1888年に開拓者の妻が友人たちをバラの鑑賞会を開いたことがポートランド・ローズ・ソサエティの始まりとなった。1905年には、バラに縁取られた市内の道路は合計200マイルに及び、ポートランドは
"City of Roses" という愛称で呼ばれるようになった。交配試験場が作られたのは、アメリカン・ローズ・ソサエティの役員だったジェシー・A・カレー氏(1873-1927)が、第1次世界大戦中にヨーロッパで交配されたバラを戦火から守るため、ポートランドをバラの避難所にしようと市の有力者を説得したことがきっかけ。現在も世界各地から多数のバラを受け入れている交配試験場は世界でもここだけである。起案者となったカレー氏の横顔が彫られたベンチを場内で見つけてみよう。
この庭園の中心的存在である樹齢400年の樫(かし:oak)が茂るこの丘をシルバートン市が購入したのは1990年代半ば。そこで採取できる再生水の用途を探していた同市と、大量の水を必要とする植物園を建設する場所を探していたオレゴン州養樹園主協会(Oregon
Association of Nurserymen)との利害が一致し、この地に植物園が作られることとなった。