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  留学経験者が自分の留学体験を語るシリーズ。毎月違う留学経験者が登場します。    
       


第1回 : 留学サポーター転じて留学生に

1999年9月 ノースシアトルコミュニティカレッジ入学
2000年6月 同カレッジ卒業

「あの〜、看護婦なんですけど、アメリカで看護婦の資格を取るにはどうしたらいいですか?」
「オーストラリアが安全と聞いたので、16歳の息子をオーストラリアの高校に入れたいのですが、どうしたらよいでしょうか?」
「イギリスに1年ぐらい行きたいのですが、いくらぐらいかかりますか?」
「ワーキングホリデーについて詳しく知りたいんですけど」

日本から留学生を送り出す仕事をしていた5年間、こういったさまざまな問い合わせに正しい回答を提供し、学校選び・入学手続き・渡航手続きなどをお手伝いしてきました。送り出した留学生たちの年齢層は幅広く、下は高校生から、大学生・20〜30代のOL、上は50代以上。中には60代で英語の勉強を始められ、英検準2級まで合格し、その成果を試すためにニュージーランドへ留学された男性もおられました。留学の準備を始め、出発が近づくと神経過敏になってクレームをつけてきたり、留学が期待どおりにいかない不満をぶつけたりする人もいましたが、基本的には良いフィードバックをくれる方がほとんど。私自身も「がんばろう!」と思わせられると同時に、「人の人生を大きく方向転換させるこの仕事は非常に責任が重いものだ」という緊張感を抱かせられたものでした。でも、仕事三昧に過ごしていたある日、「私も留学してみてもいいかな」という気持ちが生まれ、徐々に蓄積されてきた仕事疲れに「この仕事でもうこれ以上学ぶことはない。これ以上ここに留まっても自分が退化していくだけだ」という思いが重なり、充電のために1年程の留学を決心。仕事で訪れた経験から地理感も、知り合いがいるという安心感もあり、そして比較的治安が良く、アメリカ本土の中で日本に一番近いシアトルを選び、仕事の延長のように自分の入学手続きや渡航手続きを終えました。

留学先はNorth Seattle Community College。3学期間好きなクラスをとって日本に帰り、また留学業界で働こうという予定でした。最初はESL留学にしようかとも思いましたが、英語だけではつまらないかな?という単純な理由から、最初からレギュラーのクラスをとることに。日本にいたときに、友人から「今週末がTOEFLの締め切りだけど、受けてみたら?」とたまたま誘われ、1度受けていたのが役に立ちました。

シアトルの土を踏んだのは、29歳だった1999年9月。最初は不安だったので、"Hands-On"(実習型)のクラスなど英語力が直接影響しにくいクラスをとりました。なんとかついていくことができましたが、英語のリーディングとライティングのクラスには一苦労。これはESLではなく、いわゆる『国語』としての英語の授業ですが、6人ほどのアメリカ人に加え、インドネシア・フランス・フィリピン・香港からの留学生はみな英語が流暢なので焦りました。授業で彼らと対等に発言するのは不可能と悟り、課題を完璧にこなし、テストで点数を稼いでどうにかパス。でも、学期中に書いた6本ほどのエッセイは、つたない英語だったにも関わらず、教官がそのうち2本にA+をくれた上、「学校のコンテストに出してみたら?」と提案してくれ、まじめに一生懸命やっていれば、つたない英語でも認めてもらえるのだと思いました(もちろん教官によるのでしょうが・・・)。

学校にも慣れて来たころ、「もう少しシアトルで体験できることがあるのでは?」と思った私は、クォーター制の場合、フルタイムの学生は最低3学期間の単位を取得すればプラクティカル・トレーニングを申請できる(当時)ことを確認。CertificateやAssociate Degree(準学士号)などは何も取得していませんでしたが、学校の留学生アドバイザーは「日本で4年制大学を卒業していることなどが考慮され、おそらく許可が下りるだろう」と言ってくれました(申請者の状況や現在の移民法、米国政府の政策などによって異なるので、必ず留学生アドバイザーに相談することをオススメします)。その後、無事インターン先も見つかり、最後の学期を終えた次の日からインターンとして、また、プラクティカル・トレーニングの許可が届いた約3ヵ月後から社員として勤務を開始。この時点ではまだプラクティカル・トレーニングを終えたら日本に帰国するつもりでしたが、現在の夫と出会ったこともあり、その後も仕事を続け、今もシアトルにいます。

1年だけのつもりが思わぬ方向に発展してしまった私の留学ですが、これは決してめずらしいことではありません。私の場合は日本にいた時とはまったく違う業界で働くことになりましたが、しかし、こうして自分の留学を振り返ってみると、留学斡旋とはなんと責任の重い仕事だったのだろうと改めて認識させられる思いです。

(2003年1月)


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第8回 僕の留学 失敗と成功
第7回 1期生の悲喜こもごも
第6回 シアトル・サウンダーズでのインターンシップ
第5回 シアトル・怒涛のインターンシップ物語
第4回 ワシントン大学MBA
第3回 友だち作り&地域に根ざした学生生活
第2回 ホストファミリーとマリナーズ観戦
第1回 留学サポーター転じて留学生に
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