 |
 |

|

平和のシンボル − 佐々木禎子さんの像
Sadako Peace Park
ワシントン大学
広島への原爆投下45周年を記念して1990年8月6日に公開されたこの公園は、平和活動家フロイド・シュモー博士(1895-2001)によって造られました。この公園の中心となるのは、原爆投下で生き残りながら、後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんの銅像。鶴を折りながら病気と闘った禎子さんは世界平和のシンボルとなり、毎年何百人もが折り鶴をかけにこの公園を訪れています。2002年に他界されたシュモー博士には1983年に広島市特別名誉市民の称号が贈られ、1988年には谷本清平和賞が授与されました。また、同博士は1994年から1998年まで4年連続でノーベル平和賞にノミネートされています。
広島に原爆が投下された1945年8月6日、まだ2歳だった佐々木禎子さんは爆心地から北方約2キロメートルの自宅で被爆。禎子さんは外傷もなく、その後は運動の得意な少女に成長しましたが、1955年2月、突然倒れ、亜急性リンパ腺白血病と診断されます。広島赤十字病院に入院した禎子さんは、同年5月から「こうして鶴を千羽折れば、私の病気はきっとなおる」
と信じ、薬包紙や見舞い品の包装紙で鶴を折り始めました。しかしその願いも空しく、禎子さんは1955年10月25日に亡くなりました。まだ12歳でした。禎子さんが折った644の折鶴と、彼女の友人やクラスメートが折った356の折鶴は、禎子さんと一緒に埋葬されました。
禎子さんの友人やクラスメートは、禎子さんの書いた手紙を出版し、禎子さんのように原爆で亡くなった子供たちに捧げる銅像を作ろうと計画します。禎子さんの物語を読んだ世界中の人々から寄付金が集まり、1958年5月5日の子供の日、黄金の鶴を持った禎子さんの銅像『原爆の子の像』が広島平和公園で公開されました。この銅像の下にある御影石には、次のような碑銘が刻まれています。
これはぼくらの叫びです
これは私たちの祈りです
世界に平和をきづくための
広島平和記念公園には、今日でも世界中から折鶴が送られてきています。 |

|
|
 |