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パイク・プレース・マーケットの歴史
パイク・プレース・マーケットの朝は早い。農産物や花を売る農家は午前6時半にはマーケットに到着する。農家がその日の販売場所に農産物を運び込んだ後の午前9時には工芸品を売る人々が到着して準備を開始する。午前8時台に行ってみると、たくさんの人が準備に忙しくしており、「これから1日が始まるぞ」という活気を感じるだろう。

そのパイク・プレース・マーケットがオープンするきっかけとなったのは、1900年代初期の農産物の価格高騰にある。当時、キング郡内にあった約3千軒の農家と消費者の間には多数の委託販売業者が介在し、多額のマージンを懐にいれ、カリフォルニア州から仕入れた農産物に地元の農産物よりも安い値段をつけるなどして暴利をむさぼっていた。パイク・プレース・マーケット保存開発局(The Pike Place Market Preservation & Development Authority)によると、1年間で玉ねぎの価格が10倍になったと記録されているという。

1907年7月、農家と消費者からの苦情を受けたシアトル市議会は、「これでは農家も消費者も共倒れしてしまう」と Pike Place にファーマーズ・マーケットを設置するという条例を可決。これにより農家が消費者に直売することが許可され、委託販売業者が排除されることとなった。The Seattle Department of Streets が 1st Avenue と Pike Place の交差点の西側を農産物を乗せたワゴンやカートが並べられるよう整地すると、8月17日から直売が開始。1977年に制作されたドキュメンタリー映画 『The Market』 によると、委託販売業者の脅しに恐れをなした農家が多かったため、初日に販売した農家はわずか8軒だったが、1万人の買い物客が待ち構えていたという。Historylink.org では、その初日に農産物を販売した農家の1つは日本人だったと記載している。それからマーケットは発展の一途をたどり、多くの日本人一世や二世が農産物を販売して活躍するようになった。

しかし、1942年に日本軍が真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まり、その約2ヵ月後にフランクリン・D・ルーズベルト大統領が大統領令9066号(Executive Order 9066)に署名し、「日本人を祖先に持つ者」の強制退去・一時収容が決定すると、太平洋戦争勃発前には店子の約3分の2が日系の農家だったというパイク・プレース・マーケットは一変する。日系の農家がいなくなるとマーケットは廃れ始め、1960年代にはこの土地をホテルや駐車場にするなどさまざまな再開発計画が提案されるようになった。

1969年にワシントン大学の教授で建築家の Steinbrueck 氏が設立した民間組織 Friends of the Market が大規模なキャンペーンを行って再開発に反対する気運を高めたことにより、1971年には市民投票が行われ、パイク・プレース・マーケットの保護が可決された。その際に新鮮な農産物と地元の農家を支えることがその使命となり、それは現在も維持されている。

8軒の農家が農産物を売り始めてから100年がたち、パイク・プレース・マーケットは米国で唯一の継続して営業されているマーケットとして年間800万人〜1千万人が訪れる一大観光地に成長した。パイク・プレース・マーケット保存開発局のエグゼクティブ・ディレクター、キャロル・バインダー氏は、パイク・プレース・マーケットが史跡に指定されていることから、電気系統の改善、エレベーターや公衆トイレの追加、屋根の取り替えなど現存する建物を維持するための修理や改築、インフラの整備は行うものの、大規模な変更をすることはないと語る。「一時は廃れてしまったパイク・プレース・マーケットを1971年に再開発の危機から救ったシアトル市の人々は、何らの大きな変更も求めていません。パイク・プレース・マーケットの建物と伝統を保存することが、我々の使命なのです」。



主な出来事

1900年代初期 クロンダイク・ゴールドラッシュへの玄関口として発展したシアトルで、ゴールドラッシュで5万ドルの財産を築いたフランク・グッドウィン氏が後にパイク・プレース・マーケットになる地域に投資し、建物を買収する
1907年7月 トーマス・P・レベル氏が議長を務めたシアトル市議会が、農家が消費者に農産物を直売する市場を Pike Place に設置する条例を可決し、8月17日を “Market Day” と定める
1907年8月17日 8軒の農家がワゴンに乗せた農産物を販売
1907年8月19日 10軒の農家が販売
1907年8月20日 20軒の農家が販売
1907年8月24日 70軒の農家が販売
1907年11月30日 フランク・グッドウィン氏が最初のビルを建設し、76の農産物販売スペースを設置
1912年 Center Market Building がオープン
1914年 Fairley Building(Main Market)がオープン
1922年 現存する建物すべての建設が完了
1925年 500の販売スペースが設置され、平日は2万5千人、土曜には5万人の買い物客が訪れる
1927年 マーケットのシンボルである 『PUBLIC MARKET CENTER』 のネオンサインと時計が設置される
1939年 515軒の農家が農産物の販売許可を取得
1941年12月7日
(ハワイ時間)
日本がハワイ・真珠湾の米国太平洋艦隊・航空基地を攻撃し、太平洋戦争が勃発
※その後、Sanitary Market で火災が発生し、日本人が疑われるが、犯人は不明
1942年2月19日 ルーズベルト大統領が大統領行政命令9066号に署名し、日本人・日系アメリカ人の強制収容が決定
※約11万人が対象となり、シアトル地域からも数千人が強制収容された
  この直後、マーケットの南端にある LaSalle Hotel でネリー・カーティスが売春宿を開業
1943年 196軒の農家が農産物の販売許可を取得(パイク・プレース・マーケット側は人種の記録はしていないため、1939年の515軒からの大幅な減少が日本人・日系人の収容と直結しているとは結論づけていないが、1942年までは日本人・日系人の農家が大多数を占めていたことから、一般的には許可証の大幅な減少には前年の日本人・日系人の強制収容が大きく関わっていると考えられている)
1945年8月15日 日本が降伏し、第2次世界大戦が終結
1946年 自家用車、スーパーマーケット、冷凍食品、ファストフードの登場で、パブリック・マーケットが廃れていく
1949年 53軒が農産物を販売
1950年 パイク・プレース・マーケットを車両1,500台を収容可能な駐車場にする提案が出される
1953年 Alaskan Way Viaduct が建設される
1962年 シアトルで世界博覧会が開催される
1963年 パイク・プレース・マーケットを車両3,000台を収容可能な駐車場とホテルにする提案が出される
1964年9月 独学の建築家でワシントン大学教授の Victor Steinbrueck 氏が Friends of the Market という民間組織を結成し、再開発計画を中止させる運動を開始する
1969年3月12日 Steinbrueck 氏がムーア・シアターでパイク・プレース・マーケット保護を求める抗議集会を開催
1969年6月17日 シアトル市議会が再開発計画の投票を行い、満場一致でこれを可決
1969年8月11日 シアトル市議会が再開発計画を進めることを決定
1971年2月 マーケットを保護するというイニシアチブが可決
1971年4月 スターバックス社が1号店を開店
1971年5月15日 Friends of the Market がイニシアチブ・キャンペーンを展開し、3週間で2万5千人分の署名を集め、マーケット保護イニシアチブを市民投票にかけることを実現
1971年11月2日 シアトル市の市民投票が実施され、マーケットを保護するというイニシアチブを可決
1973年 パイク・プレース・マーケットの保存開発局(The Pike Place Market Preservation & Development Authority:PDA)が設置される
1986年 募金箱の豚のレイチェルが設置され、9千ドルの募金を集める
2001年 『Pigs on Parade』 コンテストが開催され、50万ドルの寄付金が集まる
2007年 パイク・プレース・マーケットが設立100周年を迎える


オープンから4年が経過したころのパイク・プレース・マーケット(1911)


パイク・プレース・マーケットで買物をする人たち(1911)


1st Avenue と Pike Street の角から見たマーケットの入口周辺(1912)


1919年の Pike Place(1919)


Dominik Yellam さんの八百屋で買物をする女性(1939)


1940年のメイン・アーケード(1940)


Corner Market Building で発生した火災(1941)


強制収容のために登録手続きを行う日系アメリカ人:シアトルにて(1942)


日系アメリカ人が住んでいた住宅に描かれた "NO JAPS WANTED" の落書き
(1945)

写真 © Seattle P-I Collection,
Museum of History & Industry

 
 

マーケット早分かり
現存する市場では最も歴史の長い
パイク・プレース・マーケットはこんなところ

パイク・プレース・マーケットの歴史
シアトル市民の台所として誕生した
100年を振り返る

アーティスト 曽我部あきさん
日系アメリカ人農家の歴史を描いた
壁画を制作

ポール・イシイさん
パイク・プレース・マーケットで働いた
祖父を持つ日系三世

Steelhead Diner
コンテンポラリ・ダイナー
パイク・プレースにあってこその店

Chez Shea / Shea's Lounge
マーケット内唯一の日本人経営店
井川浩一郎さん・知世さん

World Famous Pike Place Fish
大企業や日本企業も採用、
仕事と人生を楽しむための哲学

Taste Pike Place
パイク・プレース・マーケットならではの
"食" を味わうツアー

100年祭祝賀イベント
8月10日から24日まで、
ピークは "誕生日" の17日

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