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プロセ:女性、仕事、そして人生
プロセ:女性、仕事、そして人生
       
  著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で "on behalf of oneself" という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。
   
       


第2回:出発点

時計が午前9時を指した。指定された電話番号をプッシュする。サンディエゴ、デンバー、ニューオリンズ、そしてシアトル。全米に散らばる被告企業側弁護団のメンバー十数人が、それぞれ特許訴訟の打ち合わせを待つ姿が目に浮かぶ。凛とした緊張感が受話器越しに伝わり、背筋がピンとのびる。「とりあえずは自己紹介から始めましょうか?」 誰かが言う。「双子の娘達がいて、明日は4歳の誕生日なんです。」ボストンから届く「お母さん弁護士」の声に、微笑が浮かぶ。そして、私の番が来た。「シアトルから、こんにちは。私も2児の母として、家で働けることを嬉しく思います。」
ひとしきりの挨拶が終わると、会議が始まった。

「ベンゴシにはならない。ぜったいに、ならない。」

8歳の息子はそう豪語していた。無理もない、と私は肩をすくめる。敬愛する空の英雄リンドバーグの本をむさぼり読む彼の傍らで私は、文字通り幾千にも及ぶ訴訟関連の書類を速読し内容を分析する作業に、寡黙な情熱を注ぎ込む。純文系と自他共に認める私が、工学博士の資格を持つ弁理士の一群に混じり、時には技術的な内容の書類にも目を通す。それなりに難しい仕事であり、往々にして音を上げたくもなるのだが、碧空の遊泳を志す未来のパイロットにしてみれば、「クリックするだけのかんたんなしごと」らしい。

「ベンゴシの学校を見に行こうよ。」夏休みも終わりに近づいた頃、浮かない表情の息子と娘を車に押し込み、母校のロースクールへと懐かしい道を辿った。滞在中のホテルで日がな一日泳ぎ続けたいと口を尖らせる2人をプールから引き剥がすように。8月のキャンパスは静寂に包まれていると思いきや、予想を裏切られた。余韻をとどめた夏の風が名残惜しげに木々の葉を揺らせる中、バックパックを背負う学生がそこここを闊歩する。8月最終週の月曜日である今日、新学年が始まったのだ。そうだ、同じような8月の朝に私の旅も始まったのだった。

いつだったか、自宅のポストに届いた雑誌を思い出す。母校から卒業生向けに定期的に送られるその機関誌をひもとき、「同窓生の近況報告」なるページを貪るように読んだ。ニックは大手事務所の会社法部門でパートナーに昇格。シーラは独立して移民法のオフィスを開業。短い文章の行間に、それぞれの主人公が創り上げてきた物語が見え隠れする。額が広くなったり皺を刻んだりと、流れた歳月を映した懐かしい顔たちが写真の中から語りかける。動物愛護家を名乗り、鎖をつけた大型の犬を同伴して登校していたニック(ペット同伴での登校が大手を振っていた学校だったから、珍しい光景ではなかった)。ポルノグラフィ廃止を訴え、憲法第一条が謳う「表現の自由」を盾に反論を唱える学生達と真っ向から議論を闘わせていたシーラ。キャンパスを闊歩していた頃には、色褪せたジーンズに T シャツが誰にとっても定番だった。百科辞典のごとく厚い判例集を詰め込んだバックパックを背負う法学生はお洒落どころではない。機能一辺倒のいでたちで教室と教室の間をせわしげに行き来し、放課後には図書館にこもる。怒涛の日々を共に駆け抜けた同窓生達が、機関誌の写真では心なしか窮屈そうなスーツ姿で微笑んでいた。

晩夏の木漏れ日を浴びながら、遥かな日々を心の中で散策してみた。民事訴訟法。不正行為法。物権法。緊張感みなぎる大教室の片隅で、いつ教授に指名を受けるかと怯えながら視線を下に落としていた自分の姿が脳裏をかすめる。アメリカのロースクールでは、ソクラティス・メソッドと呼ばれる伝統的な方式を軸に授業が進行する。唐突に指名された学生は教授から矢継ぎ早に浴びせられる質問を次から次へとかわしていかねばならない。試験前夜ともなれば、歯をくいしばり、専門用語が踊るノートとの格闘を続ける。成績が一定基準を割れば強制退学なる苛酷な処分が待ち受ける。3年に及ぶプログラムで最も厳しいと誰もが口を揃えるのが最初の1年だった。生き地獄なる渾名さえ生み出した1年にようやく終止符が打たれた頃には、最初は肩を並べていたはずの級友の幾人もが落伍者の烙印を押され去っていった。学生ラウンジで笑い転げていたミーガンが、「環境法の専門家になって地球を住みよい場所にするんだ」と豪語していたエドが、いつしかキャンパスから姿を消していた。世界に名だたる訴訟大国を造り上げた弁護士達は悪徳だと鋭い批判の矛先が法曹界に突きつけられた挙句、弁護士をあげつらったロイヤー・ジョークを収集した本が書店に並ぶ。その風潮がどれだけエスカレートしようとも、それを度外視して法の道を志すアメリカ人の多さは昔も今も変わらない。ロースクールは入るのも競争が激しいが、出るのはそれ以上の難関なのだ。

数少ない外国人学生の一人だった私もなんとか、そう、なんとか生き延びた。ストレスから来る不眠症で医者通いを強いられた挙句、睡眠薬の副作用に苦しみつつ試験を受けた日々。徹夜明けの目に染みる仄かに青い空を仰ぐ朝。モノクロームの写真を思い出という名の光にかざすと、みるみるうちに鮮やかな色彩を帯び始める。ひたむきに駆け抜けた日々が愛しい。もっと貪欲に多くのことを吸収できた筈だという後悔も尾を引く。反面、自分の肩を叩いてやりたい気もする。あれほど真っすぐに視線を投げかけ一途に走り続けるエネルギーが、今の私にあるだろうか。 凡庸な日常に身を委ねるだけの自分がもどかしい。

幾人かの恩師を研究室に訪ね、子供達を紹介する。一年先輩だったサムは、優秀さゆえに凱旋よろしく母校で教授を務めている。彼は私と同じ時期にやはり一男一女の父となった。誇らしげに家族写真を差し出す。さよならの握手をする時、2人の間に爽やかな風が流れた。緑滴るキャンパスに立ち、鼻先をくすぐる晩夏の風に郷愁の匂いを嗅ぎ取りながら、旅の出発点へと想いを馳せる。ここには無数の物語が眠っている。新たな季節の到来に頬を紅潮させる新入生達も独自の物語を紡いでいくのだ。甘ったるい感情に心を浸すだけなら思い出は要らない。でも、無表情に過ぎる日々に瑞々しい息吹を僅かでも吹き込む契機になるのであれば、来た道を辿ることも無意味ではない。切なげにわだかまる夏の余韻をかみしめながら、感慨深く母校を仰ぐ。

さあ、シアトルに戻れば仕事が待ち構えている。「ママ、クリックばっかりしてるよね。」息子はいつもながら口を尖らせることだろう。膨大な書類のひとつひとつを素早く分析し、内容に応じてポンポンと手早くクリックをする作業をそれなりにこなしているのも、法学生時代の怒涛のような日々があってのことだ。そのことを理解するには息子は幼過ぎる。目を皿のようにしてリンドバーグの写真集に見入る彼の姿をフロントミラーでちらりと眺めながら、ホテルへと車を走らせた。

(2009年2月)


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