッジに入学。その初日のドイツ語のクラスで日本人女性に日本食レストランのアルバイトを勧められたのがきっかけで、料理の道に進むことに。2001年にレストラン 『Chiso(馳走)』 を開店。2010年に現在のレストラン 『鮨割烹 田むら』 を開店。特集「シアトルで活躍!日本人シェフ」もご覧ください。

自分の店を持つという夢を実現するため、着々と準備を進めていた25歳の北村さん。その前にいろいろな店を体験しておこうと、慣れ親しんだ店から別の店に移り、自分流の接客スタイルを確立し始めた。

25歳というと、すでに日本食レストランで働いていて、労働許可が取れた年なんですね。この許可が出るまでは、ベルタウンにある 『Shiro’s (しろう寿司)』 で働いていたんですけども、将来日本食レストランを自分で経営するということで、他のお店で働くのも経験しておいたほうがいいと思い、『I Love Sushi Lake Union』 に移りました。非常に忙しいお店で、今は自分のお店を持っていらっしゃるようなオールスター・シェフの方たちと毎日横にずらっと並んで仕事してたんですね。みなさんスタイルが違ったので非常に勉強になりました。サービスやお客さんとのコミュニケーションの仕方に関するガイドラインは全くなくて、よく言えば自由だったので、その時に僕のスタイルも確立されたというところもありますよね。

当時は仕事にも遊びにも全力投球。朝は9時半から仕込みを始め、ランチ営業・ディナー営業をこなし、23時に仕事を終えると、最終フェリーでオリンピック半島に渡り、釣りをして帰ってくるという日もあった。

遊びの方の趣味は釣りなんで、仕事が22、23時に終わってから車を飛ばして、最終フェリーに乗ってオリンピック半島まで行ってましたね。そこからまた3時間くらい運転して朝の4時くらいまで2時間くらい寝た後、川を下りながら一日中釣りをして、その後直行で帰ってきてその日の晩仕事をする。今なら居眠り運転してしまうかもしれません(笑)。やっぱり25歳というのは体力もあるんで、そういうこともやって、仕事も一生懸命して、遊びの方も一生懸命やってましたね。

1日の流れは、9時半に出勤して仕込みをして、11時開店でランチとディナーをこなして22時閉店、23時帰宅。当時ベルタウンの小さいコンドミアムに住んでたんですけど、プールがついてました。昔は水泳選手だったので、寝る前に毎日軽く泳いで寝てましたね。休みの日は釣りに行かなかったら、家事ですよね。洗濯とか(笑)。

今考えたら、ほんとに僕、仕事ばっかりしてたんですよね。当時ね、すっごくもてなかったんです(笑)。でもやっぱり、一日中いろんな人と仕事してお客さんを接待していると、休みの日の一人の時間はすごくうれしい。一人で、1時間でも2時間でもコーヒー1杯を飲む時間とかが必要になってきますよね。あと、そのころから当然、自分で店をやると考えてました。将来ビジネス・パートナーとなる方と、永住権が出たらすぐ店を出して動けるように計画を立てていました。

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