第49回: 震災報道に思う
オサマ・ビン・ラディン氏が殺害されてシアトルのテレビや新聞はその報道一色です。日本の原発報道はほとんど見られなくなりました。まだ原子炉の危機的な状況は続いているだろうに、報道がないとまるで危機が過ぎ去ったかのようです。
7〜8年前にシアトルで地震があったとき、確かに大きかったのですが深刻な被害はありませんでした。ただ中心街で建物の一部が崩れ落ちた場所があったので、テレビはそこばかりを何回も放映しました。そのため、日本の友人はそれを見てシアトル全体がそんな惨状になっていると思ったようです。今回の東北地震と比べると被害は1万分の1にもなってなかったはずですが、テレビや写真で見る限りは同じぐらいに見えたのかもしれません。
以前に中国で反日デモがあった時も、現地に住んでいた友人は「本当に小規模なデモだったのに、投石で窓が割れた商店を何度も映されて、中国全土で反日の嵐が吹き荒れているかのような日本の報道にびっくりしました」と語っていました。
日本は海外と地続きでないので、特に海外情報はどうしても報道に頼ることになります。報道は「大変だ!大変だ!」と騒ぐのが仕事なので、どうしても大きくなります。「米国は、XXX で大変でしょう?」と言われると違和感を覚えること多々あります。いたずらに煽情するのではなく、正しく客観的にその程度を伝える報道というのはできないものでしょうか?
我々も職業上、海外に物を売り込みたいお客さんから「米国では訴訟が大変なのでしょう?」とかよく訊かれます。過去に日本の大手企業が米国で訴えられて大きく報道されていたりするので、その印象が強く残っているようです。確かに注意は必要ですが、過度に恐れる必要もありません。そういった現地の情報を正しく伝えるのも我々の仕事と思っています。
(2011年5月)