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第4回 : 里帰り旅行第2弾
本題の前に、先月のシアトル地震について・・・。
2月28日にM6.8の地震がシアトルで起こった時、私はオフィスでいつものようにコンピュータに向かい、キーボードをたたいている真っ最中でした。突如、座っていた椅子が左右にぐらぐらぐらっとゆっくり大きく揺れはじめ、「あら?何とも身に覚えのある感覚じゃないの?もしや、これは地震?そう、どう考えても地震だー!シアトルで地震?んー、ありえるなー。シアトルまで地震が私を追ってきたかー」などと思いつつ、「これは神戸並みの地震になるかもしれない!オフィスの入っている建物が崩壊したら下敷きになってしまうから、机の下なんかに潜っている場合じゃなくて、外に逃げなければいけない!」と判断して階段を降りドアを出て外に飛び出しました。長い(40秒以上)揺れがおさまり、どうやらビルの下敷きにはなりそうにないことが分かると、しばらく放心状態、心臓がばくばくと音をたてているのが分かりました。東京に住んでいた時には小さな地震をいつも経験していたのに、です。阪神大震災で、生まれ育った神戸の街がすっかり姿を変えてしまったことにかなりのショックを受けて以来、災害は遠いところで起きているのではないという事を実感していましたが、その記憶も6年以上の歳月とともに薄れてきた矢先のこと。幸いこの地震で大きな被害はありませんでしたが、あらためて災害と背中合わせに生きているのだなー、などと実感したのでした。みなさん、備えあれば憂い無し、懐中電灯とラジオ、3日分の非常食は枕元に用意しておきましょう。
さて、前置きの地震の話が長くなりましたが、先月約1年半ぶりに日本への一時帰国を果たしたことを書きました。そこで、まずは同行したアメリカ人の彼が選んだ「ここが不思議!日本」を紹介することにします。
- デパートに行った時のこと。各ブースに2〜3人おきに店員がじーっと立っていて、とにかく店員の数がめちゃくちゃ多いこと(アメリカでは店員が必要なときにも見つからなくて困ることがよくあります)。こんなに店員がいて採算が取れるのか?という疑問が浮かんだようです。私に言わせれば、あんなにお客が少なくて閑散としているアメリカのデパートこそ採算が取れるのか?と思います。シアトルに来て以来、私はずっと「デパート大丈夫かなあ?ちゃんとやっていけてるのかなあ?」と心配していたのですから。
- 神戸から大阪に車で行った時のこと。街の境目はどこなのか?どうして街と街の間に田舎がないのか?(アメリカだとやはり、街と街が離れていて、間は田園地帯であったり郊外であったりして区切りがあるので、阪神間のように市街地が続きっぱなしというのがどうやら不思議だったようです)言われてみればそうだなあ、と思いました。
- シャワーの水圧が素晴らしい!ということ。東京の友人宅に泊めてもらった時のこと。高層マンションの54階に住む友人の家のシャワーが、54階にもかかわらずすばらしく「Just
right!(ちょうどぴったり!)」の水圧で、しかもシャワーヘッドはコンパクトで軽いので、日本のシャワーヘッドおよびシャワー・テクノロジーにひどく感動していました。これには、アメリカの巨大で重く、固定されたシャワーヘッドに慣れるのに半年以上かかった私も同意せざるを得ません。
- 過剰包装。神戸のゴーフルをお土産に買ったときのこと。ゴーフルはストロベリー味、チョコレート味などがそれぞれビニール製のパッケージに入っていて、さらに缶の中におさめられていますが、その缶はさらに紙の箱の中に入っていて、最後に紙袋に入れられています。なぜここまでパッケージするのかが不思議だったようです。これは私も不思議に思っています。資源の無駄遣いです。それにしても余談ですが、日本のシャワー、トイレの便器などはかなりよく出来ているナーと感心します。TOTOさん、アメリカ進出したら?と思うのですが。
このように、たった4日間の東京滞在で、すでに不思議日本に圧倒されっぱなしの彼が、ついに私の家族と対面する日がやってきました。東京から神戸まで新幹線で行き、新神戸の駅で母親と妹が出迎えに来ました(1年半ぶりの娘の帰国にもかかわらず迎えに来ない父親が何をしていたのかというと、「友人と飲んでいた」のでした)。言葉が分からなくて何が起こっているか把握できないのはとても歯がゆいものであることを私は体験的に知っているので、今回の旅行では頑張って通訳しようと心に決めていました。「さーて、これからは一言一句訳すぞーっ!」と誓った私は、"Hi,
I’m Brian."と自己紹介する彼に対し、「えー(良い)発音やなー」と、一言目に言った母親の言葉をそのまま通訳し、"She thinks your
English pronunciation is excellent!"などとアホなことまで訳すほど頭をフル回転させて通訳に徹していました。
最初ははりきってお互いの言うことを全て訳そうと努力していたのですが、2日ほど経ったころから、徐々にキレ始めました。というのも、私の家族が何でも私に訊けば分かると思い、「そんな言葉は日本語にはあっても英語にはないよ!」といったことをおかまいなしに訊いてくるようになったからです。「もーーー!何でもかんでも私に訊かんといて!そんな言葉は英語にないから訳されへんの!」と、それまでの通訳によるストレスがたまりにたまって限界に達したのかついにキレてしまい、その日から通訳することをすっかり辞めてしまいました。私の怒りを察してか、それ以来家族と彼は私にあまりややこしい質問をしないように気をつかってくれていたみたいです、ごめんなさい。それからは、必要最小限のことしか訳さなかったので、おしゃべり好きの彼にとってはさぞかし不自由だったことでしょう。今思うと彼の口数も減っていたようです。
約1週間の里帰りを終えアメリカに戻った時、タコマ空港まで迎えに来てくれた友人が現れるやいなや、彼は、"I wanted to talk!"と、怒涛のように土産話しを始めたのは言うまでもありません。でも、「ちょっとはアメリカで苦労している私の気持ちも分かったかー!」という気持ちです。
注)当ページに記載されている内容は個人の一意見です。この情報に基づいて行動した結果なんらかの損害が発生した場合においても、執筆者およびジャングルシティは一切責任を負いません。記載された情報を活用される場合は、あらかじめ専門家に照会するなど必要な確認を行った上、ご自分の責任で判断していただきますようお願い申し上げます。
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