|
 |

第2回
: 夢 2005年は3夜連続のベートーベン第九交響曲(以下、第九)と、大晦日の特別プログラムによるコンサートで1年を締めくくりました。日本では12月には全国各地で第九が演奏されますが、ここシアトルでも今年はたまたま年末に第九を演奏することになり、日本育ちの私としては「年の瀬」感が一層強まって、元旦を新たな気持ちで迎えられたような気がします。
大晦日に近づくにつれて1年を振り返り、新年にむけて目標を掲げるのが私の恒例です。これまではバイオリンに関することばかりで、具体的な目標は何にせよ、最近まではいかにして自分の限界に挑戦するかが全てでした。それは決して楽なことではなかったのですが、自分の中でのタイムリミットが来るまでに(オーディションを受け続けるのは精神力や体力が必要で、若いうちしかできないと思ったため)納得の行く場所に落ち着きたかったがための選択でした。
話は昔にさかのぼりますが、私が1998年に親元を離れてアメリカに留学するまでは家族や周りの方々の支えを当たり前のことのように、時にはうっとうしくさえ思っていました。期待されることが、自分にとっては耐えがたいプレッシャーだったのです。幼い頃に音楽を楽しむ手段として弾き始めたバイオリンが(もちろん練習が嫌な時もありましたが)、20年後には自分にとっての唯一と言っていいほどの生きがいとなったわけですが、1つの芸事を極めるためには犠牲はつきもの。私自身が犠牲にしなければならなかったものはたかが知れていますし後悔もしませんが、支えてくれた人たちの犠牲に報いる結果を出すことも大切だと思い始めたのは、アメリカに来てからでした。
一般には「結果を出す」と言うとコンクールで賞を取るとか、有名になるというイメージがあるようで、実際に私も今までにそういった質問を幾度もされました(「彩子さんはいつテレビに出るの?」なんていうのは一番苦手)。性格上、昔から人様の前で演奏技術や音楽性を競うのが嫌で(もちろん、このコンクールで優勝したらこの曲をオーケストラをバックに弾けるなど、他に何か目的があれば別)、ソリストになる人材の低年齢化が進み、10代でマネジメントがつくのが最低条件という最近では、私はどの部類にも属しませんし、属したくてもできなかったと思います。
そういったことから考えると、幼い頃から大好きだったオーケストラに就職して「自立する」という私の目標は、周りから見ればとても平凡だったに違いありません。でも、音楽科卒でオーケストラに就職できるのは毎年3,000余人という卒業生の数パーセント(そして毎年3,000人ずつ卒業生が加算されていくわけですから、音楽科卒の人口は増すばかり)、2004年度で需要に対するメジャー・オーケストラの供給率が0.3
%という統計からも、その競争率の高さが分かります。そんな状況の中で「自分の夢」と「他人から認められる結果」を追って、ひたすら自分なりに良しとしてがんばった7年は、あっという間でした。
前年掲げた目標も達成し、自分なりに納得のいく年を送ることができた昨年、例年とは違った気持ちで1年を振り返りました。そして今、果たしてこのささいな「夢」と「生き甲斐」のために皆が犠牲を払ってきたのはいったい何のためだったのだろうか、結局夢はかなったけれど自己満足に過ぎないのでは、と問い続けています。
こういうことから、今年は自己以外にも目を向けて、社会に関わっていきたい(演奏以外にも)と思っています。シアトルのようなすばらしい土地で、好きな音楽を演奏できることに感謝しつつ(もちろん向上心も保ち続けて)、大げさかもしれませんが、ベートーベンが第九を通して伝えた「人類友愛」の精神に基づき、私のできる範囲で社会に貢献できたら嬉しく思います。
(2006年1月)
付け足し:シアトル・シンフォニーは、シアトル・オペラの公演での演奏も担当しています。そういうわけで、1月は第1週を除き、シアトル・オペラの
『こうもり』 の音楽演奏に関わることになりました。生まれて初めてオペラの公演に参加するので、楽しみです。でも、実は音楽高校時代に文化祭でクラスメートと 『こうもり』
をやったことがありました(正確にはあれが「生まれて初めて」かもしれません)。声楽家専攻は1人しかいなかったので、ピアノやバイオリン専攻の人達が歌ったり踊ったりして、担任の先生がオーケストラ・パートを小編成に編曲してと、大変でしたが、良い思い出です。
注)当ページに記載されている内容は個人の一意見です。この情報に基づいて行動した結果なんらかの損害が発生した場合においても、執筆者およびジャングルシティは一切責任を負いません。記載された情報を活用される場合は、あらかじめ専門家に照会するなど必要な確認を行った上、ご自分の責任で判断していただきますようお願い申し上げます。
|
 |