太平洋戦争勃発前には店子の約3分の2が日系の農家だったというパイク・プレース・マーケットは、日本軍が1941年12月7日(ハワイ時間)にハワイの米海軍基地を攻撃してから約3ヵ月後の1942年2月19日に一変する。フランクリン・D・ルーズベルト大統領が署名した大統領令9066号(Executive
Order 9066)により、「日本人を祖先に持つ者」の強制退去・一時収容が決定されたからだ。強制退去や収容所生活の様子は、工藤夕貴がイーサン・ホークと共演した
『Snow Falling on Cedars(邦題:ヒマラヤ杉に降る雪)』 (2000年)で改めて描かれて話題を呼んだが(なお、この映画の舞台がシアトルからも見えるベインブリッジ島であることは有名な話。詳細は特集
『シアトル・ワシントン州が登場する映画・テレビ番組』
参照)、パイク・プレース・マーケットで農産物を販売して生計を立てていた日系の農家も例外ではなく、シアトル周辺から日系人が強制収容された後のマーケットは空の店舗スペースが並び、1970年代になるまで廃れる一方だった。
そんな日系人の歩んだ歴史を描いたこの曽我部さんの作品は、1998年に JACL(日系アメリカ人市民協会)シアトル支部のディレクターを務めていたジャニス・イー(Janice
Yee)氏の呼びかけがきっかけとなって誕生した。「イーさんは、"強制収用された日系農家で第2次世界大戦後にパイク・プレース・マーケットに戻って商売を再開した人は1人もいない。日系農家の思い出を残したい"
と、アーティストに呼びかけたのです」と語る曽我部さんは、その意義に共感し、応募したという。パイク・プレース・マーケットと曽我部さんの縁は、1991年にアニバーサリー・ポスターを手がけた時までさかのぼる。その後、「25年以上にわたりこのマーケットで商売を続けている店子」を称えるために柱に名前を彫るプロジェクトや、マーケット・メモラビリアとして販売されているカードの絵も制作してきた。また、1991年のアニバーサリー・ポスターを気に入った作家アリス・ショレットさんとマレー・モーガンさんの共著で今年6月に出版された
『Soul of the City: The Pike Place Public Market』 の表紙にも、曽我部さんの作品が使われている。
公共のスペースに設置される芸術作品はパブリック・アートと呼ばれ、最終選考に残った3人が作品のプレゼンテーションを行うのが常だ。曽我部さんはその1人に選ばれ、「忘れてはならない日系人の歴史を5枚のパネルで表現する」というプレゼンテーションを行い、見事、このプロジェクトを獲得したのである。そして、1999年、『Song
of the Earth』 と名づけられたミューラルが現在の場所に設置され、2月19日に、日系二世の退役軍人らも出席して開幕式が行われた。5枚のパネルは左から、農地を開墾する様子
『Song of the Earth』、農産物を収穫する様子 『Song of the Farmers』、マーケットで農産物を販売する様子
『Song of the Joy』、戦争が始まって日系人が収容所に送られ、農夫達がいなくなった畑には草が生え、悲しみに満ち溢れた様子
『Song of the Sorrow』、終戦を迎えた様子 『Song of the Memory』 で構成される。「私は日本で生まれ育ち、米国に帰化しました。日本人としても、日系アメリカ人としても、日系農家の戦争体験をたくさんの人に知ってもらうために自分が何かを残せて良かったと思います」。
今年のパイク・プレース・マーケット関連イベントでも、曽我部さんの作品を見ることができる。パイク・プレース・マーケットのマスコットの豚、レイチェルの等身大レプリカをシアトルの中心地のあちこちに配置する
『Pigs on Parade』 の1つを手がけたのだ。今年は100個のレイチェルたちが街に展示されており、曽我部さんの作品は 『Ms.
Good Old Days(古き良き日々)』 という名前で宇和島屋シアトル店の入口左側にすわっている。「正面から見るとたくさんのヒマワリに縁取られているようですが、横には日系人と白人の農夫たちが一緒に農産物を売っている様子を描きました。せっかくパイク・プレース・マーケットの100周年を祝うわけですから、洋服を着せてみたり、下半身を人魚にしてみたりという、目を引くことを目的にした作品は意味がないですね。昔は日系人と白人の農夫たちが一緒に農産物を売っていた、そういう時代があった、ということを、この作品で伝えることができればと思います」