第7回 : いつから留学を考えていたか(2)
しかしそれだけではない。考えてみると娘が留学を考え出すにいたった理由に思い当たることが次々と浮かんでくる。
はじめは、保育所のころ手をつながなかったのもそれだろう。あ、いや、保育所の行き帰りにね、そう、2歳、3歳のころですよ、子どもはあっちへ行ったりこっちへ行ったりしたいのでね、
見たいものさわりたいものもあるでしょう、それに歩幅もちがうし、だから危ないところ以外は手をつながずに、気長に気長に、あっちへフラフラ、こっちへフラフラ、絶対
「はよ行こ、はよ帰ろ」
とは言いませんでしたね。これが旅の始まりでしたね、きっと。それに、いろんなものを説明しましたね。「あれー」とか言って指さすとどんなものでもその年に合うように説明しました。世の中には面白いもの珍しい物がいっぱいある、と思ったでしょうね。電車を見てウンチャカウンチャカと体を揺するときには一緒に揺すって、
「今度乗ろうね。ファミリーランド行こうね」
と旅の夢をかきたてましたね。とうとう小学校1年生のある日突然
「じぶんでおばあちゃんのとこへいきたい」
と言いましたね。こっちは、待ってたホイ、とばかりに
「えらいねえ」
と送り出しました。決心して行ったのでしょう。
「あの時改札口をおばあちゃんと言いながら走って出てきた時の顔が忘れられへんわ」
とおばあちゃんは今でも言うのです。行った日は土曜日でしたが、かばんにはちゃんと考えたのでしょう、教科書やノート、筆箱も入れてました。旅の準備も一人でできるようになっていたのです。切符の買い方や駅にある時刻表も、家族で出かける時に、
さあ自分で見て切符を買いよ、次の電車はあと何分、とか言ったりして、少し教えていたら子どもはうれしがってできるものです。
「あと1分で来るよ」
と言いながらプラットホームから電車が来る方を見るときの誇らしげな顔。そして時間どおり来た電車のドアが開いた時、世の中の仕組みがフワッと子どものなかに入ってすわるのです。生きていく自信、楽しみといったものもいっしょに隣にすわったことでしょう。
学校をやめさせたのもそうだろうなあ。学校というものをガチガチに固定して考えなくていい、というふうになって、高校の時パッと途中からカナダへ行ってしまうことになった。いやね、
小学2年生の時だったかな。担任の先生が、忘れ物が多い、と何かに書いていたので、
「そんなに忘れ物をするなら学校に行っても一緒だから家におりなさい。学校に行かなくていい」
と言ってやめさせたのです。家で好きなことをすればいいじゃないか。そーか、学校なんてやめるときもあるんだ。本人は初めはちょっとびっくりしていましたが、そのうち本を読んだりけっこう楽しんでいたみたいでしたよ。もっとも、十日ほどしたらまた学校へ行きたくなって
「学校に行ってもいい?」
と遠慮がちに聞いてきました。
「行きたければ行ったらいい」
これでおしまいでしたが。