ジョージタウンはシアトルダウンタウンの3マイル南側に位置し、北端は BNSF 鉄道路線、東端はインターステート・フリーウェイ5番、南端はボーイング飛行場、西端はドゥオーミッシュ川で囲まれた街だ。昼間は1万人以上の人がここで働く軽工業地域のこの街は夜には1,500人程度の人口しかないと言われている。インターステート・フリーウェイからこの周辺を見ると、工場や倉庫の合間に小さな戸建住宅が散在する一見特徴のない街並みだが、街としての歴史は実はダウンタウン・シアトルやパイオニア・スクエアよりも古く、初期の入植は1851年だそうだ。
入植当時、ドゥオーミッシュ川沿いは肥沃な土地で、20世紀の初頭にはイタリア系や日系移民が農業を営んでいたと言われている。ビールに必要なホップもよくとれたそうで、1883年に現在のレーニア・ビールの元祖となる Seattle Brewing and Malting Company がビール製造を開始し、1904年には同社によって Airport Way South の土地に当時米国で6番目に大きなビール工場が建てられた(写真1)。1874年には市電がジョージタウンまで運行を開始すると、このビール工場を中心に、1869年にオープンした競馬場 Meadows Race Track (現在のボーイング飛行場)に来る観客が立ち寄る飲み屋街が不夜城と化し、シアトルの汚水層(The cesspool of Seattle)と言われながらも人気を博していたようだ。その後、1928年に競馬場は市営飛行場になる。ボーイング社を中心とした航空機産業の工場が戦前から戦後にかけて増える中、人口はどんどん少なくなり、1970年に市立学校と図書館が閉鎖されると街としての機能を果たせなくなり、飲み屋街を中心とした Airport Way South もゴーストタウンとなってしまったと言われている。
前述の Seattle Brewing and Malting Company のビール工場はその後、禁酒法時代に操業を停止し、それ以降、この建物は Rainier Cold Storage Building として使用された。総敷地面積5.5エーカー、一部4階建総面積31万平方フィートの総レンガ作りの巨大なネオクラシシズムのメガストラクチャーは、もともと5つの部分−事務所棟、冷凍棟、機械棟、モルト棟、醸造棟からなっていた。2007年に Sabey Corporation がこの建物を買収して商業開発の計画を始めると、一番南側にあった冷凍棟の下で100年近くにわたり凍りついていた地下水層が解凍してしまったため、建物全体の基礎が沈みはじめ修繕不可能となり、現在地上駐車場になっている部分が解体されてしまった。現在、最北端は事務所とアーティスト・ロフトとして賃貸され、残りの部分は倉庫、またはスタジオに利用されているが、時代と歴史が封印された気品と美しさが見られ、単なる巨大倉庫を超えた将来の新しい建築空間の可能性を感じられずにはいられない(写真2)。
向かい側にあるレストランとバーは100年前からほとんど変わっていない外装とディテールを残した歴史的な建物ばかりで、この建物と同様、100年前の生活のにおいがまだ消えていない(写真3)。さらに同じ通りを南側に2ブロックほど行くと、1910年にこの街がシアトル市に併合されるまで市庁舎として使われていた建物が今は歯科医院となっている(写真4)。この街区にある低層商業建築は全て1950年代から全く改装されていないかのようで、街区全体が歴史博物館になってしまっているようだ。
この建物のすぐ北側、Corson Avenue との交差点に The Corson Building という1910年築のスパニッシュ折衷主義の建物がある。ここは Sitka & Spruce(レストラン)のオーナー、マシュー・ディロンが経営するレストランで、単なるディナーを超えた食事と食文化体験を提供する、特別な場所のようだ(写真5)。その特別な体験を演出しているのが、タイムマシンに乗って100年前に戻ったかのように思わせる建物郡と隣接する街区の雰囲気ではないだろうか。10年以上前、まだ再開発が進んでいないバラードの Ballard Avenue Northwest を発見したとき、今日のようなレストランやバーを中心とした爆発的な賑わいをとても想像できなかったが、同じ視点で今 Airport Way South を見ると、今は閑散としたこの通りがいずれは同じように商業的に成功し、魅力ある街並みになるのも時間の問題だと言えるのではないだろうか。
(2012年3月)