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音吉の漂流と世界の動き
 

米国北西部に漂着した音吉の数奇な運命
千石船で江戸に向かった音吉(おときち)一行が嵐に遭って14ヶ月にわたり漂流し、ペリー提督が黒船で浦賀に現れた1853年から19年も前の1834年に現在のオリンピック半島にあるケープ・フラタリー(フラタリー岬)に漂着したことは、音吉の故郷にあたる現愛知県知多郡美浜町ではよく知られており、三浦綾子が 『海嶺』、春名徹が 『にっぽん音吉漂流記』を出版している。

シアトル美術館東洋美術部長の白原さんによると、1819年に尾張国知多郡小野浦(現愛知県知多郡美浜町)で生まれた音吉は、わずか14歳だった1832年10月に宝順丸という千石船で13人の乗組員と共に江戸に向けて出航するが、途中で嵐に遭い、漂流を余儀なくされる。千石船は外洋向きではないため、まずマストが折れてしまい、方向を操ることができなくなるそうだ。14ヵ月後に漂着したところは、なんと現在の米国本土(アラスカを除く)の最北西端にあたるワシントン州はオリンピック半島のケープ・フラタリー(フラタリー岬)。当時もこの地に住んでいたネイティブ・アメリカンのマカー族に助けられたが、北米大陸で毛皮交易を行っていたイギリスの国策会社ハドソン・ベイ社(現在はカナダ最大の小売企業で、本社はオンタリオ州トロント)に引き取られ、フォート・バンクーバーへ移動させられる。と言うのも、ハドソン・ベイ社は当時盛んだった捕鯨の給油基地として日本が必要であると考え、紳士協定によって漂流民を返すことで、日本と友好的な関係を築こうと計画したのである。そのため、音吉らに英語を教え、教育を施したという。漂流民は重要な役割を担っていると考えていたのはハドソン・ベイ社だけでないようで、音吉と同じ年に生まれ捕鯨船の船員として働いた経験を持つアメリカの作家ハーマン・メルビル(1819〜1891)の名作 『白鯨』(1851年出版)にも「日本を開くのは漂流民である」という一文が出てくるそうだ。

ハドソン・ベイ社は3人をロンドン経由でマカオに送ることにし、1日だけのロンドン観光を許可された音吉らはロンドンに初めて上陸した日本人となった。この時、ハドソン・ベイ社は音吉らにイギリスがいかにすばらしい国であるかを日本で宣伝させようと考えていたらしい。しかし、当時のイギリスは中国に向いており、日本との通商は考えていなかったため、ハドソン・ベイ社は自社負担で音吉たちを日本に返し、その見返りに通商関係を結ぼうと考えた。その後、マカオに到着した音吉らは宣教師ギュツラフのもとで1年間で世界初の日本語聖書を完成させ、1837年、マカオに届けられた薩摩の漂流民4人と一緒にイギリス船ローリー号で那覇へ、さらにモリソン号に乗り換えて日本へ向かう。このモリソン号はこれまで多数の宣教師をアジア各地に送るのに使われてきた船だった。しかし、当時の江戸幕府は外国船打払令をしいて、接近する外国船は問答無用で砲撃して追い払うようにと命じていたため、このモリソン号は三浦半島南方に接近したところで砲撃を受けてしまう。結局、ハドソン・ベイ社は音吉たちを日本に返すことも通商関係を結ぶこともできず、退散することになった。

翌年に米国を経て上海に渡った音吉はデント商会に就職。自分たちのように日本に帰れない漂流民を増やしてはいけないと、漂流民の帰国に尽力したと記録されている。また、1849年にイギリスの軍艦マリナー号で浦賀を訪れており、ジョン・マシュー・オトソンとして1854年にはイギリス極東艦隊の長崎での日英和親条約の交渉で通訳という大役も果たした。シンガポール人の女性と再婚し、1862年にシンガポールに移住して貿易業で成功を収めた音吉は、日本の開国後初めての遣欧使節団がシンガポールに寄港した際、団員の福沢諭吉らとも会っている。当時のシンガポールはヨーロッパ方面への交通手段だった船の寄港地だったため、このような出会いが可能になった。音吉は1867年に死亡するが、その息子、ジョン・ウィリアム・オトソンは「日本に帰りたがっていた父の願いを実現したい」と、神奈川県に帰化を申請し、1864年に日本国籍を取得。山本乙吉という日本名を名乗り、神戸市に移住して日本人女性の近藤りんと結婚、後に生まれた子供3人と共に台湾に移住し、1926年に死亡している。

14歳で漂流民となり、15歳で現在の米国の地を踏んだ音吉。その後の数奇な運命は多くの人々に影響を与えてきた。音吉の故郷の美浜町ではたくましく生きぬいた音吉を称えるため1992年からトライアスロンが開催されている他、その生涯はミュージカル 『にっぽん音吉物語』 となって1997年にシアトルでも上演されている。埋葬されたシンガポールで一時行方不明となっていた遺灰は無事発見され、2005年に美浜町にある良参寺に宝順丸の乗組員のために建てられた墓に埋葬され、漂流後173年ぶりに帰国が実現した。


愛知県美浜町公式サイト
www.town.mihama.aichi.jp

音吉の会
www.otokichi.net

 
 
『Japan Envisions the West』 について
展覧会の概要と開催要領の詳細
展覧会の見どころ
前期・後期に分割された大展覧会
見逃してはいけない作品
シアトル美術館東洋美術部長
白原由起子さん

初めて米国北西部を訪れた日本人に
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音吉の漂流と世界の動き
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