旧・シアトル日本人街(日本町)

旧・シアトル日本人街(日本町)

『南ジャクソン通り』標識が日本語で書いてある

太平洋戦争の勃発まで日本街として栄えていた一角が、現在のインターナショナル・ディストリクトにある。シアトル在住の建築家・松原博さんによると、当初、街の範囲は東端が 4th Avenue から西端が7th Avenue まで、北端は Yesler Way から南端は South Charles Street まで広がり、商店、食堂、ホテル、学校、劇場、銭湯、コミュニティ・ホール等がひしめいていた。1930年代の全盛期には人口8,500人からなる、活気のある街だった。しかし、第二次世界大戦時の日系人強制収容で、この地区の全ての日系ビジネスが姿を消し、戦後も日本人街は以前のような活気を取り戻すことなく、その多くの歴史的建物はコンクリート造のアパート建築に取って変わられてしまった。1973年、アジア系アメリカ人グループの努力によって南側のインターナショナル・ディストリクトとともにようやく特別景観地区に指定され、歴史的建造物は保存されているが、当時の日本人街を思わせるのは、South Main Street を中心とした5th Avenue から Maynard Avenue までの2ブロックのみである。(エッセイ「街路樹」第27回 『シアトル日本人街』)。

旧・シアトル日本人街(日本町)

Panama Hotel 外観

2006年に国定歴史建造物に指定され、2015年にナショナル・トラスト(National Trust)によりシアトル唯一の国宝に指定された Panama Hotel(パナマ・ホテル)は1910年の完成から日本町の象徴的存在だったが、日本による真珠湾攻撃の後にルーズベルト大統領が大統領令9066号を発令し、西海岸に住んでいた約12万人の日系人の強制収容を命じたことを受け、当時の経営者だったタカシ・ホリ氏が強制収容される人々の所持品の保管所として同ホテルの地下室を提供したことで知られる。1942年に強制収容されたホリ氏は終戦後にシアトルに戻ったが、引き取り手が現れなかった日系人の所持品は現在もそのまま残されている。1985年にホリ氏からこのホテルを購入したシアトル出身のアーティスト、ジャン・ジョンソン氏は、これらの所持品を保管し、1990年代には他都市での展示に貸し出すなどしていた。国宝に指定されたことにより、ナショナル・トラストがホテルに残された所持品の目録作成・記録・保管を手がけることになり、現オーナーのジャン・ジョンソン氏が引退する際は、新たな経営者を確保することになる。

このパナマ・ホテルの地階に、日本人が利用していた公共銭湯 『橋立湯(Hashidate-Yu)』がある。1910年から第2次世界大戦中を除く1960年まで営業され、その後は放置されたままとなっていたが、パナマ・ホテルの現オーナーのジャン・ジョンソン氏が個人的にツアーを行うようになった。ツアーは誰でも参加できるが不定期に行われているので、問い合わせてみよう。

旧・シアトル日本人街(日本町)

Panama Hotel Tea and Coffee

また、ホテル1階にある Panama Hotel Tea and Coffee(パナマ・ホテル・ティー・アンド・コーヒー)というティーハウスでは、オーナーのジャン・ジョンソン氏が収集した日系アメリカ人関係の写真や 1940年代の日本語新聞などが展示されている。

旧・シアトル日本人街(日本町)

もうひとつ、第2次世界大戦前から75年にわたって営業してきた 『Higo』 が2004年6月に閉店した後、その 『Higo』 とシアトル日本町の歴史を保存するべく、ローカルや日本のアーティストを中心に、さまざまな 作品を展示・販売している 『Kobo』 をキャピトル・ヒルで経営するびんこ&ジョン・ビスビー夫妻が 『Higo』 の店舗スペースに2004年11月に 『Kobo at Higo』 をオープン。店の半分ではイベントも開催している。隣にある 『Momo』 は、日系アメリカ人女性が経営するファッショ・雑貨の店。高級デパートメントストアのノードストロムで勤務していた経験にもとづくセンスの良さが光っている。

掲載:2015年7月

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